あたらしい映画作りに向けて。

ここでは、あたらしい映画づくりのあり方とはいったい何だろうか、僕たちが集まって考えたり話したりしたことについて書いていきます。

とはいえ、あたらしい映画づくりとはどういう映画づくりかというと、特に明確に決まっているわけではありません。
これからいろいろな活動を通して、今後どういった映画制作が最適なのか、見つけ出していきたいと思います。

さて、いまなぜ、あたらしい映画づくりのあり方が必要なのか。
それは、これまでの映画制作のあり方に限界があると考えるからです。

映画づくりの限界とはなんでしょうか。
ユネスコ統計研究所が世界の映画制作と興業のデータをまとめていたので、それを参考に日本の映画制作の現状について軽く考察してみましょう。
まず、「一人あたり入場回数」つまり日本人が一年の間に何回映画を見に行ったのかというと、およそ1.6回だったそうです。
多くの人が一年に二回映画に行くか行かないかというデータで、感覚的にも合っていると思います。ちなみに、韓国は4.7回。アメリカは4.2回でした。
一方で、2017年に日本で制作された商業映画の本数を見てみると、なんと594本も制作されていました。
これは、韓国の490本よりも多く、商業映画大国であるアメリカの660本よりも少ないという結果です。
この統計は、つまり「映画に興味が無い日本人に対して、大量の商業映画を制作してしまっている」ということを意味しているのではないでしょうか。
もちろん純粋に人口の問題があるのかもしれませんが、とはいえ、そもそも現状そこまで映画に興味が無い日本国民に向けて、
エンタメ大国であるアメリカや韓国と同じ水準の本数を制作し続けているという日本映画産業には構造的な欠陥というか限界があるということがわかります。

映画がたくさん作られる環境は、必ずしも映像制作の現場において良いことではありません。
それは時として労働問題や暴力などのハラスメントの問題に繋がります。この問題の詳しいところは、たとえば深田晃司監督の諸活動をチェックしてみて下さい。

このままでは、どんどん日本で映画を作りにくくなり、関わる人々は疲弊してしまって、100年近い歴史のある日本の映画制作は途絶えようとしています。
僕たちは、そうした現状を批判し、「日本で映画を作り続ける」ということにフォーカスした制作を目指します。
ここでもう一度、あたらしい映画作りのあり方を定義してみると、それはいろいろな表現ができますが、たとえば「持続可能な映画制作」かもしれません。
「何十年何百年と映画を作り続けることができる環境や仕組みをつくる」これが僕たちのミッションです。
そして、あたらしい映画作りの実践をしながら、興業との適切な距離をとりつつ、「果たして日本でドラマは成立するのか?」「自主制作でやるべきテーマとは?」「日本で映画を撮るということとは?」
など、映画そのものをも常に問い続ける映画作りができる環境を作り上げることができたら、この活動の達成だと思います。

そのために必要なこと、やらなければならないことは山ほどあります。
ありすぎてわからないくらいです。
ですが、急がず焦らず、なんとかやっていきたいとおもいます。
このノートが、僕ら自身で映画を作ったり、情報を収集したりしたもの元に、多くの人がよりあたらしい形での映画づくりについて考えるメディアとなれば幸いです。

織田哲平

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