死して屍、拾うもの無し。

こないだ、ある同世代の方と話をしていて思ったことのメモです。

主に会社を想像していますけれども、他にも学校とか、役所とか、業界団体も、学会も、政党も国会も、とにかく年寄りばかり。最近ようやく団塊世代がリタイヤしたとおもいきや、社長とか、会長とか、いわゆる「役付き」の皆さんは70歳超えても80歳超えても、いくつになってもお達者でございます。

そして、次はオレたちの時代だぜ!と、ミレニアム2000年頃は前途洋々だった団塊ジュニアがあれよあれよという間に齢を重ね、もうそろそろ先頭集団が50歳の扉を開けるところです。彼らは同時代の人数が半端なく多かったのにもかかわらず、バブル崩壊後の氷河期に社会に放り出され、仕事にありつけない人多数、20代後半から始まったIT化の波〜ITバブルは大学が終わって社会人あたりで第一波を浴びたものの、その下の世代、団塊ジュニアの下の世代は生まれたときからITとスマホですから、その波にも乗りきれず。そして今、席を空けないジジイども・・・コホン、失礼、お年寄りたちに阻まれて、使えるヤツはさっさと自分で出て行くし、使えないヤツは肩たたきに遭い。50歳、55歳で役職定年、つまり、なんとなく昇格して、部付き部長代理とか、次長とか、なんの権限もないけど年功でもらった職位をそろそろ剥奪され、年収は半分くらいに減らされて、60歳の再就職ではさらに半分に減らされて、年金は70歳までもらえないという生き地獄にこれから突入するわけです。

そして面白いことに、時代は団塊ジュニアの方を向いているわけです。とにもかくにも人数が多い。そして、この世代はテレビで育った最後の世代であるので、全国規模で画一的な文化的背景を持っている。CMも、お笑いも、ドラマも、なにもかも、80年代のテイストをちらっとかませれば、団塊ジュニアが一斉に反応して視聴率が上がり、それなりに小金を持っている人も(なにぶん母数が多いので)いるから売り上げにも反応しやすい。だから、メディアは手っ取り早く成績を上げるために、団塊ジュニアをターゲットする。とうとうオレたちの時代が来た!と勘違いしたらダメだ。団塊ジュニアは鴨られているだけ。そんなお金どこにもないのにね。

そして、この世代が、あとたった二十年、令和20年を超えると、下の世代にとっては本当に邪魔な存在になる。こんなに大量の年寄りを、いったいどうやって人数の少ない彼らが養っていけるのか。全くわからない。論理的でない。もう誤魔化すのやめましょうよ。無理じゃないの?働けない老人が圧倒的に多くて、労働力人口がめちゃめちゃ少ないの、どう頑張ったって無理でしょ。年金制度が破綻することくらい、ちょっと計算したらすぐにわかる。

そんなことを考えながら、それでも前向きに生きたいわけです。時代背景はわかった。自分らの置かれている状況もわかった。じゃあ、どうするよ?

最初は、そろそろ団塊ジュニア世代が主導権を握って、新しい仕組みの社会づくりに向けていかなきゃって思いました。この大量に存在するお年寄りには一旦意思決定からお引き取り願って、次の時代、新しい社会を作っていかなきゃならないんじゃないかな、って。(じゃあ具体的にどんな社会を、というのはいろいろあるので、またの機会・・・なんて無いわ。)

でも、そこで気がつきました。10年遅かった。今からその世代闘争を始めたとして、自分らより上の世代を一掃するのに何年かかるか。ひとりひとり、組織の上の方で意気軒昂に頑張っている頑固ジジイ、もとい、頑固なお年寄りの顔を思い浮かべてたら・・・これは10年かかる。そして、10年かかっていたら団塊ジュニアはもう60歳、これは、もしそのときに主導権を握れたとしても既に自分たちが老害だ。悪を倒そうと乗り込んでいったが、悪は自分だった、っていう、ドラクエみたいな状態になってしまっていた。10年遅かった。

だから、思い直した。僕らが戦って、上の世代を追い落としたあと、自分たちも退場しなければ。団塊ジュニアより10年下、1980年代以降に生まれた世代、平成生まれの世代、こういうところが主導できるような社会を作る。僕らは彼らの防波堤になるのが最も美しいんじゃないか。

っていうことはたぶん同世代の中でも全く共感されないと思うけど。今まで散々辛い目に遭ってきて、耐えて耐えて、やっと甘い汁を吸えるって時に、次の世代のために犠牲になれといわれてそうですねとは思えまい。ていうか、そもそも甘い汁など吸えないから。僕らが定年退職して年金も無く路頭に迷ってもまだ、上の世代の一部の成功者たちは当然頑張って座席を死守しているだろうし、そんな中で口をあけて待っていても座席は少なすぎる。僕らが主導権を握れる時など永遠に来ない。たぶん。

ということで、自分は数年のウチに自分のポストを若者に渡して、自分自身はフリーランスになろうと思います。今、決めました。フリーランスならば需要次第でいつまででも働けるし、対価には看板料など入っていない、リアルに社会に貢献した分だと思える。また、フリーランスならば、仕事をする相手を自分で決められるから、取引したくない会社とはしなくていい。お年寄りがいつまでもポストにしがみついているせいで若者が疲弊しているような会社とは仕事を避ける。日本の未来を描けるような人たちに、老骨ができることがあれば惜しみなく提供し、できることがなければ消えればよい。自分一人ではなにもできないけれども、自分自身の生き方、死に方くらいは自分で決められるだろう。

てなことを考えていた週末でした。

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