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No.957 傾聴するとはどういうことなのか、日本における傾聴の間違いとは

この写真は2012年6月、カリフォルニア サンタローザ にある長澤ワイナリーでの一コマである。
とても心地よい場所で飲んだカリフォルニアワインの味は今でも格別に私の感覚へ残っている。

私は長年ゲシュタルト療法を学び、日常の中で、社会の中で実践しているのだが、ゲシュタルト療法はクライエントを傾聴すべきなのかどうかという一つの議論がある。ある人は傾聴は必要ないと言い、ある人は傾聴こそが真髄であると言う。

私の結論から言えば後者が的を得ており、ゲシュタルト療法ほど傾聴が重要である療法はない。
恐らく前者の人々は傾聴という意味をよく理解していない人々である。

日本において、1970年代初め、カールロジャースのPerson Centered Aproach(来談者中心療法)が日本に紹介された時、カールロジャーズのセラピスト側の重要な態度を傾聴の三原則として、無条件の肯定的配慮、共感的理解、自己一致と日本語訳した。

そして、この3つの態度の説明があまり的を得てなかったのだろう。日本におけるこれらの理解はとても表面的なものとなり、残念ながら当たり前に今も広がっている。

無条件の肯定的配慮とは、無条件にクライエントへ関心を払い、クライエントの全てを受容することである。

共感的理解とは、クライエントの気持ちや考えをクライエントの価値観を尊重し、クライエントの立場から理解することである。

自己一致とは、セラピストがあるがままの自分として、クライエントへ向き合うことである。

しかし、この日本における理解がとても浅く、傾聴とはクライエントが発する言葉をセラピストが繰り返すことで理解するとか、または、あたかもおうむ返しが傾聴であるかのように理解されている。

耳を傾けて、その状況にあるクライエントという1人の人間全体を理解し、受け止め、認めるということが傾聴であるのだが。

あまりにもカールロジャーズに失礼な理解が横行している。

話を少し戻すと、カウンセリングやセラピーにおいてはカウンセラーやセラピストとクライエントの関係性の中でカウンセリングやセラピーは進んでいく。

そして、クライエントを理解するために、クライエントが、発した言葉をクライエントへ伝え返したり、要約したりしながら、徐々にクライエントに気づきが訪れる。

しかし、表面的な繰り返しや伝え返しにより、カウンセリングやセラピー自体が上手くいかないことが多々起こる。

ゲシュタルト療法においては、クライエントとファシリテーターとの関係性の中で進んでいく。ファシリテーターとは先導者とか促進者という意味であり、クライエントの気づきをサポートするための道案内人の役割である。

ここがカウンセリングやセラピーとは違うところである。

クライエントはゲシュタルト療法におけるファシリテーターとの関係性とは他に、クライエント自身との関係性が重要となる。

それだからこそ、ゲシュタルト療法のファシリテーターはクライエントの発する言葉を基本的には繰り返すことはしない。

何故なのかといえば、ゲシュタルト療法の原理原則は、クライエントの今ここでの気づきが重要であるという立場をとるからである。

クライエントが今ここで、どのようなことに気づくのか、その気づきがクライエント自身の変化へと繋がっていく。

その時、もしゲシュタルトファシリテーターがクライエントの発する言葉に囚われ、それを繰り返し続けるとするなら、そのファシリテーター自体が今ここに存在することが難しくなり、クライエント全体に起こっている気づきを見失ってしまう。

ゲシュタルトファシリテーターは、クライエントの言葉に囚われるのではなく、クライエントの身体感覚や仕草、感情と言ったらクライエント全体から発する感覚を感じる必要がある。

また、クライエント側からすれば、ファシリテーターがクライエントに言葉を繰り返し伝え返すことで、その言葉に囚われ、自らの感覚は身体や感情から遠退き、ファシリテーター側へと意識が集中してしまう。

だからと言って、ゲシュタルトファシリテーターは傾聴すべきでないと言っているのではない。クライエントの言葉を繰り返したり、伝え返すことが傾聴ではないということだ。

傾聴するとは、クライエント全体からクライエントが発する感覚をファシリテーターが一身に感じ、クライエントの世界を共に歩むこと、追体験しながらクライエント全体を理解し、受け止めることである。

それはクライエントに向き合っているファシリテーターの存在(プレゼンス)によって、クライエントとファシリテーターの世界の中で進んでいくものである。

冒頭の結論に戻ろう。

ゲシュタルト療法ファシリテーターは言葉だけに囚われ、それをクライエントへと繰り返したり、伝え返したりすることなく、クライエント全体から発するその人のナラティブをしっかりと受け止め、理解し、クライエントと共にクライエントの世界を歩み、クライエントの進む道を案内してくれる水先案内人である。

それ故に、本物の傾聴が必要となる。

そして、カウンセラーにしてもセラピストにしても無駄に言葉に囚われた傾聴は必要なく、クライエント自身をあたかも私の大切な人として理解し、受け止めるなら、そのカウンセリングやセラピーは上手くいくはずだ。


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