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中央学院大学駅伝部の4年生たちを応援した4年間を振り返る


みなさんおはようございます、まつです。

久しぶりに、がっつり陸上のお話しをしようと思います。

先日2020年2月9日、守谷ハーフマラソンが行われました。

毎年、中央学院大学駅伝部の選手たちが多数出場する、中央学院ファンとしては欠かせない大会のひとつですが、今回は例年とは大きく違う点がありました。

駅伝部に所属している4年生全員が出場したのです。

4年生がこの大会に出場することは過去にもありましたが、多くて4〜5人程度。箱根を経験し実業団で競技を継続する選手のほか、マネージャーまで含めた14名の「全4年生」が出場したのは、私が応援し始めてから初めてのことでした。

結果としては、主将を務めた有馬圭哉選手が1時間2分59秒の大会新記録で優勝。続く2位にも、従来の大会記録を更新する1時間3分25秒で長山瑞季選手が入り、見事4年生2人がワンツーフィニッシュを果たしました。

ほかの4年生たちも充足感に溢れた表情で続々ゴールしていたし、レース後のSNSは「楽しい引退レースだった」投稿がたくさんあって見ていてほっこりしました。

いちファンとして、こんなにも観に行ってよかったと思った試合は久しぶりでした。

Twitterへの写真投稿に添える文章を考えながら、入学直後から4年間見続けてきた、4年生たちの色んなことを思い出していました。
Twitterの限られた文字数では到底語り切れなかったので、この場で4年生たちのことを振り返りたいと思います。

入学当初は「印象が薄い学年」だった

彼らの入学当時、4年生は双子の海老澤兄弟をはじめとした個性派揃い、3年生は大森澪選手・細谷恭平選手・新井翔理選手の今でも実業団で活躍する3本柱が中心の世代、そして1つ上の2年生は20人ほどの大所帯でかつ「やんちゃ」な子たちが多く、とにかく賑やかな学年でした。

個性豊かな上の世代だけでファンとしてはお腹いっぱいで、新入生への関心が例年よりやや薄かったというのが本音です。

しかし、この学年には2人の大物ルーキーがいました。

横川巧選手と、高砂大地選手です。

2人が注目されたのは、彼らが高校3年生のときの都大路と都道府県対抗駅伝という、全国から有力選手が集まる両駅伝の1区。
東海大学に進学予定のいわゆる「黄金世代」と呼ばれる選手たちが上位をほぼ独占した中、そこに割って入り区間1桁の活躍を見せたのが、横川・高砂両選手だったのです。

全国規模の駅伝で区間上位に来る選手は、青学や東洋、駒澤、早稲田といった箱根駅伝の伝統校だったり優勝争いをする大学へ進むものだと思っていました。

まさか、こんな強い選手が2人も中央学院に来るなんて……。

当時かなり驚いたのを覚えています。

その2人が入学してきた当初、とにかく注目していました。

先に述べた個性が豊かな先輩たち、駅伝界隈を賑わせる2人の大物ルーキーの存在もあって、入学当初のこの学年は「横川くんと高砂くん以外の印象が薄い学年」だったのです。

確立された学年のイメージ

前評判どおり横川・高砂両選手は、存在感のある先輩たちに負けじと入学直後から活躍を見せます。
1年生ながら5月の関東インカレや6月の全日本大学駅伝予選会に出場。7月の順大記録会では、横川選手が当時のチームでは唯一となる5000m13分台の自己新を記録しました。

秋の駅伝シーズンに入り、2人は三大駅伝初戦でたった6区間しかない(=6人しか走れない)出雲駅伝からメンバー入りを果たします。ここでは高砂選手が、最長区間の6区で他大学の主力選手たちを抑えて区間3位に入る活躍を見せ、チームの過去最高順位の更新に大きく貢献しました。

続く全日本大学駅伝や箱根駅伝でも1年生ながら出走し、駅伝ファンにインパクトを残していきました。

そんな中もう1人、1年生ながら全日本大学駅伝と箱根駅伝に出場した選手がいます。藤田大智選手です。

名前が高砂選手と同じ「だいち」だったこともあり、中央学院の「Wだいち」と呼ばれたりすることもありました。
横川・高砂に加えて藤田。箱根を終え、中央学院の1年生といえばこの3人、というイメージが強かったと思います。私もこの学年の1年生終盤の頃はそんなイメージを持っていました。

少しだけその印象を揺るがしたのが、箱根から1か月が経った2月の守谷ハーフでのこと。

ここで、その3人以外の選手が全体で2位に入る活躍を見せました。それが、後に主将になる有馬圭哉選手でした。有馬選手はその後、2年生の全日本で大学駅伝デビューを果たし、箱根駅伝も走ることになります。

しかし、2年目までは相変わらず横川・高砂の2人が中心で、それ以外の選手がなかなか出てこない状況が続きました。

彼らが3年生になる頃には、中央学院ファン以外にも知名度のあった海老澤兄弟や大森選手が卒業していたので、駅伝界隈では「中央学院のこの学年といえば」を超えて、「中央学院といえば横川・高砂」というイメージが定着していたと思います。

この頃の私はまだ、そのイメージに対してなんとも思っていませんでした。

世間のイメージとのギャップ

3年目になると、この学年の勢力図は大きく変わります。

まず、川村悠登選手が一気に主軸に名乗りを挙げました。
川村選手は春~夏にかけてトラックレースに出るたび自己新を連発し、夏合宿を経て9月の日体大記録会では10000mの自己ベストを28分台にまで乗せてきました。その勢いのまま出雲駅伝では1区に抜擢され、区間4位の快走を見せます。

ほかの同期たちも黙っていません。
全日本大学駅伝の5区で藤井雄大選手が、箱根駅伝の8区では大濱輝選手が三大駅伝デビューを果たします。特に箱根の大濱選手は、シード権圏内ぎりぎりの10位で襷を受け、初駅伝ながら区間5位で後続を引き離す、素晴らしい走りを見せてくれました。

2年次に一足早く三大駅伝デビューしていた有馬選手は、すっかりレギュラーメンバーに定着し、どの駅伝でも安定した活躍を見せていました。

駅伝メンバー以外でも10000mで29分20秒台くらいを記録する選手が続々と出ていたこともあり、次は誰が出てくるだろうかと、ワクワクしながら見ている自分がいました。

いつの間にか、私の中でのこの学年の印象は「見ていて楽しい学年」になっていたのです。

一方で3年次の三大駅伝には、横川・高砂両選手がほぼ出場していません。それどころか、2人は駅伝以外の試合にもほとんど出場していません。

だからこそ、久々に表舞台に帰ってきた高砂選手が箱根駅伝の5区・山上りに挑んだことは、大きな話題となりました。

この頃から、「とあること」が気になり始めます。

駅伝のエントリーが出るときの中央学院に関する話題は、横川・高砂2選手がエントリーされなかった出雲・全日本の両駅伝は「横川くんと高砂くんがいない」、高砂くんがエントリーされた箱根駅伝では「高砂くん復活!」。

それ以外、ほぼ見ませんでした。

かく言う私も、(もう1校応援している法政大学を除く)ほかの大学に関してはエース格の一部の選手しか知らないことは否めないですし、熱心なファン以外の反応がそうなのは仕方ないことなのかな、と思っていました。

しかし、他の選手たちも伸びてきたどころか、他大学のエース格とも対等に張り合うまでになった選手もいるのにほぼ触れられない、「世間のイメージとのギャップ」を感じ、少しずつ「悔しい」と思うようになっていきました。

もっと彼らを知ってほしいという気持ちから、こんな投稿を書いてみたりもしたのです。

私みたいな影響力のないアカウントがもがいたところで、何かが変わるわけではないことくらい分かっていましたが、行動を起こさずにはいられなかったのです。

私も彼らが見えていない1人だった

遂に彼らも4年生、ラストシーズンを迎えます。
学年が上がって間もない頃、とある出来事が駅伝界隈で大きな話題となります。

高砂選手が退部したのです。

高砂選手は箱根駅伝の5区で復活を遂げたあと、2月の守谷ハーフで優勝を果たしています。最終学年はこのまま、またチームの主力として活躍してくれると思っていただけに、衝撃を受けました。

そして横川選手も、9月の日本インカレを最後にチームから離れ、実業団と合流してトラックに専念するという情報が入ってきました。

この学年が最後の三大駅伝を迎える頃には、下級生の頃に駅伝界隈を賑わせた横川・高砂両選手はチームにいなかったのです。

そんなラストシーズン。3年生の頃に頭角を表した選手たちに加えて、全日本予選で初めて対校戦に出場した長山瑞季選手が3組で3位に入ったり、10000mで29分1桁のベストをマークした城田航選手が駅伝メンバー入りを果たすなど、この学年の層は更に分厚くなります。

しかし、駅伝のエントリーが出た際の中央学院に対する反応は最早ほぼなく、あっても「横川くん出ないんだ」といった感じでした。横川選手が実業団に合流していることは公にはなっていない情報だったので、そこは仕方ない部分もありますけどね。

なんでこんなにみんな頑張っているのに、こんなにも注目されないんだろう。

次第に「悔しい」感情が強くなっていきます。

でも、、、

試合を観に行くと、個人・チームの目標に向かってひたむきに競技と向き合う彼らの姿がありました。

レース前の集中する姿。ベストを目指して全力でレースに挑む姿。結果が出たときの満開の笑顔。実力を発揮し切れずに浮かべる険しい表情。

残り僅かとなった、大学生としての競技生活に打ち込む彼らが見せるひとつひとつの瞬間が、私には眩しく見えました。

彼らを見ていると、長いこと「彼らが注目されなくて悔しい」なんて感情に囚われていた自分こそ、彼らの本質が見えていなかったのではないかと気づき、自分がなんだか恥ずかしく思えてきました。

「知られていないのが悔しいから、もっと知ってほしい」という、負の側面から湧いてくる感情ではなく、純粋に彼らの競技者してのかっこよさ、彼ら自身の魅力を1人でも多くの人へ届けたいという想い。

彼らが大学での競技生活の集大成を迎える頃には、彼らへの想いはそんな気持ちへと改まり、写真を撮ってSNSへ載せていました。

最後まで彼らの姿に救われた

この学年が迎えた最後の三大駅伝は、出雲駅伝が関東勢最下位の11位、全日本大学駅伝は序盤の遅れを後半で巻き返す健闘を見せたものの10位とシードに届きませんでした。

そして、集大成となる箱根駅伝は11位。5年連続で獲得していたシードが途切れてしまいました。

せめて箱根のシードは獲ってほしかった。

みんないい選手なのに、なんでこの学年で途切れてしまうんだろう。
この学年は、最後の最後まで報われなかった。

箱根が終わると、そう思ってまた悔しい日々が続きました。

そうして迎えたのが、冒頭でお伝えした引退レースの守谷ハーフ。スタートラインに立ったときから、この日の彼らは楽しげで、最初から最後まで笑顔が印象深いレースでした。

彼らがみんな、笑顔で終わってくれて本当によかった。

箱根のあとに感じていた悔しさは、彼らの姿を見ると気づいたら消えていました。

私が身勝手な負の感情を抱くたび、いつでもひたむきに競技と向き合う彼らの姿が、私を救ってくれていたのです。

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守谷ハーフの日の夜は、毎年恒例の4年生追い出しコンパ(追いコン)が行われたそう。
SNSに上がってくる楽しげな写真の数々と、4年生たちの「この学年でよかった」、そして後輩たちの「大好きな4年生」の言葉を気持ち悪いくらい眺めては、片っ端からいいねを押しまくっていました。笑

かなり個人的な感情ですが、この学年は写真を撮って載せると毎回のように「ありがとうございました」って言ってくださる選手が多くてうれしかったです。
こちらのほうこそ、部外者にも関わらず入学から引退まで応援できたことに感謝の気持ちしかありません。


入学当初こそは、印象の薄い学年でした。

しかし学年が上がるにつれてその存在感は次第に増していき、今では今まで応援してきた中で1番好きだったと思える、思い入れの強い学年になりました。

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最後に。

この投稿全体を振り返ると横川選手、高砂選手について少し悪い印象を与えてしまったような気がしてなりません。
2人は間違いなく中央学院大学の駅伝部に、とてつもなく貢献してくれた選手。チームを離れた今でも、中央学院ファンである私にとって彼らもまた大きな存在です。

横川選手は次のステージとなる実業団で、高砂くんは最強のパリピを目指して、今後も大いに頑張ってほしいです。

競技を続ける選手も、競技からは離れて新たな道に進む選手も、その未来が明るいものであることを願ってやみません。

言いたいことすべてを書き切れた自信はありませんが、この辺で終わりにしようと思います。

この文章を終わらせると、彼らを追ってきた4年間が終わってしまいますが、これもまた大学駅伝ファンの宿命ってところでしょうか。

ああ、終わらなければいいのにな。

大好きな4年生たち。4年間ありがとうございました。

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