米を食う日本人、「眉隠しの霊」から

泉鏡花の作品「眉かくしの霊」は、鏡花の友人が奈良井宿のとある旅籠で怪異に出会う話。登場する鶫鍋の描写に食欲をそそられるが、鏡花はお化けや人情だけでなく、食べ物のことも上手に書く作家だと思う。その冒頭に引用された「木曽街道膝栗毛」には、日暮れて奈良井で投宿する弥次郎兵衛と喜多八が晩飯に出てきたそばを食べて「なに、もうねえのか、たった二ぜんずつ食ったものを、つまらねえ、これじゃあ食いたりねえ。」 「はたごが安いも凄まじい。二はいばかり食っていられるものか。」「馬鹿なつらな、銭は出すから飯をくんねえ。」というくだりがあり、ここで言う「二ぜん」「二はい」とはかけそば二はいなのか、それとももりそばでそば猪口二杯なのか、が長い間の謎であった。かけそばは「つゆを付けてから食べる蕎麦(蕎麦切り)は面倒」という、気が短い江戸っ子のニーズに応えて元禄年間(1688年~1704年)に誕生したそうだから、木曽街道膝栗毛が初刷された1811年ならばどちらもありうる。もしも後者ならばさすがに食いたりねぇ、となるだろうが、かけそば二杯ならまぁまぁじゃないのか、と。そこで思うのが宮沢賢治の「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜」である。わが国の米の消費量はピークが昭和37年度で一人当たり118kg/年だったそうだ。一日あたりに直すと320g強だからおおむね約2合強だ。それでも賢治が理想とする米の量の半分なのだから、昔の人はそんなに食べたのか!と驚く。

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