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シン・プロフィール

人生をそれなりに長く生きてくると、
様々な経験をしてくるものです。

私がパーソナルビジネスモデルに関心を持ったのは
どうも若い頃の飽きっぽくて、
放浪癖があるところに由来しているようです。

嵐にも動じぬ己でありたい、てね。

私は北東北の人口4万人、米軍基地のある某市で生まれ育ちました。
この街には寺山修司もしばらく住んでいたようです。
その記念館もあります。

雄大な碧い水平線の太平洋があり、
勇壮な八甲田の峰々が南北に連なり、
この間に平野が広がり、
十和田湖の水が引かれた大地があります。

寒冷地でもあり農作物を育てることには
大変な苦労があったことでしょう。

自律的で権威権力に立ち向かう「海」と
体面を重んじる島国的な「村」の文化が
まじりあった土地柄です。
そして基地の町独特のよそ者が集まる土地です。

高校は隣町・十和田市の工業高校に進学。
卒業後、9割くらいが県外に就職する。
ご存じ、十和田湖に由来する自治体名ですね。

屏風のような八甲田連峰を仰ぎ、サッカーに明け暮れていました。

卒業式も出ずに、上京。
いくつかの大学入試に失敗、
アルバイトをしながら横浜の予備校に通う。
当時都内で有名だった代々木にある予備校ではない。

受験勉強は誘惑が多く予定通り進まなかった。
というのは言い訳で、
職業訓練校のような高卒の学力では
追い付くのがやっとだった。

何とか某私立大学物理学科に入学するものの
キャンバスでキレイなお姉さんにキャッチされ、
英語劇研究会に入会、シェイクスピア劇に夢中になる。

アルバイト先で知り合った芝居好きとアングラ劇団巡り、
果ては劇団立ち上げに参加し、役者稼業もすこし。

前後しますが、経験した職場は、
・新聞配達・洋食&蕎麦屋・高層住宅建設現場
・TVコマーシャルのスタジオ設営
・ハンバーガーのファーストフード店
・家庭教師・肉屋・スナックのバーテン
・プレハブ建設・地下鉄線路工事・踏切工事
・地下水、水質、騒音などの調査会社

23歳、アルバイト先の誘いに乗って
エジプトのスエズ運河拡幅工事・不発弾探査工事に出発。
4次中東戦争のあと始末だったそうです、
当時は爆弾探しと言っていました。

中東といっても広い。
中東の歴史、
バルカン半島はじめ民族の歴史を紐解かないと
容易にこの地域の不安定さを理解できない。

帰国前に、少々ヨーロッパ旅行。
久しぶりの帰国時、機上からの富士山を見たとき
思わず感情が高ぶった。

帰国後元の職場をやめ、
広告代理店に勤めるかたわら同人誌の編集に携わる。
1年半で退職し、その後の職場経験は以下の通り。

・某ゼネコン技術研究所・菓子の業界新聞記者
・アイスクリーム卸問屋
・コンビニなどが得意先の日配品卸問屋
・コンビエンスストア本部事務局長
・販売及び受発注ネットワークシステム会社
・データベース開発のコンサルティング会社

こうして書いてみると
結構な経験をしたものだと思いますね。

今は、ビジネスモデル構築支援コンサルタント。
年に数回ですが、Word、Excel、PowerPointの初心者向けの講師。
パーソナルビジネスモデルの個人向けコンサルティング。

わが人生はこうして書くと、このような文章で表現されてしまう。

振り返ると、我が世代はこんな感じの人たちが
たくさんいたような気がします。

無謀でごちゃごちゃな経験こそ誇り、勲章。
そんな時代だった。

帰国前のヨーロッパ小旅行、
モンマルトルの丘で幾人にも日本人にあった。
ぎりぎりの旅行費でやっとたどり着いたと言っていた。

ちょうど私がエジプトで仕事でしていたころ、
単独サハラ砂漠横断を敢行していた日本の青年が
マリ共和国・メナカにて死亡している。
旅の途上だ。
サハラに死す:上温湯隆の一生』という本がある。
Wikipedea 上温湯隆

私事、今思うと、
あの時にそばに一人でも哲学的な先輩がいて、
汝の人生の行方を見つめる機会を
静かに考える時間を
持つように強く勧めてほしかった。

当時、そんな話に耳を傾けられたかな?
聴く耳を持っていなかった可能性がありますね。

パーソナルビジネスモデル・キャンバスは
今を描いて、未来を展望するツールでもあります。

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