見出し画像

35.一度見てしまったものは、二度と見なかったことにはできない

久しぶりの投稿。昨今,これまで経験したことがない様々な内的変化の渦に巻き込まれており,更新もままならない状態であったが,少しだけ落ち着いた。

少し前はイメージや感覚がたくさん降ってくるので、とても言葉にできず音声録音をしていたくらい。言葉はやはり、無知な自分が使うということもあるが、とても粗い。

丸い世界を無理くり切り取って伝えるという断片的なものにすぎない。

昨今の情報空間はコロナ一色だ。誰もが鬱蒼とする。その気持ちも現実としてあるのだから受け入れながらやっていこう。

常にある世界に「包摂」されている自分

昨今は、何かを調べている最中,考えている最中,人と会話をしている最中、メールを書いている最中、生々しい感情が発露している最中の自分,実際に何か行動をしている自分・・・何をするにも、これらすべての「初期値」に自分とその親の世代も産み落とされたこの世界を支配する論理が完全に内在化されていることに気づく。常にそれに「包摂」されている。

しかし、一度気付いたからと言って,生まれてからずっと空気のごとく在ったものなので、反応の方法変えることなどできるのだろうか。いっそのこと、気づかないほうが良かったのだ。

生きている中で、「知らなほうが幸せだった」「見ないほうが幸せだった」ということはあるはず。しかし一度見てしまったものはもう二度と「見なかったこと」にはできない。今の世界のように。

現実にこの世のすべてを知ることなど誰もできない。皆、これまで自分が生きてきた奇跡や自分のものさしで世の中を見ている。「自分という潜水艦」の中から、潜望鏡で眺めた世界が「これこそ世界の本質だ」と生きざるを得ない。しかし、別にそれでも幸せならそれでいいのだ。







勝手なつぶやきにお付き合い頂き大変有難うございます。不定期ですが、感じるコトバを紡いでまいります。