見出し画像

『当たり前』


10/2(日)の夜9時過ぎ、突然水が出なくなった。
何が起きたか分からず、かなり焦った。そして、調べてみたところ和歌山市の水道橋が崩落し、断水となったのだった。



その日の夕方に「なんか水の勢い弱いなぁ」と異変に感じ、バルブを確認しにいったぐらいなのに、肝心な“情報”を得ておらず、断水となるとは思っていなかった。
突然の出来事ではあったが、対応の遅れは自分のせいなところもあった。


不幸中の幸いだったのは、すでにお風呂に入っていて、湯船に残り湯が十分あったこと。
10/2、10/3の夕方までは、何とかやっていけた。

10/3の夕方からは、
大学の同期が管理している紀の川市のゲストハウスで生活させてもらったため、何不自由なく生きていくことができた(ほとんどの人が大変困っている中で、自分は普通に暮らせていたので、申し訳ない気持ちもあり公にはしていなかった)。


------------------------------------------------------------------------------------------


本当に窮地に立った人たちもたくさんいるだろうから、こんな軽々しく言っていいことではないが、

今回の断水を通して、
学んだこと・感じ取れたこと、もあった。


一つは、
「災害に対する自身の準備不足」

必ず来るといわれている南海トラフ地震。大学の講義でも散々学んだのに、特になんて準備をしていなかった。断水だけでここまで不便になったのだが、ここに電気・ガスも止まってしまったら…。

できる限りの準備はしておこう、と再確認できた。



もう一つは、
「周りの人の“支え”によって自分は生きているということ」

水道橋崩落、断水、のニュースが流れてたから、多くの人が助けてくれたり、連絡をくれた。
ゲストハウスを貸してくれた同期はもちろん、普段からお世話になっている方からはきれいなお水をいただいた。
家族や友達、先輩、一緒に働いた先生、お世話になった農家さん、南紀(@nanki_fc)のマネージャーなどなど、本当にたくさんの方が「なんかあったら言ってよ!」「困ったことあったら頼ってよ!」と連絡をくれた。

あぁ、やっぱり自分は周りの人の“支え”によって生きれてるんやなぁ、と改めて感じた。大変ではあったが、温かい言葉、助けの数々を受けてうれしく思った。



今日(10/9)、無事に水が流れるようになった。

市民としては天災ではない出来事に「誰が責任取んねん!」と思うかもしれない。自分も怒りはしていないが、責任の所在は明確にして、今後起こらないように対策してほしいとは思う。

ただ、
まずは尽力してくださった方々に感謝の気持ちを伝えたい。
夜中の間も復旧作業に勤めてくださった方々、
救援してくださった県内外の方々、
支えてくださった身近な皆さん、等々…
多くの人が見るわけじゃないnoteですが、この場を借りてお礼を言わせてください。

本当に、ありがとうございました!


------------------------------------------------------------------------------------------


今回の件を通して、
改めて、深く心に感じた恩師の言葉がある。


『当たり前』のことを
『当たり前』と思わず
感謝の気持ちを持ちなさい


蛇口を捻れば当たり前に出る水。
しかも、それは当たり前に飲むことができる。

でも、これは決して『当たり前』じゃない。

ご飯が食べられる、
勉強ができる、
サッカーができる、
そして、今を生きている。

こうしたことを『当たり前』と思わずに、感謝の気持ちを持ち続けないといけない、と深く感じた一件だった。



この恩師からの言葉は、
自分の中心となる考え方となっている。

ぼくのTwitterを見たら「こいつ、『感謝』『ありがとう』ってよう呟いてるけど、それで反響呼ぼうとしてんのか?」と思う人もいるかもしれないが、そう思う人に興味はない。

それほど、自分にとって「感謝の気持ち」は大切な感情なのである。


これからの人生でも、
決して「感謝の気持ち」を忘れず、歩んでいく。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?