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立憲民主党が政権を取る方法


「政治とカネ」で政権を覆す戦略は無理筋である


自民党の所属議員、特に清和会(安倍派)がパーティ券収入を正確に政治資金収支報告書に記載せず裏金化していたことが明るみになり政界が大揺れに揺れている。報道によればどうやら長年慣習化していたようだから、安倍首相の在任時にも行われていたのだろう。野党やマスコミがモリカケモリカケと結局何が問題なんだか誰もよく整理出来ていないまま、音飛びCDのように連呼している裏で、本物の不正が長年まかり通っていたというのだから情けない話である。真面目に権力を監視せずパフォーマンスに興じているからこういうことになる。
とはいえ過ぎたことをグジグジ言っても仕方がない。自民党にお灸を据えるために政権交代だ、衆院465議席中96議席を有する野党第一党の立憲民主党に投票しよう!という機運がさぞ高まっていることと思いきや話はそう単純には推移していない。政権と政党の支持率を分かりやすく推移グラフにして発表してくれている報道ステーションのページで確認してみると・・・

顕著に低下する内閣支持率
https://www.tv-asahi.co.jp/hst/poll/graph_seitou.html
与党微減、野党微増の政党支持率
https://www.tv-asahi.co.jp/hst/poll/graph_seitou.html

一目瞭然、顕著に内閣支持率が落ちる一方で政党支持率は与党微減の野党微増で推移している。これは身もふたもない言い方をしてしまうが、政権与党に対して国民は憤りを覚えているが、だからと言って野党を受け皿とみなしているわけではない、ということだ。なぜこんなことになるのか、そしてどうすれば野党は受け皿とみなしてもらえるのかについて考察してみる。

なぜここまで立憲民主党は支持されないのか?


政治とカネの問題で与党の支持率は下がるが野党の支持率が上がらない、ということは、野党も決してカネについて身ぎれいな印象がないからであると考えるのが自然である。恐らく2009年の政権交代直後に起こったこの事件のことを有権者の多くは鮮明に覚えているのではないか。

新聞赤旗より

自民党にお灸を据えてやるための政権交代で最初の総理大臣である鳩山由紀夫氏の政治資金収支報告書が、死んだはずの人から献金を受け取っていたり、政治資金パーティの収入は水増ししていたりのズタボロもいいとこで、調べてみたら実家のお母ちゃんから11億7000万円も無税相続していることが明らかになったという憲政史に残るガッカリ事件である。言葉は悪いがパーティ券収入の派閥のノルマを超えた分の不記載、とかいうちっこい話とはわけが違う。以上を受けてか鳩山内閣の支持率は始めの期待値の高さもあってナイアガラの滝もびっくりの憲政史上類がない急降下ぶりを見せた(もちろん原因はカネだけではないものと思われる)。

https://honkawa2.sakura.ne.jp/5236a.html
赤枠追加:筆者

図を見ると竹下内閣や森内閣の時のように支持率が一桁に落ち込むような政治不信というのは幾度もあるが、支持率の期間当たりの落差という視点で見ると鳩山内閣に比肩する内閣は憲政史上どこにもないことが分かる。何せ鳩山内閣は世界金融危機で未曾有の不景気に襲われるなか、従来からの自民党政権への不信も相まって鳴り物入りで誕生したのである。国民は政治が日本を救うことを本気で期待したのだ。だからこその内閣誕生当初の70%という異常に高い支持率なのである。その期待がわずか9か月で1度も一度も支持率が回復することなく、まるで定規で引いたかのように20%まで急降下した。
鳩山由紀夫氏は現在、立憲民主党の党員ではない。だから本来鳩山由紀夫氏の失態が立憲民主党の支持率に影響するのはおかしい。しかし自民党がここまでやらかしているのに立憲民主党の支持がほとんど誤差レベルの微増なのはなぜなのか。その答えは「お灸を据える」ための投票行動に対する半ばトラウマじみた恐怖心があると考えると非常にしっくりくる。
以上の仮説に基づいて立憲民主党の集票戦略を立てるとすると、政治とカネの問題で与党を追及し共感を集める戦略はやめた方がよいものと思われる。与党に対する不信が広がっている今こそ急がば回れで、有権者に対して「政権担当能力がある」ことをプレゼンしていくべき時なのである。では政権担当能力とは何か。

政権担当能力とは何か

①まずは最低限のコミュニケーション能力を身につける

https://cdp-japan.jp/visions/economic-policies

まず立憲民主党のHPを見たのだが、支持を広げたいはずの団体なのに、そのコミュニケーションの拙さに驚愕してしまった。まず経済政策についてのページ、冒頭から素敵な自筆メッセージから始まるのはいいとして、問題はそれが誰の自筆なのかどこにも書いていないことである。

せっかく自筆で書いたんだから誰が書いたのかぐらい教えてよ!

また文言の内容にも大変な違和感がある。

別に意地悪で頑張って曲解してやろうとしたわけではなく、読んだ直後に率直に思った気持ちを書くのだが、この「人を伸ばす」という圧倒的な上から目線はどうにかならないものなのか。
主権者は国民であり政治家は主権者から期限付きで意思決定権を預かっているだけの存在である。なぜそんな政治家に主権者側が人として伸ばされなければならないのか。なぜ自分が人を伸ばす側だと思っているのか。
産業や消費を「伸ばす」という言葉の使い方にもイラッとさせられる。伸ばした実績があるならまだしも絶無のくせに何を偉そうに言っているのか。もちろん本人が内心で「伸ばす」と思っている分には良いのである。ただその気持ちをそのままの言葉で伝えてどうするのか。相手がその言葉を聞いてどう思うか、という最低限の想像力は持ってほしい。
僕がプロモーション担当ならたとえ内心で「伸ばす」と思っていても表現としては「支える」という言葉を使う。国民は政治に自らを伸ばしてもらう役割など期待してはいない。国民のほとんどは自分の力で生きていこうと必死で働き、必死で学び、懸命に生きているのである。それを邪魔しないでほしい、でも困ったときには時々助けてもらえるとありがたい、そのあたりが政治に対する期待のボリュームゾーンであろう。自らが正しき人の道を指し示す希望である、というような物言いは今すぐやめてほしい。そういう高慢ちきな意識だから自民党がこれだけやらかしてるのに支持されていないのである。

②安全保障政策について、真面目に考えなければならない

与党がどれだけやらかしても野党に支持が集まらない最大の原因が「安全保障」であると思われる。与党は不甲斐ないとはいえ一応、日米安保堅持、日米豪印クアッドなどの枠組みで中国や北朝鮮、ロシアといった軍事的脅威に対する抑止力を堅持し国民を守ろうという方針がある。
この点立憲民主党議員の言動を観察していると、まるで日本に軍事的脅威など存在しないかのように安全保障について無関心な人が多すぎる。
無辜の13歳の少女をはじめ多くの日本人を拉致して奴隷にしたまま日本へ帰さない北朝鮮。
新年早々1月1日ミサイルを撃ちあげて以降、2023年は27発ものミサイルを撃った北朝鮮。
ある日突然隣国に侵略戦争を仕掛け現在までに両軍合わせて推計50万人の死傷者、無辜の市民が恐らく1万人以上も亡くなっている筆舌に尽くしがたい残虐な侵略戦争を仕掛けるロシア。
毎日のように日本の防空識別圏に戦闘機を飛ばし、ほぼ全ての隣国と領土紛争を抱える領土的野心丸出しの中国。
そういう国々に囲まれる国だという認識は最低限持たなければならない。
もちろん人には得手不得手があるのだから安全保障に関して無関心でも良いのだが、そんな人たちに政権を預けられるか、というとそれはまったく別の問題になる。どれだけ自民党がやらかしても野党の支持率が上がらない一番の原因はこの点にあると思われる。平和を望む気持ちはよいが、軍事的脅威に対しては目を背けずに真摯に向き合わなければならない。
昔、自由主義国家論は外敵の防御や国内の治安維持といった最低限の機能しか持たせない「夜警国家」だ、と揶揄されたのである。安全保障は国家が国家である以上、最低限の役割なのである。大事なことだから2回言うが最低限である。ここへの無関心は与党を目指す以上、許されない。

なぜ賃上げ政党としてのイメージにこだわらないのか


立憲民主党を見ていていつも不思議なのが、なぜ賃上げを目指す政党というイメージにこだわらないのか、という点なのである。およそ四半世紀ぶりに物価が上昇基調なのである。国民の大半はこの物価上昇に賃金上昇が追いつくのかどうかに大いなる関心があるのである。むしろ自民党の方が経営者の会合などで賃上げを要請するなど、持続的な賃上げを目指すイメージづくりに成功している。せっかく立憲民主党は日本最大の労働組合中央組織である「連合」を支持母体に持つのに何をボーッとしているのか。
立憲民主党の基本政策を眺めていてもまず立憲主義の尊重が来て、そのあとに差別反対やジェンダー平等、多様性や多文化の共生と続く。その次にようやく経済の話になる。

https://cdp-japan.jp/about/basic-policies

別にジェンダー平等や多様性尊重が大事なのは良いのだけど、いい方は悪いがそれらに対する国民の関心という観点から見ると、それじゃあ票を取れなくて当たり前だよなあ、という感が否めない。確かに国民にそれらが大事かと問えば「大事だ」と皆答えるだろう。ただ国民のほとんどは性差別や多様性について忙しい日常のなかで思いを巡らす時間が少ないというのが実態ではないか。国民に与党を任せてもらおうと思えばまずは「経済」、とりわけ「賃上げ」について具体的な政策をバシッと示して共感を広げ、その上で培った信用をバネにジェンダー平等や多様性尊重といった自らのポリシーについて共感を広げていくという順序を取ればいいのになぜ順番が反転してしまうのか。
言い方は悪いが支持もされていないくせに、自分たちは意識が高いリベラルである、というような値打ちをアピールしている場合なのか。まずは泥臭く賃上げのために奔走し支持を集める、その過程がなければどんな高尚な主張をしていても空念仏でしかないのではないか。

頼むから僕に選択肢をください


僕は選挙ではいつも自民党に投票しているが決して積極的に支持しているわけではない。一番マシだから投票している。自民党議員がせっせと裏金づくりをしていたという政治資金に対する意識の低さにも心底あきれ返っている。しかし立憲民主党が今のまま変わらないなら、僕は次の選挙でも自民党に投票する。選択肢がないという現状に大いなる不満を抱えながら。


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