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差別を減らす方法についての雑考

2024年1月にKADOKAWAから刊行予定だった「あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇(原著タイトル:Irreversible Damage The Transgender Craze Seducing Our Daughters)」が刊行目前で中止になった。
以下はKADOKAWAの謝罪文の全文である。

学芸ノンフィクション編集部よりお詫びとお知らせ
来年1月24日の発売を予定しておりました書籍『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』の刊行を中止いたします。 刊行の告知直後から、多くの方々より本書の内容および刊行の是非について様々なご意見を賜りました。 本書は、ジェンダーに関する欧米での事象等を通じて国内読者で議論を深めていくきっかけになればと刊行を予定しておりましたが、タイトルやキャッチコピーの内容により結果的に当事者の方を傷つけることとなり、誠に申し訳ございません。 皆様よりいただいたご意見のひとつひとつを真摯に受け止め、編集部としてこのテーマについて知見を積み重ねてまいります。この度の件につきまして、重ねてお詫び申し上げます。
2023年12月5日株式会社KADOKAWA学芸ノンフィクション編集部

要するにタイトルとキャッチコピーに抗議の声が殺到した結果、刊行を中止したということだ。いま隆盛を極めつつあるキャンセルカルチャーの一例と言っていいだろう。キャンセルカルチャーとは端的に言って「正しくないもの」の排除を是とする考え方である。いわば正義を実現したいと志す人たちが悪気なく行う排斥活動がキャンセルカルチャーである。今回の刊行中止についても差別をなくしたいと真摯に願う人たちの抗議活動が実を結んだ結果であろう。しかし断言する。

キャンセルでは差別はなくならないし、むしろ増える。

なぜキャンセルカルチャーが差別を増やすのか、そして差別を減らすためには何が必要なのか、以下はその点についての雑考である。


すべての人間は差別する側であり差別される側である

差別とは一般的に特定の属性を有する個人に対して、その属性を理由に不遇な扱いをすることである。属性とは人種や性別、思想信条、社会的身分、身体的特徴、病気など様々である。例えば日本における代表的な差別としては現憲法下で1948年に成立した旧優生保護法がある。遺伝性疾患、ハンセン病、障害がある人に対して「不良な子孫」の出生を防止するため本人の同意なしで、生殖を不能とする手術や人工妊娠中絶が行われてきたのである。現在の常識では信じられないレベルの差別であるがこの法律はなんと1996年まで有効に存在していた。別にこの法律は悪い権力者が優生思想に基づき民意を無視して押し付けたものではない。有権者の民意によって施行され存続していたわけである。そして現在の常識から見れば驚くべきレベルのこの差別的な法律である旧優生保護法を有権者は差別だと思っていなかった。だから1948年から1996年という長きに渡って存続したわけである。
つまり一般的に差別する側は自分が差別する側だと思って差別をしているわけではない。それが差別だと思わずに差別しているのである。
例えば民主主義国家では国家権力に対する監視と批判は無条件で善と見なされがちである。生前、安倍元首相は散々指定難病である潰瘍性大腸炎を弄られ肝心な時にお腹を壊す人だなんだと散々揶揄されたが、それが差別だという意見は皆無だった。菅前首相はハゲを揶揄されていたし現岸田首相はメガネを揶揄されている。しかしよくよく考えてみれば病人や身体的特徴が批判する文脈に出てくるということは、それらの属性の保有者が健常者に比べて劣っている、という差別的な価値観があることになる。でなければ批判する文脈でわざわざ病気や身体的特徴が出てくるわけはないのである。
もっとも僕はその程度の揶揄を問題視する気はない(潰瘍性大腸炎を弄るような人間にだけはなりたくないとは思うが)。民主主義は言論の自由がなければ成り立たない。批判する文脈のなかで言葉が過ぎてしまうことぐらいは許容されなければ民主主義は機能しない。はっきり言って権力者なんて揶揄されるのも仕事の内だと思っている。
ただそれは批判する際に病気や身体的特徴を持ち出してしまう側に差別意識がないことを意味するわけではない。たとえ権力を批判するという正しい目的のなかで言葉が過ぎたとしても、目的が正しいからといって自らの差別意識を浄化するわけではないのである。

差別禁止法が存在しない日本における差別的極右勢力の実態

ドイツ他欧米の国々では今、差別的な極右勢力が力を増している。

ドイツはヘイト行為を厳しく法律で規制する国である。特定民族への憎悪を扇動するような言論には民衆扇動罪という法律によって5年以下の自由刑まである。
またドイツだけでなくイギリスやフランス、カナダなどの先進国でもヘイト規制は特別法で規制されているが差別的な極右勢力は増えている。アメリカでは法制度としてのヘイト規制には、表現の自由を重んじる見地から消極的であるが公民権運動の歴史を持つためか、市民による差別排除運動が非常に盛んであるように見受けられる。その実態はヘレンブラックローズ、ジェームスリンゼイ著の「社会正義はいつも正しい」という本のなかに克明に描かれている。いったん差別的だと人権活動家に認定されてしまうと、批判されるだけではなく大学や企業などでボイコットを受け発言の機会を奪われ、それが誤解であろうがなんだろうが、まるで人民裁判のような私的制裁で社会的地位を失ってしまう事例がこれでもかと書かれている。

そういえば前米大統領のドナルド=トランプは二度大統領選を戦っているが、二度とも奇妙な現象が起きた。事前予測に比べて明らかに得票数が多かったのである。これは考えられる理由は一つで世論調査に対して米市民が素直な思いを答えていないものと思われる。本当はトランプ支持だけど言い出せない雰囲気が蔓延しているのではないか。
ドナルド=トランプ氏は米国第一主義を公然と掲げ排外主義的発言も数々している人物である。日本では好意的な向きもあるが、選挙戦中は日米安保条約は不平等条約だと演説して大衆を煽っていたこともある人物である。日本側の首相が安倍晋三氏で稀代の人たらし、猛獣使いであるから日米関係は壊れなかっただけで安倍氏じゃなかったらどうなっていたかと考えると恐ろしい。
そのトランプを公然と支持していると言えない社会的な空気があるからこそ、事前予測と現実の得票数がズレるのではないかと考えられるのである。

一方、日本は名誉棄損や侮辱罪、威力業務妨害等旧来の法秩序のなかでヘイト行為に対応しているだけで特にヘイトクライムを取り締まる特別法はない。一応川崎市にはヘイトスピーチ規制条例があり罰金刑があるが成立後3年間適用事例はゼロである。

そんな規制に極めて消極的な日本で極右勢力の勢いはどうか。おそらく極右勢力と呼ばれている当事者の人たちは自身を極右だとは思っていないだろうから、極右勢力とは極右勢力と称されがちな参政党、日本第一党、日本保守党であると仮に定義してその実態を観察してみる。
まず唯一国政政党として国会議員が所属するのが参政党である。2023年時点で国会議員は参院比例当選の代表、神谷宗幣氏1人、都道府県議会議員5人、市区町村議会議員136名の勢力である。一応排外主義的な主張もしているらしいが、それらをあまり見聞きすることはなく、どちらかというとワクチンは体に毒だとか、小麦を食べるとガンになるとか、メロンパンを食べると死ぬとか、胡散臭いヘンテコな主張が目立つ政党であるように思われ、欧米の極右勢力と比べるといまいち危険な印象がない。そしてNHK調査の政党支持率推移を見ても特に党勢が拡大している様子も見えない。

https://www.nhk.or.jp/senkyo/shijiritsu/

続けて名誉棄損や侮辱、威力業務妨害等で幾度も党員が訴追され、最も欧米の極右勢力に近い日本第一党の現在を確認してみる。日本第一党とは例えば自分たちの政治的主張を広めるために、党首自ら従軍慰安婦像を模した風船人形に空気を入れるパフォーマンスまでしているド直球の差別主義者集団である。

大すべりしていることに気づかずニコニコ笑顔の桜井誠党首

このような政策を掲げる日本第一党の2023年12月現在の議席数は
衆議院議席数:0人
参議院議席数:0人
都道府県・市区町村議席数:0人
となっている。
世界的に極右勢力が台頭するなか、欧米の極右勢力の主張に最も近い日本第一党は国会議員にも地方議会議員にも誰一人なることができていないのである。前述したように日本国はヘイト行為を特別法で規制するような動きはほとんどしていないにも関わらず世の中にはなんの影響もない政党であり続けている。

最後に日本保守党である。一応極右勢力という世間的な扱いであるがそもそも政策を見ても何がやりたい人たちなのかよく分からない。一応、国政政党を目指しているらしいが候補者はいないらしい。

日本保守党の重点政策の冒頭が以下である。

普通の国政政党の政策集では冒頭には具体的な政策ではなく大枠のポリシーのようなものが書かれるものだと思うのだが、なぜだか二番目という非常に大事な位置に「名古屋城天守閣の木造復元完遂」とものすごく具体的な政策が書かれている。いや、まあ別にやりたきゃやればいいと思うのだけどなぜ名古屋城限定なのか。まだ「伝統的な建築を当時の姿で保存します」とかいう言い方なら分かるのだけど、名古屋城限定で書かれると姫路城や松本城や松江城やその他たくさんあるお城の天守閣のことは考えてくれないのか?という話になりかねない。自己紹介の政策集の冒頭からまず違和感を覚えてしまう。
続けて日本保守党は党首の百田尚樹氏や事務総長の有本香氏の言動を見てもいまいち何がやりたい人たちなのかが分からない。例えば最近では事務総長の有本香氏が
#コオロギ食べない連合
という謎の結社を立ち上げてコオロギ食に反対していた。
コオロギなんて食べたくなければ食べなければいいだけの話だと思うのだがわざわざ結社を立ち上げてコオロギ食排斥運動を行っていたのである。欧米各国が反ユダヤ主義や白人至上主義の台頭に頭を悩ませるなか、我が国では反コオロギ主義が台頭していたわけで、いまいち緊張感がない。この彼岸と此岸の差はなんなのだろうか。ここである一つの仮説を立ててみる。
差別というのは排除すると増えるのではないか?

差別は排除ではなく淘汰されるべきである

なぜヘイト規制を一生懸命行う欧米でヘイトクライムが増加し、ヘイト規制をほとんどやらない日本で差別的な極右勢力が台頭しないのか。それは規制をほとんどやらないからではないか。
日本の極右勢力は規模こそ小さいがSNSでも街中でも自由闊達に自分たちの主張を発言している。それに対して僕が先ほど行ったような批判的な言論もまた無数に溢れている。この思想の自由市場のなかで差別が白日の下に晒され、批判され支持を失い淘汰されつつあるからこそ、日本の差別的な極右勢力は台頭出来ないのではないか。そうでなければ規制がない日本で差別的な極右勢力が弱体化する理由がないと思うのである。
ダーウィンの進化論によれば進化は突然変異によって生じ環境に適応できない種は淘汰されできた種が生き残る。善悪も同じようなものではないか、と考える。
自由社会では何が善で何が悪かを決める権限は誰にもない。誰もが思ったことを思った通りに表現する権利がある。その中で豊かな思想の自由市場が形成され知識や知恵が共有され交換され議論されることにより、多くの人が善と認識する考え方が日々アップデートされていく。
そしてその中では「間違えた考え」にも意味がある。間違えた考えを批判することにより真理はより高みの位置へ更新される。間違えた考えを排除することは、正しい考えの更新も止めてしまうのである。
差別は排除するのではなく批判するべきである、この一見遠回りの道こそが差別を減らすためには最も有効なのではないかと愚考するのである。

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