ふわふわ〜

久々にnoteを書く気がするな。
最近は、なんだかずーっとボーッとしていたなぁ。
日々がくるくると回る。
例えるなら、猫が地球儀で遊んでくるくると大陸が行ったり来たりして壁に反射した朝日が揺れる。
そんな雰囲気の毎日でした。

ステージに上がって、まんまるのマイクに向かって声を出して
スーッと、ライブハウスの向こうの壁を突き抜けて声がどっかに消えていく。
包む時もあれば、過ぎ去る時もあるし、刺さる時もあれば沈む時もある。
そんなふうに曲を感じながら演奏している時、そこに多分自分はいないな。
なんて思う。
それだといいなと思う。
たくさん曲を描きたいなと思った。
すぐやらないと多分、そう思ってる自分はすぐ消えて無くなるから
すぐやったほうがいいな。
と思って、ギターを手に取る。
もう、消えてなくなってることに気づく。
それでもしばらくギターを弾いたりしていると、そもそもそこには誰も何もないな、ってことにまで気づく。
そんなことを続けていると、ふと、景色が浮かんでそのまま歌になる。
そんな感じ。
それでいいと思う。
結局それでまた味をしめて、曲を描きたいな。って無限ループで思ってる。
作曲は最高の娯楽である。

的を用意して、そこに向かって何回も何回も似たような球を投げること。
そういうのも時々いいのかもしれないけれど
今は全然、気分じゃないな。

「ここにいるよ!見つけてよ!」

と大きな声で叫べと、天から声が聞こえる。
多分、もう一人の自分か誰かだと思うけど。
だけど、眠いし腹ペコだな。
と思う。
「ゆっくり眠っておいしいものを食べたいなら、叫べ!じゃないと死ぬよ!」
とまた自分に言われる。
そうして、用意された文言を
「この通りじゃなくていいよアレンジして自分なりに。」
とか言われながら叫ぶのだ。
ひねくれた俺は
「別に見つけなくていいよー!」
と聞こえる声で叫ぶ。

なんだか、ずっとそんな感じだったような気がする。

嫉妬や不安や恐怖や寂しさ。

それらは、悪でもなければ敵でもない。
未来が見えない。
将来がわからない。
とかそんなこと当たり前なのだ。
みんなそうなのだ。
なるべく、不安のなきように過ごす方法ならたくさんあるだろう。
だけど、多かれ少なかれ不安とかってのは探せばどっかにはあるもんだと思う。

冬が好き?夏が好き?
晴れと雨ならどっちがいい?

って、ある?本当に。
夏も冬も晴れも雨も、必要だし愛おしいよ。

最近の俺はそんなような大きなどうでもよさに身を任せてふわふわと漂っているのだ。

好きとか嫌いとかはっきりしてないとずるい。八方美人だなぁ。
なんてことを言う人もいる。
だけど70億人近く人間、いるんだし。そりゃそんな類のこと言う人もたまたまそばにいたっておかしくないよな。
どうでもいいよなぁ〜。
全部なんとなく満遍なく好きだと思うこともできるし、嫌いだなという部分を見つけることもできる。
なんにだってできる。
嫌いと思うのも好きと思うのもほんとは選んでできるよな。
遺伝子的にどうとか、民族的にどうとか、宗教的にどうとか。
めんどくさいよもうそういうのも。
吸って、吐いて、振幅があって。
不協和音も積みかた次第ではカッコよくなったりするもんだよ。
間違いも正解も、自分が決めてることなのに
世界のルールなんてほんとはないと思うなー。

何を美しいと思って、何を表現したいか。
そんなもの明確になくたってアーティストはアーティストである。
アーティストは物心ついた時からアーティストなのである。
どうして?とかなんで?とかどうやって?とか
そういうものは存在しない。
ただ、息を吐くように、心臓が動くように。
理由もなく、生み出してしまうのだ。それでいいのだ。
説明をしなくたっていい。
ありのまま、という文字通り。
あるから、ある、ので、そのままお召し上がってあげてくださいな。