誰かの中に答えはないね。

ふらりと通りかかった甲賀流のたこ焼き。
ソース10個入りが500円になっていて驚愕した。
たこ焼きが500円というのは大阪人の感覚としては非常に驚きの感覚である。
確かに物価も上がっているが、シンプルに高く感じる。
これは感覚の問題なのでしかたあるまい。
21歳くらいのとき、別になんの用事もないのに甲賀流でたこ焼きを買って隣の自販機でコーラを買い、ぼーっと三角公園に座っているのが好きだった。
自分がこの街の真ん中の端っこにポツンと座って、みんなをみている。
鳩が時々近づいてきて物欲しそうな顔をしている。
アメ村の鳩にはおそらく感情がある。

当時の自分にとっては生きるということ自体のハードルが異様に高かった。
アルバイトが本当に続かなかった。
どんなことをしていても、自分はこの仕事よりもやるべきことがあるのになんという時間の使い方をしてしまっているんだろう。
という思いが肥大していって、とてもじゃないけどじっとしていられなかった。
曲を書かなくては。音楽をしなくては。
こうしている間にもみんな練習してうまくなっているのに。
そんな風に思って、仕事に集中できずにいた。
あと単純にめんどくさいのもあったけど、それよりもやっぱ焦っていたずっと。
若いから仕方ないね。の域なんか余裕で超えて全然ダメな人間だった。
過去形で書いたら今はまともみたいだけど、ダメさでいうと今の方が深刻かもしれない。ただ、当時よりも強迫観念的なあせりはない。

俺は変な家で育った。
みんな音楽が好きだった。
母親はミュージシャンだった。父親は落語家である。
とんでもないちゃんぽんである。
当然のように家庭は泥酔し、祖父母が介抱してくれていた。
こういうことを書くといつも母親から苦情のメールが来るのでこの辺りにしておく。
基本的に愛情の溢れる家庭だったので、自分は別にグレはしなかったが、生活に支障が出るレベルで捻くれ者に育った。
まあまあな年齢になってもまあまあだった。
大学にも進学せず。高校の卒業式から帰ったらばあちゃんは泣いていた。
よくない泣き方のほうで泣いていた。
こんな風に育てた覚えはないのだ。と言っていた。
確かに、ばあちゃんの育て方は順当にいけば大学に進学して堅く就職できるような人生を歩めるような育て方だったと思う。
とてもいい教育を与えてもらっていたから確かにばあちゃんは泣いても仕方がない。
だって、孫、音楽で生きていくって言ってるんだもの。
無理じゃん。絶対無理だよ。
と思うと思う。俺がばあちゃんだったら。標準語の方で思うと思う。

そういうわけで、自分は多分、人生というものを舐め腐りながら生きていたのだと思う。
今でも多少その気配はあるが、それでもだいぶましになったのだ。
音楽というとあまりにも漠然としながら。
なんかそんなようなことで生きていくんだろうな。
とふんわり思っていた。
コンビニの夜勤をして、昼はTシャツのシルクスクリーンの工場で働いたりしていた。
全部大体はバンドの遠征費とハイエースのローンで消えた。メンバーも同じような生活だったと思う。バンドってすごい。文句言わないんだもんみんな。
同級生には威勢よくバンドやってて東京にライブしにいってきたんだぜ。とか言いながら実家暮らしで情けないところはわざわざ言わないでおいたりしながら絶妙にプライドを守ったりもしていた。
ぶっちゃけそういう生活だったから馬鹿正直にバイトしてたら全然曲が書けないし練習もできない。
サラ金で余裕で限度額まで借金してそれで金があるっぽい気持ちになって
アンプを買ったりしていた。空虚なアンプである。
空虚なアンプをスタジオに持っていって空虚な練習をしたりしていた。
リボ払いであるもちろん。
そんなこともどうでもよかった。
だって27で死ぬし俺。
と思っていた。
痛すぎる。

そういう奴ほどだらだらと長生きするものである。

そうしてなんとかかんとか、神様っているっぽいなって思うようなミラクルが続いて。
それは事務所の社長だったりメンバーのおかげだったり色々のおかげなのだが、なんとかデビューできた。

まぁなんかダサいことばっかり書いてみたものの
それでもやっぱりめちゃくちゃ意地っ張りで、世間知らずで若くって。
それなりに気合いも入っていたんだと思う。
音楽は自分にとってはもうもはや信仰みたいにもなっていて
変に触られたくない部分でもあったから
ものすごく武装して守ろうともした。
その様子が面白かったりもしたのかもしれないけれど
まぁ今思えば生意気で、それはそれは憎たらしかっただろうなと思う。
いろんな人にとって。

いろんな知識がついて、技術がついて、経験がついて。
それでうまく立ち回れるようになって。
何してるんだっけ。
って思うことが増えて、音楽の輝きがまじでわからなくなったこともある。
27で死ぬんじゃなかったん?必死やん。ってレジェンド達は笑っているかもしれないけれど
ほんと、牛歩だけれど音楽の音楽らしさ。
また思い出してきて、毎日が楽しい。

あとどれくらい音楽作れるんだっけ。と思う。
あとどれくらい聴けて、演奏できるんだっけ。
と思う。
まじで思っているよりは少ないんだと思うんだよな。
昔はただ漠然と焦ってた。
何にもわからないから全部が怖かったんだと思う。
今は焦りこそない分、やるべきことが見えつつもある。

生きて、音楽をはじめて、音楽に生かされて、そして生きると音楽がイコールになって溶け合って。
そんな最中に今いるんだと思う。
生きなきゃ鳴らない。
鳴らなきゃ生きれない。
そんな感じだ。

誰かの中に答えはないね。