あけました

正月をどう過ごせば良いかわからぬ。
ガキの頃から正月はどうも退屈なのである。
テレビをつけてもお笑いばかりでずっと見てると飽きてくるし、近所の友達もみんな田舎に帰って居ないし、かと言って家でいるのもなんだかだし、親戚が少ないからお年玉もそんなには期待できないし。
団地の下の公園でビー玉転がして1人で遊んだ正月もあったな。

そんなわけで、結局大人になっても正月にじっとテレビ見て家にいるというのがむずむずする。
ずっと頭がいろんなこと考えて、じっとしてられない。
仕事の締め切りもあるしレザークラフトもバシバシ仕上げていきたいし、なんせ曲を書きたい。
音楽やりたい。
とかそんな調子なもんで、早く自分のやりたいことをやるために目の前の問題をひたすら解いているような状態なので年始の特番のお笑いを見ていてもすこし腰が浮いているような状態なのである。

昨年はソロでたくさん曲をかいた。
自分1人でやる音楽はどこまでも自由に広がる世界で、机上で鳴らす分にはなにをしても破綻しない。
しかし自由だったはずの曲をライブの現場につれてきて衣装を着せるとどうもサイズが合わなかったり色が合わなかったりするな。
なんてそんなこと少し思いながら過ごしたりしていた。

そもそも自分はシンガーソングライターになりたくて音楽をはじめたので、弾き語りがスタートだったし、小学生のころからMTRいじくって録音したりしてたから宅録もずいぶんと身体に染み込んだ作業だったりする。
自分1人で音楽をやることはどちらかというと得意なことだった。
だから黙々とPCに向かって録音することも、制作することもなんの苦でもなかった。
楽曲提供だって編曲だって、得意分野だし余裕だぜへへん。と思っていたのに
去年の終わり頃から1人で音楽を作ることがとてもとても辛くなった。
もう全然やりたくねぇなぁ。って感じになってしまった。
俺のことをよく知ってる人はそういうモードなんだね。
と、理解してくれるだろうが、それにしてもなんだか、ちょっと苦しかったのだ。
今はやっと少し調子が戻ってきて音楽早くやりたいぜー!
って気持ちになってるからよかった。
なんでそんなふうになったんだっけ。
って思い当たる節はいくつもある。

昨年は何組か若手のバンドの人と関わることがあって、というのもライブハウスの店長さんとかが
「良いバンドがいるんだけれどスタジオの練習みてあげてくれない?」
とかそういうことを持ちかけてくれたりして
せっかくだしじゃあちょっと様子みてみるかな?
なんて思って関わってたりとかそんな感じだけれど。
まだ音楽に夢をみてる彼ら彼女らの純粋なマインドにあてられて眩しすぎるぜ、、、
なんて思ったりしながらバンドの練習みせてもらったりしていた。
クリック練習しようみんなでー、とか
もっとこうしたらライブ良くなるんじゃないー?
とか、時にバンドメンバーの人間関係とりもったりだとか、なんだか知らないけれど大人っぽいことをしてたりしたよ実はね。

まぁそれはそれは楽しい時間ではあるんだけれど
じゃあ、彼ら彼女らに対して俺が言ってあげられることって、なるべく確実なこと。過度な期待を持たないでもらうことくらいしかなかった。
日本のメジャーシーンの現状として、泥臭いギターロックバンドが活躍することの難しさとか、後ろ盾や計画や政治力なしに成り上がることの難しさとか色んなことを思うとほんとにシビアな世界でもあるから、良い音楽やってれば売れるよ!
なんて軽々しく言えないのである。
だから重々しくいうのである。
「良い音楽やってれば売れるという時代ではないが、売れた時にそれを自分がいい音楽だと思えなかったら辛くない?」
みたいな感じの言い回しになってしまうのである。
Twitterにも呟いたけど、日本のオルタナティブトップなんちゃらみたいなプレイリスト上から聞いていってももはやギターが主役のオルタナバンドみたいな存在感って、、、あれ?まじ?
っていうくらい呼吸してない。
w.o.dとかドミコとかちゃんとかっこいいギターロックバンドもいるからそれはマジで救いなんだけど、じゃあ人生かけてバンドやります!これで食っていきます!
っていうマインドの若い人に、できれば言いたい。なんの遠慮もなく言いたい。
「いい音楽やってれば評価されるよ!」
って。
バズるとかっていう概念がいまはあってさ、だから本質的に面白いものが評価されるんですよ。
という人もいるが、人生かけてバンドやってる人間はむしろバズるために何かしちゃいけないと個人的には思う。結果的にバズるなら良いんだけど、長い目で見たいよね。バンドをやるってことを。
今も昔もあまりにも音楽以外で評価される要素が多すぎるのだ。
まあいい音楽とかどうとかってそもそもいい音楽の定義からの話になるけどそれはまたの機会で。

自分はウルトラ運が良かったので、音楽性が割とインディーズな感じでもメジャーのフィールドで音楽できるように色々周りの人が頑張ってくれたりしたけど。
マジで運の要素が強めなバンド人生だったので、人に恵まれてメンバーに恵まれてなんとかやれたけど、いまから丸腰でこの音楽業界という荒地を耕していく若い人たちのことを思うと、なんだか自分がどうあるかとかってめっちゃ大事なんじゃない?
とか思ったりもしたのである。
愚直に頑張ること、音楽にときめいて心の内側を表現することの尊さ。
なんかそういうものを初期衝動と呼んでいい時期を超えてももち続けられることって本当に奇跡だと思うのだ。
音楽の魔法を信じて、追いかけても追いかけても手に入ることはないとわかっていながらもずっとときめけることってほんとに奇跡なのである。
エフェクターを買って、それだけでめっちゃ強くなれる気がしたり、新しい曲を書いて、それだけで世紀の発明をした気持ちになったり。歌詞を書くために旅に出たり。
そういうことが全部、あんまり意味のないことだったと気づいてしまう日がいつかくる。
どれだけいい曲を書いても、どれだけいい音をだしても、見向きもされなかったのに何か別の力が働いて急に状況が変わったりもする。逆も然り。見向きされていたのに、見向きされなくなったりもする。
一つ一つの小さな宝物みたいなときめきがくすんでしまって、熱をなくす時がくる。

だけどまだ先がある。
それでも愚直にやってると、急にある日輝きが蘇ったりする。
ある日点と点が急につながって、音楽が違う聞こえ方になるときがある。
それは何気ないことの連続なんだけど、宝物みたいなときめきが本当に宝物だったのだとわかる時がくる。
売れるために、いや売れなくてもいいからこれで食っていければ、、、
なんて思って必死に食らい付いて音楽鳴らす時期にはそれはそれでその時にしかない輝きは必ずあるけど、なんのためでもなくただそこに存在するだけのために鳴らす日がきて、そうやって消えてゆく日がきて。
その過程で音楽と自分が混ざり合って、生き方とイコールになる時が来ると思うんだなぁ。
あの時買った無敵エフェクター、意味あったじゃん。あの曲のおかげでここにいるじゃん。あの旅があるから今ここにいるじゃん。
ってなる。
人生はその気になれば全部が伏線なんだな。
なんておもったり。

まあそんなこんなで、俺はやっぱりずっと言ってるけど生きるための音楽じゃなくて音楽のために生きたい。
音楽の泉はずっと湧き続けるけど、あまりに使うスピードが早いと一時的に枯れたりはする。経験上。そうなってくると自分を簡単に許して早く次に行こうとしちゃう。
ずっと何かが少しずつ足りないなって状態で進むことになる。
仕事なんてそんなもんだよ。
という人もいる。
じゃあ仕事にしたくないかも。
と思う俺がいる。

と、いろんな堂々巡りでちょっと苦しかったのかもしんない。
だけど今はすっかり大丈夫。
今も昔もずっと自分は音楽のために生きてるんだし、俺の音楽もそれをわかってる。
それに、俺の音楽好きな人は俺よりもっとそのことわかってくれてるって感じる。

2023年は大暴れの予感がするよ。
なんだか好き勝手やる予感だ。
いい音楽やってれば評価されるよ!
って、本当は自分が一番そう思いたいんだよね。
ね。

ことよろー。