テレパシー

「もしテレパシーが使えて、人の心がのぞけたらどうなる?」

小学生の時に、道徳の時間に先生がポロリと口に出した言葉だ。
要するに、人の心の中までは見ることができないから思いやりを持って学校生活、ひいては人間関係を構築して行こうね。的な文脈ででた言葉だったのだけれど、多くの生徒が
「覗きたいけど、知らない方がいいこともあると思う。」
と口にしていた。
「こっちの心も覗かれたら嫌だから覗かない。」
と言っていた子もいた。

そう、知らない方がいいこともたくさんあるっていうのは小学生くらいでも思ってたことだったのだけど、多分もう今の人は感覚が全然違うんだろうなとも思う。

自分が中学生になるくらいの頃から2chが流行り出した。
何とも言えないあのアンダーグラウンドな感じと、匿名で書き込んでもいいという「誰がいうかではなく何をいうか。」の価値観のおかげで爆発的に日常に2chは浸透した。
もちろん匿名なので、暴言だとか荒らしだとかも発生するのだけれどネットリテラシーなんてものもまだまだ黎明期、まに受けてマジでショックを受けてしまう人もたくさんいた。
その頃から、人間の心の中がどんどんネットに溢れるようになっていったと思う。
インターネットはどんどん進化を続けて、今や人間の生活に切ってもきれないものとなっていった。
テレパシーとまではいかないまでも、スマホがでてくる以前より簡単に人と連絡が取れて遊びも仕事もめちゃくちゃ効率化が進んだと思う。

時代というのは変わっていくけれど、人間の進化ってそんなに急速には進まないだろうからほんとについていくのが大変で、自分の世代はギリギリインターネット以前を知っている世代でもあるので、その後の世代のことを思うと全くなんの想像もつかない。
それに、どうも時代は悪くなっているようにしか思えない。

10年かけて気付くことを30秒で知識として手に入れられて
2時間かけてCDを探したりすることもなく、とにかく全部がスピード感に満ちている。
もう多分人間がコーナリングできる速度を余裕で超えてて至るところで事故が起きているように思う。

技術は狂ったように進歩して、デジカメは人間の目よりも多くの情報を保存できるようになったし、オーディオもクリアすぎて敢えてアナログの再現をして劣化させたりするということも起きている。

人間の欲望はどこまでいくんだろうな。
と思う。
人口が単純に増えていて、地球の大きさは変わらないから単純計算で一人当たりの人間が持てる土地も資源も少なくなっていってるということで
そりゃ限りあるものをたくさんの人で奪い合っているわけだから生活が大変なのも仕方がないなと思う。
共存。なんて言葉最近はあんまり大きな声で言ってる人いるだろうか。

そんなこと考えていると心のどこかが少しだけどんよりしていく。
自分にできることってなんなんだろうと考える。

自分の思いというのを言語化して伝えるのはとてもむずかしい。
ある人に
「こういう世界になればいいのに」
と理想を語ったことがある。
その人は、
「それを言い出したら国を作るしかない。」
と言った。
それを今でも時々思い出す。
国かぁ。と思う。
「今のあなたはやはり歯車で、大きな日本という経済の流れの一つのピースでしかないんだからピースなりに、それなりにがんばりなさいよ。」
と当時の自分には聞こえたんだと思う。
だけど、それは真っ当だとも思う。
自分の運命とか実力とか立場とかと向き合って、直ちに変えることのできない、しかも可視化できているわけでもない漠然とした大きな「時代」みたいな概念にイライラしながら過ごすよりは、その流れの中で覚悟を持ってちゃんとそこに対峙しながら試行錯誤するというのはものすごく真っ当なことだと思う。
そうできたならどれだけよかったかとも思う。
自分は青くて、とても生意気で、この世界のことなんか何もわかっていなかった。
というか今でもわかっちゃいないと思う。
力のない、ちっぽけな存在のまま何を吠えても変わらんよ。
というのはとてもよくわかっている。
だけどやっぱり、みんなダンマリ決め込んで多数決(それもかなり偏りのある不自然な)に従って、その流れのなかで真面目な人ほどちゃんと覚悟を持って多数決をもっと多数決にしていく。
音楽もエンタメも政治もどんどん色んなボロが出てきて、こういう中でも周りの動向がわからないと自分の置かれる立場もわからないという仕組みが出来上がっていて。
なんだかやっぱりとても不自然だな。
と思う。
だけど生きるためには仕方ないのだろうか。
だったら別に生きなくていいや。と思う人がいても仕方ない世界だと思う。
自分だって気持ちの悪い世界の一端をになっていて、大きな流れは自分ではどうにもできないと言われながら母体はどんどん高度を下げ、有毒なガスを撒き散らしながら空を汚し、いつ墜落するかわからない。どうせいつか死ぬなら面倒だから今でいいっす。なんて言い出す人がいても仕方ないよね。
そんな状況で生きていくのはとてもきちぃ。

だけど、俺は死にたくないね。
このまま世界が戦争を始めて、それで家が燃えたり国が無くなったりしても
俺は俺のままで音楽を続けれるんだろうか。
なんて考える。
そして音楽はどんな状況でも続ける。
あまりにもネガティブなイメージだけど、そんなこと過ぎってしまうくらいには日々が不穏だ。
それに、自分は歯車で抗えない大きな力には乗っかろう。って話なら戦争も止められないってわけなんだろうから、大きくそっちに流れるなら自分もそこに居なきゃいけないんだろう?
多数決ってそういうことだろう?
独自性を持って生きていくと淘汰されるってそういうことなんだろう?

この心と頭の中に詰まっているものだけでも自分が自分でいられるように生きなくてはいけないと思う。

こんな世界で、自分ができることは頑固に自分を貫くことだと思う。
時代を乗りこなして。とかじゃなくて
時代が変わっても残ることを刻み込むことをし続けないといけないんだと思う。
どんなにちっぽけでも、自分の頭で考えて自分で出した答えで世界に挑む気概がないと、本当に戦争が始まると思う。
音楽が自由にならなくなった時、その合図なんだと思う。
音楽家は、何があってもどんな場所でも自分の音楽を鳴らさなきゃならない。
多数決が少数派を殺す世界に君は生きたいだろうか?
芸術のような意味のないことを生み出し続けられない世界に生きたいだろうか?

生きる意味は必ずある。
それは自分で確かめながら生きればいいのだ。