一流品

今月のBRUTUSは松浦弥太郎の特集だった。
すべて彼が好んだ一流品の紹介だ。
思い切った潔い特集だ。


選び抜かれた確かさと美しさに魅入られた。
一個人の好き嫌いで雑誌を作るだなんて、
いかがなものかと危ぶんだが、それは三流
男の浅はかな杞憂だった。


一流品を望み求めた一流品の男の深さを思
い知った。


紹介された一つ一つに、優雅さと知性と、
確固たる具体性があった。美しい。
人として生まれて、いく数年生きてきたなら、
このような品を、身の回りに置きたいと
しんしんと思った。


恥ずかしながら、僕自身も一流品を望みな
がら生きてきた。しかし、ほど遠い人生が
流れてきた。


振り返り、いったい僕の身の回りに一流品は
どれほどあるのだろうかと見渡せば、実に
心許ない。


それでもあえて見渡すならば、僕の友人と
同じぐらい少ないが、確かにある。


それはMacだろうか、iPadだろうか。
確かに、間違いなく、僕が恋い焦がれた存在
で有り、それならば一級品と言えるかもしれ
ない。


しかし、何か違う気がする。


それらは、ほんの数年で陳腐化するものたち。
永遠とはいかなくても、人生の伴侶とはなり
えない。かわいそうだが。


数年ごとに、手元から離し、次の似ているけど、
全く違いものに変えなくてはいけない。


薄ぼんやりと僕が考える一流品とは、長く変
わらず、高い幸福を与えてくれるものだ。


それでは、なにがあるだろうと考えるに、
一つだけこれだと納得できるものがる。
それが、万年筆だ。


ペリカンの万年筆。さほど高くは無かったが、
それでも2万円強はしたものだ。これが、
僕にとって、手にしている唯一の一流品である。


常に変わらぬ書き心地と、なめらかな手触り、
文字を書くときのなめらかなインクの放出は
実に快楽である。


さほど満たされてもいない人生だけど、
本物と言える一級品がここにあると思うだけで、
とても幸福になる。


確かに、代替え品は無数に有り、使用には全く
問題ないのだが、一流品の持つ深く高い満足感は、
代えがたい貴重な資産である。


その、一級品を存分に使うために、今日、
モレスキンのノートを買った。


たかがノートに2千円弱も出してしまったのだ
から、正直、分不相応なものだけど、一級品に
見合う歓びを与えてくれるのだから、毎年、
出来心で買ってしまう。


だいたい、一年で書き終えるから、元は取れ
る。これから一年、一流品とまた歓びを
分かち合える、そんな気持ちに少し高揚している
今の僕だ。

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