「フューリー」冒険の幸福な結末。

「神は細部に宿る」そんな言葉がある。
細かく、細かく、隅々まで、最善の最高のまなざしを
むけ、かけがえのないものを作り出す。

デヴィッド・エアー監督の「フューリー」を観た。

神という言葉が憚られるならば、神と同様のまなざしを
持った、監督の視線が細かく、細かく、隅々まで意思を
持ちむけられた作品だった。

ハリウッドの量産型大作が幅をきかせる昨今。
映画を創るものとしての監督の存在が希薄になって
来ている。

残念なことだ。

確実に利益を生まなくてはならない
今の映画だから、一人の人間の力量に左右される
ことは許されない。それは判るが、映画の神が薄ら
いで、耐えようのない空虚感が支配する、そんな
映画が増えてしまった。

しかし、この映画は、それが無い。

キャメラが、ストーリーが、人が、モノが、草木が、
一つの視線の先に束ねられて、重厚な物語を作る。

よくもまあこんな濃密で集中された作品が出来たものだ。

登場するドイツのティーガー戦車は数少ない現存する
ホンモノを使用している。その戦闘シーンの一つひとつ
は、戦慄を覚えるほど旋律を奏で、観ている私を魅了
した。

臨場感のある戦闘シーンだと、ただただ、ぶれた映像と、
乱雑なカット割りで、乱暴に投げ捨てる監督が多い中、
はっきりとした見せる意味を持ち、一瞬たりとも、無意
味なものがなく、消炎と爆音と悲鳴の中で、途方に暮れる
こともない。

細かく、細かく、華やかに、意思を持つ、悲惨なシーンだ。

この監督がどれほど今の映画界に影響を与えているのか
わからない。が、他を意に介さない傍若無人な創造者で
あることには間違い。

そんな独裁者が撮った、独裁者を倒す映画。とても楽しんだ。

もしかして、唯一監督が譲歩したのが、ハリウッドスター
のブラッド・ピットの起用だろうか。それがないと、
人は今よりもっと劇場に足を向けない。致し方ない事実
として。

だけど、決してそれは悪くなく、彼はスタートしての華やか
さを、匂い立たせながら、演技者としての意思を見せている。

彼がでてなければ、正直言うと、やっぱり映画は沈殿する。
スターというのはやっぱり映画を浮かび上がらせる。
いい意味で。

そう言えば、若手で人気が出ているシャイア・ラブーフも
でていた。彼はあまり好きな役者では無い。顔がとても
弱く感じ、人気はあるが、深みは薄いと、見ていた。

それがこの作品では、戦闘の中で追い込まれ、綱渡りのよ
うに生きることを望む、戦車兵の全てを私の嫌いな彼の
顔で表している。

この作品を撮る前、役者たちは集められて、兵士さなが
らの訓練を受けた。その中、あまりの辛さに、弱音を吐く
役者が多かったようだ。また、撮影前には役者同士で、
殴り合いをさせ、否応無い暴力を体に染み付けた。

彼らには悪いが、細部にわたり徹底した意思と行動に司られた、
映画であることを、私自身もヒシヒシと体で感じ、歓び
に満たされた。

今日、月曜日はイオンモールの映画館では、1100円で
映画が観られる。久しぶりに映画館で映画を観たいと、
衝動に駆られた私は、映画館に飛び込んだ。その、ちょ
っとした冒険は見事に私を幸福にした。この映画のおかげ
である。

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