変わる時

変わらないといけない時が人にはあります。それは組織でも国でもそうです。

この間、ニコンの早期退職者募集の記事を読みました。かなりの赤字が出てとのことです。

カメラが思うように売れなくなって、今までのやり方では通用しなくなりました。だけど、新しい方向へ舵とることができずこんな結果になったようです。

成功体験がこんなことになった原因かもしれません。ニコンのカメラは世界を変えるほどの影響を与えたのですから、すごい成功体験です。しかし、今やスマホで十分撮れる時代です。それに、ミラーレスが発達して、小型で軽くても、本格的な写真が撮れます。

頭ではわかっていても、かえられないのでしょう。

僕の友人も変わらないといけない状態になりました。彼はいろんなところに自分の身の振り方を聞いたようです。

占い師のところにも行って、お金を払って今の状況を相談しました。彼が言うには、1万円払ってとっとと、いい占い師に見てもらった方がいいとのことです。真意はわかりませんけど。

そんなこんなで、人は今までの方向を自分の意思で変えるのは、考える以上に難しいのではないかと思います。

絶対的な成功体験やら、今までそれなりに苦労しながら培って来た技術や、安定して続けて来た仕事やら、よっぽどの問題がない限りは、将来的に壁にぶち当たってしまうことがわかっていても、変えられないのです。

正直、成功が約束されていれば、ちゃんと考えて進む報告を変えることができますが、大抵はどうなるか全くわからないですし、ある程度は結果が分かっている今の状態を捨てて進むことができない。

二進も三進もいかなくなってから、慌てふためくか、絶望なんてわめきながら止まってしまうのが関の山です。

どこかの誰か、思慮分別が十分あって、正しい生き方をした経験豊かな人に、背中を押してもらいたいのが本音です。それか、本人の中に成功やら、失敗やら、そんな外面的な結果ではなく、心の奥底で臨む理想や、希望みたいなものがあれば、それが一番なのかもしれません。

そう考えると、やはり、変わるべき時には、いったい自分は何を憎み、何は望んでいるのか、それを真摯に考えなくてはいけないのでは、なんて、思ったりします。

それにしても、柄にもないことを書いてしまいました。

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