シンプルな人生

いろいろ考えて、iPad 4thを販売することにした。
またiPadを買うつもりでいるけど、取りあえずはしばらく
iPhoneだけで生活するつもりだ。

また、iPhoneとMacの生活に戻った。

iPadを手放し、かなり不便になるだろうと心配していた。
だけど、思いのほか不便でもなく、かえって、シンプル
な生活に心地よさを感じている。

あれほどiPadを愛おしく、日々手放せないほどの存在
だったのに、無くなれば無くなったなりに、生活は続く
ものだと感じた。

今まで、iPadを常に持ち歩いていた。出来ることが多く、
使いながら様々なことを発見した。だけど、出来ないこと
も明らかにあり、必要に迫られて、結局MacBookProも
鞄に入れていた。

それは、極端に重い二つの手放せない存在で有り、
心身共に重荷になっていた。重いだけでなく、思いの方
にも複雑さを生んでいた。

こうして、手のひらで転がせるiPhoneと、全てを手に
含むことのできるMacの、両極端な手放せない存在だけ
となり、それぞれの意味と価値が離れている分、シンプ
ルな行動と結果になった。

捨てることは難しい。考える以上に難しい。自分が際限
なく寄せ集めて、積み重ねて、押しつぶされる人間だか
ら、その、深刻な習性を痛いほど感じる。

必要な事以外、削り取り、前後不覚になるほど、たった
一つの深刻なほど重要なことに没頭したい。そう、願い
つつ、気持ちの流れのまま、必要な膨大なガラクタを集
め続けるのだろう。

それを克服し、願いのごとく生きるには、強靱な勇気を
持って、身の回り触れる全てを切り刻むか、残酷な環境
で否応なく切り刻まれるほかないのだろう。

出来れば後者は願い下げだが、意外と人間が本当に変わる
ことが出来るのは、後者の方が多い。

現に、今こうしてシンプルな生活をせざるを得なくなった
おかげは、お金がなくなったという、身も蓋もない、
どうしようもない人生の結果なのだから。

さて、このままiPadを無しの生活を続けるのか。それは否。
重いiPadは手放し、軽いiPadのminiにするつもり。代わりに
iPhoneは手放す。それがどういう結果になるのか、挑戦だが、
シンプルで、明らかな生活を得るはずだと仮説を立てている。

さて、どうなるのか。神のみぞ知るセカイだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?