街角の古い映画館と映画の生命

久しぶりに静岡に出張して、仕事場所まで結構距離
があったのだけど、せっかくだからぶらぶら歩くこ
とに。

いつもは歩かない道をぼんやり歩いていたら、古びた
建物に当たった。なんだか興味引かれる外観だったの
で、何だろうと立ち止まってよく見たら映画館。

なんとも昔懐かしい雰囲気の映画館だ。今やこんなも
のは絶滅危惧種となり、みんながたのしめるシネコンに
なってしまった。

いいことだとは思うけど、作業服で暗い顔をして、暗
闇に紛れ込むことができなくなった。ちょいと昔の映
画館はこんな感じの、街の片隅に、薄汚くて、のんび
りと建っていた。だから、安心して暗い人生を暗闇に
押し込めた。

身なりがこきたなく、人生も薄汚れた人間が、気兼ね
なく満たされない美意識を慰めることができた。

同じ様なにおいが館内に漂い、人生と同じ様な窮屈な
椅子に身を潜めて、きらめく銀幕に満たされない美意
識を放逐する。醜悪な現実を持つ人間が、数少ない、
行き場のない美しさを掴める場所だった。それが許さ
れるこきたなさだった。

もう、こきたない作業服のポケットに手を突っ込んで、
あっやっていたと、何気なく、臆面もなく、チケットを
買い、名画を観るために、それだけのために、のみ込
まれることがなくなった。

そう言えば、シネコンで本当に人生の敗北者みたいな、
そう、僕みたいな人は見かけなくなった。洒落に
もならないシャツを着て、暗い顔をして、それでいて
熱心に映画を観ていて、涙なんか流してしまう。そん
なのはいなくなった。

なんだか世の中に認められない人間というか、見向き
もされない人間がいて、残念なことに、そんな人間の
中にビックリするほど、美しさを分かるやつがいる。

そんなやつを受け止める暗闇が必要だと思う。そん
なやつの美しさを、誰にも知られず慰める場所が必要
だと思う。

街の薄汚れた映画館はまさにそんな場所だった。
そこでかかっている映画は、行き場のない美しさを
受け止めて、満たしてくれた。

だがもう、映画館はそんな役割を押しつけるところで
はなくなった。満たされた生活そのまま、明るく、
整えられた、正しい場所となった。悪くはないが、
ほんとうにこれでいいのかと思う。

世の中に行き場のない、美意識を集め、束ね、そこから
生まれる儚い歓びが、人知れず次の創造へ成長していく、
この流れが消えてしまうのはとても惜しい。

ふと思う。捨てられて、行き場のない者の中に宿る、
美意識を捨てた先に、映画は生き残れるのだろうか。
と、もしかしたら、世界をも変えたかもしれない、
美と感動を描き続けた映画の命は、今まさに消えか
けているのかもしれない。

ちょっと、身勝手な想いをつらつらと。

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