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影は何を思うのだろう

私はたまに誰もいない場所に黒い影を見ることがあります。いつも見るわけではなくて、ごくたまにに起こる頻度です。近くに住む友人に話すと、そこで数日前に事故があって人が亡くなったという話を聞くことがあります。一般的には「霊」といわれるものかもしれませんが、私は一般的に語られる霊ではなくて、共感覚による知覚作用ではないかと思っています。共感覚というのは1つの刺激から複数の種類の知覚が引き起こされる現象のことです。有名なものは文字から色を感じたり、音から色を感じる人もいます。こんな現象のひとつではないのかと感じます。

霊とは違うというのも、その影は何も悪いことをしません。そこにあるだけ、いるだけです。ホラー映画のように人に取り憑いたり、呪ったりもしません。ただ悲しいイメージがすることはあります。近くにある何かの情報を得て、影として知覚しているのでしょう。ただ私は文字から色を感じることもありませんし、人のオーラみたいなものも見たことがありません。一体なんでそんな影を感じるのかもさっぱり意味がわかりません。あまり大勢の人がいるところで感じることは少なく、うるさい場所よりも静かな場所で見ることが多いのは、「霊は静かなところが好き」とかではなくて、自分の感覚が静かな場所のほうが鋭くなるからではないかと思います。

人が亡くなった場所でそんなものを感じることが多いのですが、街全体がそんな場所があります。それが鎌倉です。私は歴史が好きではなくて、どこでどんな戦いがあったかとか詳しくないのですが、鎌倉には苦手な場所が多く存在します。なんで苦手かよくわからなかったのですが、大河ドラマの「鎌倉殿の13人」を見ていると、なるほどと感じることがあります。

私は霊はあまり怖いものと捉えておらず、亡くなった方は生きている人間に何かの影響を及ぼすものを残し、たまに生きている人間がそれを知覚するものと思います。鎌倉は長い年月を経ても残っていますが、一般的には亡くなったばかりの方のほうがより強く感じることがあります。以前、ある方が亡くなり、お葬式の当番として残っていると、亡くなった方の気配を感じることがありました。面白いことに亡くなった方の子どもたちが全く同じことを言ってくるのです。食べたいものを言ってくるので、お供えすると喜んでいるイメージを持ちました。実際には食べられなくても「あなたのものです」とお供物に所有の指定すると、とても喜んでいたイメージを持ちました。不思議なことに子どもたちはそのイメージを私よりもはっきりと見ていました。そして、ある一定の時間が経つと突然感じなくなり、子どもたちに確認すると、やはり感じなくなったという答えがかえってきました。

これをポジテイブに捉えるなら、亡くなった方ともしばらく対話のようなものをすることができて、気持ちの整理をすることにつながるとも思います。気配として感じるだけでも身内ならうれしいものです。これは単に自分の脳が作り出している感覚かもしれませんが、そんな感覚を大事にして、亡くなった方の思いも感じていきたいなと思いました。



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