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なぜ食べ物を粗末にしてはいけないのか

小さい頃、ご飯をお茶碗に数粒残すと母親に
「お米の中には七人の神様がいるの。だから粗末にしてはいけないのよ」
と言われて育ちました。
私はそれを聞きながら、1粒に七人の神様がいるならば、お茶碗に3,000粒入っているとして、この中には21,000人の神様がいて、それを365日、1,095回の食事。半分ぐらいはご飯食として、1年で1100万人の神様を食べているのかー「それはそれで罪深いなー」と感じていました。

お米を残すことは神様を粗末にしていることと同じという意味はよくわかり、なんともお米を一粒でも残すことに抵抗があるようになりました。

なので、出されたご飯は残さず食べるのは当たり前で、食べ放題で残すことには強い罪悪感があります。
たくさん食べられるという大きくなった気持ちで、一度にたくさんの料理を取らないようにしています。また、私は沢庵のようなお漬物が苦手なので、食卓にあるものは食べませんが、お弁当に入っていると、ついついもったいないので食べるようにしています。

世の中には食べ物を粗末にすることがネタとなっている「食べ物を粗末にする系YouTuber」という人たちがいて、食べ物を投げたり、捨てたりする動画をあげて、炎上でお金を稼ぐ人たちがいるそうです。
(稼がせたくないから、絶対に見ない)

でも、なんで食べ物を粗末にしてはいけないのでしょう。

粗末にしていけないと、そう言われて育ったからでは、誰が別の人に明確に伝えられません。説得力もありません。それは正しく理解していないことではないかと思うのです。

よく言われるのは、食べ物を粗末にするのは作ってくれた人への冒涜、命をいただいている食材への感謝がないからと言われます。

確かに自分の口に入るまでに食材は様々な人の手を通ってきます。カレーパンひとつとっても、畑を作る人、小麦を育てる人、カレーを作る人、パンを作る人、運搬する人、お店で売ってくれる人、誰もが粗末にされることを望んでないと思います。確かに関わった人全ての人に対して失礼です。でも、中にはお金さえもらえたら、どう扱われてもいいと考える人もいるかもしれません。また、生産から消費者までの間で、本当に食材を大事にしようとする動きがあるかは疑問です。「安全性」「効率化」などの名目で、食材を大事にすることよりも、途中で廃棄されてしまうこともあります。ここで考えてほしいのは、「食べ物を粗末にする系YouTuber」みたいな人は論外として、私たちを含めて、「お金」を優先して優先していないかという問題です。特には手間やお金がかかっても、それぞれ作ってくれた人へ感謝して、食べ物を大事にする動きがもっとあってもいいと思うのです。

ところが粗末にしていけないということを全ての考えの上位にするのも危険です。人はなぜ食べるのかというと、生きてくために必要だからです。だから、もったいないという理由で、アレルギーなど食べられない人に、食べることを強要してはいけないはずです。

「健康が一番大事」次に「無駄が出ないように工夫すること」が大事という優先順位は明確にしておきたいところです。

もう一つ忘れていけないものが、食材への「感謝」という考えです。

もし、自分が食用の牛だったらどうなのだろうと考えます。私は少しでも「生きたい」、心地よく暮らせるならば「ずっと生きていたい」と思います。人間に感謝されたら救われるかと言ったら救われません。ただ生きたいと思います。感謝されなくていいから「生きたい」と思います。

そして次に思うことは、とりあえず殺しておこうではなく、食べる量だけ食用に回してもらえるなら、自分の命は少し長くなるかもしれない。ならば、「必要な分だけにして、無駄に殺すのはやめてほしい」と思います。感謝なんてほしくありません、生きたいのです。むしろ、感謝されることを免罪符にしてほしくないと思います。

人は他の生き物の命を頂かないと生きていきません。私は動物を食べない人が動物を食べる人を批判するもおかしいと思います。植物ならば、殺していいのかという論法がわかりません。動物は痛みを感じるという説明も、植物だって生きたいと思うはずです。痛みだって感じているかもしれません。人が知らないだけかもしれません。50歩逃げた人が100歩逃げた人を批判しているように見えます。植物だって生きています。

人は動物、植物、他の生き物の命をいただいて生きています。
ここには正当化される要素もないかわりに
責められることもないと思います。
人が生きるということは、そういう仕組みなのです。

私は作ってくれる人、生き物に感謝をすることは当たり前であり、
その上で、自分が食べる分だけの命をいただく。
食べ物を粗末にすることで、死んでしまう牛や豚の数が増えたり、生きられるサイクルが短くなることこそが罪深い行為だと思います。

それが私の考える食べ物を粗末にしてはいけない理由です。

もし、自分が「死にたくない」と考え、かつ食べ物を粗末にすることは、とても都合の良いことをしていると思います。小盛、中盛、大盛などは個人差があって良いと思いますが、「無理に」大食いにチャレンジするのもよくないと思います。

人がご飯をたくさん食べるのを見るのは嫌いではありませんが、自分の中で考えの整理ができてくるうちに、無理して食べる大食い動画を最近見ることがなくなりました。個人的には「孤独のグルメ」の五郎さんの食いしん坊で2人前食べてしまったぐらいが良いと感じます。










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