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ブタが産まれた日
ポーポーは丸い。内面ではなく、外見が丸い。
人と会うと、なぜか「あれ、痩せた?」と言われる。それは記憶が特徴的なものを誇張して覚える性質のためだ。
本物はそんなに変わっていないか、むしろゆっくり成長している。
わりと混雑したバスの中で、お母さんに抱っこされた小さな赤ちゃんに指をさされて「パンマン」と言われたことがある。
アンパンマンのことだ。
あのときのバスの中の空気感。まるで爆発物を処理しているかのごとく緊張感が走っていた。お母さんの焦りは尋常じゃなかった。お母さんの横顔に汗が流れて、それがスローモーションに見えるぐらいの緊張感である。
お母さんに「いえ、気にしなくて良いですよ」って声をかけるのも不自然だし、私的には話のネタが増えたとむしろ喜ばしい。
それよりもお母さんが心配だ。
たして語彙がない小さい子が、なんでも指差して「ワンワン」ということがあるが、なんというタイミングよく見た目がドンピシャなおじさんがいて、そのおじさんに少ない語彙の中から的確な「パンマン」を選んだこと。この話は夕食で明るく話されるのか、それとも苦痛として語られるのか、後者だったらかわいそうだ。
このような話はたくさんある。太っていると話題が尽きない。太っていることがすでにエンターテイメントなのだ。
3歳ぐらいの女の子が私の前に現れて
「ぶたさん?」
と聞かれたことがある。
もちろん、女の子に何も罪はない。彼女の記憶にあるブタと人間では、私はブタさんの方に近かったわけだ。疑問系であることから想像するに、真ん中の境界線からややぶたよりだったということだろう。
この話を知人にすると、聞いた相手はずっと笑っている。なぜなら、聞いた相手の境界線やや人間側にいるのが私だからだろう。
だが、それで良い。
誰かが笑ってくれたら、それで良いのだ。
太っていることがすでにエンターテイメントなのだ。ギルティー
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