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原稿を抱えた少年よ、神話になれ

「本を書く仕事をしたいのですが、どうしたら良いですか」と聞かれることがたまにある。「どうしたら良い」という普遍的にも思えるその哲学的な問いかけに、私はいつも困惑する。私にはそんな高尚なイデアもテーゼはないし、そもそも哲学っぽいという理由だけでイデアとテーゼを使っただけなので、その意味もよくわからない。全くアガペーなのだ。
 
「どうしたら良いか」というこの問いが「私は何も生み出せないので、生み出すはどうしたら良いか」という意味であるなら、これはとても厄介だが「書いたものをどうしたら、世の中に出せるかわからない」という意味だったら大きな望みはある。
 
なぜ前者が厄介かというと、私たち商業作家はネタを探しているというよりは、日々溢れてくるネタを抑制することに苦労することが多い。そのネタを多くの人に役立てたり、受け入れともらえるにはどうしたら良いか、商業的に乗るものなのかと考える。エックスマンに例えるならサイクロプスなのである。彼は目からビームを発射しているというよりも、常に両目から破壊光線オプティックブラストを放出し続けるので、特殊加したバイザー・サングラスを常に着用する必要がある。溢れてくるネタがあり、脳から放出し続けるネタを抑制することに苦労していることに似ているのだ。
 
ただ何もネタが湧いてこないからといって自虐的になって、海まで行って夕日を見る必要はない。実際にいくと靴が砂だらけになって、本当に病んでくるから注意したほうがいい。どうしたらネタを生み出せるのかは、単にヒントとなるアイデアのタネとそのタネをアイデアに成長させる方法を知らないだけなのである。この話はまた別のところでもしよう。
 
世の中に出せないことを憂いているならば、それを簡単に言えば「運」である。実力よりも遥かに運がないと広がっていかない。ただし、自分は運がないからといってこれまた諦めることはない。この不公平にできている運を高める方法がある。一番良いのはそれっぽい人から壺を買うことではなく、運を科学的に高める方法を実践するだけである。この方法をセレンデピティという。とても簡単に説明すると「行動」「発見」「受容」だ。これをいうとなんだそんなことかという人が多い。しかし、驚くほど多くの人ができていない。それはとても簡単で、いつでもやっていると誤解している。このやっているつもりほど運を遠ざけるものはない。
 
行動することで確実にチャンスが広がる。原稿を送る出版社を探す、場合によっては持ち込む、送る、人に聞くなどの方法がある。これを面倒と考えて、避けようとしている気持ちがあるから行動に移せないのかもしれない。行動した人のチャンスは広がる。発見は「見つけよう」とする視点を持ち続けること。アンテナを伸ばしていると、意外な原稿募集などに気づくものである。単に募集広告を探すだけでない、求人誌を見ていればその会社がどんなものをどの程度やろうとしているのかも見えてくる。強かに生きるべきである。「受容」はもっとも難しい。人は物事を受け入れられない。この原稿を読んで「そんなこと」と捉えるのか。そこから何かのヒントを得られるのか雲泥の差が生まれる。金と石ほどの差が生まれる。金は誰でも買ってくれるが、石はわかる人にしか売れない。骨が折れる。なにしろ固定観念を捨てて、過去の自分のやり方や視点を変えるのである。とても難しい話だが、それができたらあなたの運は格段に上がる。占い師のところにいかなくても、あなたの運は格段に上がる。過去の価値観を捨てることを意識してみるのだ。
 
社会はみんなの親ではない。冷酷にあなたに味方などしてくれない。だからこそ、自分で道を切り開いていくことが必要である。仲良くなった人はとても親切で優しい。これをテーゼとするならば、その人たちが集団になると冷酷で残酷なる。これこそ残酷なアンチテーゼである。ほとばしる熱いパトスで、思い出を裏切ろう。固定観念を乗り越えたい。

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