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「魅惑の心理」マガジンvol.76(謝罪を強要する人の心理)

9月7日に北海道の釧路空港から関西空港に向かうピーチ・アビエーションにおいて、搭乗客のひとりがマスクの着用を拒否を発端として、別の客に対して声を荒げたり、客室乗務員に大声でと威嚇し、安全確保のため新潟空港に臨時着陸してその搭乗客を降ろすということが起きました。少数ではありますが、大声で人を威嚇して思い通りに進めようとする人がいます。

こうしたトラブルは街中のお店でもたまに見かけるようになりました。店員さんがミスをするとムキになって怒る人がいます。病院でも医師や看護師に対して、暴言をぶつける人が増えていると言います。これらの行動をとる人の共通な行動として、相手に「謝れ」「謝罪しろ」と強要して大声を出すのです。SNSでも謝罪を求める声は年々増えており、芸能人はまず不祥事に対して世間に謝るという構図ができています。他人に迷惑をかけてないものに対しても謝罪を強要されることが増えています。今、世の中には「謝罪を求める病」「謝罪しなくてはいけない病」が蔓延しています。

どうして人は他人に過度な謝罪を求めるようになったのでしょう?

この心理傾向を知ると病んでいる現代人の内面が見られます。今回の「魅惑の心理」マガジンは謝罪を強要する人の心理を紐解きながら、その奥にある心を見てみたいと思います。

謝罪を求める心理は、大きくいくつかに分かれます。その主要な理由を解説していきます。

1. 謝罪を聞くと気持ちが良い

人の不幸は蜜の味。そんな言葉がありますが、現代人は他人の不幸を求めています。特に芸能人に対して厳しい意見が多いのは、芸能人は基本的に成功者であり、富や名声を得ています。私たちはそんな人に対して、心の奥底に「うらやましさ」を持っているのです。そんな芸能人が不祥事を起こすと、人はついつい晴れやかな気分になってしまうのです。

ただし露骨に人の不幸は喜べない。そんなことをすると、誰かにひどい人間だと指摘されてしまいます。そこで人前では、「かわいそう」とつぶやきながら、匿名のツールでは謝罪を求めて、心の奥底では無意識になんとなく満足感を得ているのです。人は幸福を絶対量ではなく、他人との比較からなる相対評価で判断しがちです。不幸せな他人の話を聞くことで、相対的に自分は幸せであると思ってしまう。誰か他人と自分を比較することを「社会的比較」といいます。社会的比較の研究は多くの心理学者によって研究されていおり、社会的比較は無意識に行われているもののひとつだというのがわかっています。

また、もっと恐ろしいことは、人の残酷な一面がここに隠されています。


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