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ポーポー・ポロダクションは2度死ぬ

不幸自慢をする人が嫌いだ。誰かの不幸自慢を聞いても、だいたいたいしたことはない。 SNSでは誰かが不幸な話をすると、「私のほうがもっと不幸だ」的な不幸のマウントの取り合いとう謎の行為が始まるのも嫌いだ。そもそも、それはマウントなのか、谷なのかもよくわからない。

不幸自慢をする心理にはいくつかの種類があるだろう。自分の不幸をアピールして戦略的に「私は不幸だから、優しくしてね」というメッセージを送る場合もあるし、自分は「こんな不幸も乗り越えられる」という尊敬してほしいという心理もあるかもしれない。単に注目を浴びたいという気持ちから、話をする人もいると思う。

どれにしても不幸を自慢して誰かの気をひこうとするのは趣味が悪い。そもそも私にはそんな話はない。自慢することもない。私が経験した不幸などは本当になんてことない。たとえば、まだコロナの前にコンビニでお釣りをもらうときに、オーナーらしき年配の店員さんがくしゃみをしたのを思わず手で拭い、そのまま私にお釣りを渡した。その硬貨には半透明の液体がベッタリとついていたことなど、全くたいしたことはない。そのまま手が洗えるところまで、手を伸ばして歩いていった。手を伸ばして歩く姿は狂言師か歌舞伎みたいだったに違いない。背中は伸びているが、心は大きく曲がっていた。

コロナ後は接触に対してみんな過敏になっているし、マスクをしているので謎の半透明物質を触ることは無くなった。自動支払い機も増えてきた。これはありがたい。ただし、微妙に意思疎通が難しくなったとも感じる。特に今は複数の決済サービスがある。私のことだから、Apple Payでと言ったら間違いなくアップルパイが出てくるだろうからApple Payは使えない、人は無意識に体型から、この人は何を買うのかなんて感じてしまうものである。そこで私はPayPayを使うことにした。でも「ペイペイで」とレジで言うのが少し恥ずかしい。なんとも可愛い響きだからである。おじさんが「ペイペイで」というのは滑稽である。いい歳のおじさんがマクドナルドで「スマイルください」って言ってしまうぐらい滑稽である。

ただ流石にPayPayは様々な場所で普及しているだろうし、メジャーなサービスだから大丈夫だろう。ある日、あるチェーン店での支払いを勇気を振り絞り「ペイペイで」と言ったら店員さんに「は?」と聞き返された。「えーと、ペイペイで」ともう一度言いながら不安がよぎる。そしてしばらくの沈黙が流れる。1秒が永遠の時間に感じる。マスク越しに見つめあうおじさんとおじさん。もしかして使えないのかもしれない。

「ペイペイ」というのは固有名詞だから成立するが、おじさんが勝手に生み出したものが「ペイペイ」だった瞬間、それは非常に危険な香りを放つ。危ないおじさんだ。レジで「プイプイ」と言っていることと変わりない。

そして店員さんの口から出た言葉は「何、言っているのですか?」

こんな不幸なことがあって良いのだろうか。
私は不幸を自慢する人が嫌いだ。

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