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お墓参りにいくとなぜ運が上がるのか

開運や幸運を語る場所では、よく「運を上げたいならお墓参り」に行きなさいと言われることが多くあります。ただし「なぜよくなるか」「運が上がるのか」を説明しているものはあまりありません。あるとするなら、「ご先祖様のお力をお借りして」「ご先祖様が守ってくださるので」と説明をあるものがあります。確かに「ご先祖様」という霊体のようなものが、そこにあり、意思があってきた人に何かの運を授けてくれるのなら、確かにその論法は成立するかもしれません。そうした存在を全く否定するつもりもなく、確かに私たちの知恵では理解できない、不思議な力は存在しますから、あるのかもしれません。ただし、行くと必ずそうした霊体があり、不思議な力を毎回与えてくれる。そんな都合の良いものが常にあると考えるのは不自然に思います。

ポーポーはお墓に行くと運が上がる理由を少し別の角度から感じています。もっとも大きな効果があると考えられるのは、お盆、お彼岸などの時期にちゃんと予定を毎回組んでお墓にいけるような人、そうした習慣を大事にできて、そもそも幸運を掴みやすいということです。だいたいお墓は自分の家から少し遠方のところにある人が多いと思います。にも関わらず、お墓にいけるということは、計画的な性格であり、事前に準備ができる人です。仕事でもプライベートでも事前に準備をして、様々な問題を回避しているのです。その結果、大きな災難にはめぐりあいにくく、運が良いという状態を作ると考えられます。

また毎年、そうした習慣を大事にできている人は、会えなかった間の報告やご先祖様の視点でものが見られます。準備ができていて、他人の視点でものが見られるのですから、それはトラブルが回避できやすい性質をもっているとも思えます。一方、たまに「困ったからご先祖様に会いに行こう」という人は、お墓の前でご先祖様に「お金が欲しい」「健康にしてほしい」など願い事をいうことが多いでしょう。つまり、その時点では災難が避けれていないのです。お金や健康のトラブルになりにくい人は計画的であるでしょうし、事前に準備もできるはずです。ご先祖様にお願いをするようでは、やはり生活が少し空回りをしていると考えられます。お墓の前で感謝ができる人は日頃から失敗を生みにくく、結果的に運が上がっているように見えるのだと私は考えています。

人は無意味な偶然の出来事の中に何かの意味を探そうとする性質をもっています。お墓参りの後に良いことがあったら「お墓参りのおかけだ」と心理的に感じやすく、逆に悪いことがあっても「お墓参りをしたから良くなかった」ではなく「いつもちゃんと行かなかったから怒られた」などとお墓参り=運をあげるべきものと感じやすくなる効果もあると考えられます。

ついで参りは避ける。お墓でご先祖様に過度にお願いをしない。タオルやお線香、お花などちゃんと事前に準備ができる。ご先祖様に感謝できる。もうそれが運が開く準備にもなるのです。

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