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湯気の向こうの桜と君と。

「編集長、お花見で何か描いてもらえって聞かないんですよ。」
いつもの笑顔で担当編集が言う。
「だからさ、読者さんの年齢考えようよ!お花見なんてしないでしょ、若い子はさぁぁぁ!」

今お世話になっているところの編集長が私に出すパスは、今のところ全部キラーパス。担当編集と通して言えば、どんな企画でも通ると思っているに違いない。…そしてそれはだいたい合っている。でも、その嗅覚は正しいらしくて最終的に良いものが出来ることが多いし、私の引き出しも随分広げてもらった。だけど。
「お花見って、お話にしづらいんだよね…。新学期で確かに出会いはあるんだけどね?わざわざお花見に行かなくても、桜って学校にあるじゃない。」
「初デートでお花見に誘えば良いのでは?」
「桜が咲く時期、地域にもよるけど、そもそも学校始まってないこともあるのよねぇ。」
「悠長に今週末お花見に行こうなんて言ってても、見ごろ過ぎてたらどうしようもないですよね。確かに。」
窓の外に雪がちらつく中、難しい顔で他人の恋路に思いを馳せる。と言えば聞こえはいいけど、打ち合わせにそんな色気は欠片も無い。私の服は作業着だし、メイクだって申し訳程度。
「でも、画にはなるのよね…。桜吹雪の中で見つめ合うとか、桜並木を2人で歩くとか、雨降って残念がるところをなぐさめてもらうとか…。でも、そこに持っていきまでがなぁ…。」
「描いてるものがファンタジーなのに、先生リアリティ気にしますもんね。もっとそこらへんは自由に描いても良いと思いますけど。」
「恋愛をファンタジー呼ばわりするんじゃない!」
「現実世界のどこにも無いからマンガとして売れるんじゃないですか。」
私の中ではあくまで現実。現実から地続きで行けるからこそ、夢の意味がある。いつか現実になって欲しい、明日は私の番かもしれないという願いとか期待が無いと、つらいだけじゃないか。
担当編集は微笑みながらこちらを見ている。いじわる。分かってて煽ってるんだ。夢は現実の隣にあるから良いんだっていう私の想いを知ってて、でもこだわり始めると何も描けなくなる私のクセも知ってるから、煽ってくる。…あるいは、単に楽しんでいるだけかもしれないけど。

「離任式ならどうです?」
「離任式ってなんだっけ…。」
学生時代は遥かな昔。子どももいないから学校行事の名前なんて、入学式、卒業式、修学旅行の3種の神器しか記憶にない。
「公立の学校は先生の転勤があるんですけど、辞令が出るのがギリギリなんで、3月末にそういうのがあるんですよ。来年もいると思ってたお気に入りの先生が転勤で突然お別れ、なんてことが往々にしてあるとか無いとか。3月末ならうっかりすると桜も咲いてますよね。」
担当編集の説明を受けても、うっすらとしか思い出せない。でも、話を聞くと、人によってはひどくドラマチックな行事になるのかもしれない。
「…でも、それって失恋だし、お花見って感じでも無い気が…。」
誰がどう見ても残念な桜だ。涙は現実だけで良い主義の私が脳内でNGを出す。めんどくさいぞ、もっとストレートなやつを描こうぜ派の私も合流する。でも、その後ろに何か思いついてしまった私もいた。
「それを何とかするのが先生の仕事、ですよ?」
何か思いついた私を、私より早く見つけたかのように担当編集は笑いかけてくる。殺す気か。
「だ、だいたい!私、仕事柄花見なんてまともに行ったことないし!」
「さっき散々、桜モチーフのアイディア出してましたよね。」
帰り支度を始める担当編集は容赦無く撃ち返してくる。こうなると勝ち目が無い。もう描くしかない。
「ネーム、楽しみにしてますね。」
春風のように爽やかな声を残して、担当編集は去っていった。

「いやー、離任式で皆に囲まれてお別れを言えなかった先生と桜並木の河川敷でバッタリ会って一緒に歩くとか、エモいですねー。さすが先生。ちゃっかり新しい住所聞き出す辺り、悲恋でもなく。さすが先生。」
結局、限界まで悩んでネームもギリギリ、作画でも悩んでさらにギリギリ、徹夜で仕上げた原稿を手に、担当編集は私を褒める。えぇいやめろ。そんなに褒めるな。顔に出るじゃないか。
「先生、あとは寝るだけですよね。」
キッチンから声が聞こえる。いつの間にか移動していた担当編集が手にしていたのはマグカップだった。
「僕、昔バーテンダーのアルバイトしたことあったんですよね。」
そう言いながら、そっとテーブルにのせられたカップからは仄かに甘い香りがする。
「まだ肌寒いですからね。ホットカクテルです。寝酒にしてください。」
カップの中身はホットミルクにも見えた。湯気と一緒に立ち上るラム酒と桜の香り。口にすると、ほっとする味が疲れた体に染みた。
「はー…」
最後のひとくちの後で、胸いっぱいに吸い込んだ暖かい花の香りが私の最後の記憶だ。
「お花見、行くときは誘ってくださいね。」
担当編集の声が遠くから聞こえた気がした。

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湯気の向こうの桜と君と。(2000字)
【One Phrase To Story 企画作品】
コアフレーズ執筆:花梛(https://note.com/hanananokoe/
胸いっぱいに吸い込んだ暖かい花の香りが僕の最後の記憶だ
本文執筆:Pawn【P&Q】

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