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かさぶたと雲。

目の前に広がる空は心を映しているかのようだった。顔を上げると、くもりのような、晴れのような空模様。どうせなら抜けるような青空が見たかった。せめて、見上げた空くらいは。

小学生のときから偉人伝が好きだった。困難を乗り越え、何かを成し遂げる人たちの物語が好きだった。その頃はまだ、才能は誰にでも宿っていると信じていた。努力は報われるというオトナの言う綺麗な言葉を信じていた。偉人たちの周りには自然と人が集まってきた。少なくともそう見えた。何かを見つけたり、作ったりすると、周りの人々が喜んでくれていたように見えた。

何かを成した人々が対象のドキュメンタリーが好きだった。プロフェッショナルや情熱大陸といったテレビ番組を見ると、何か、無根拠なヤル気が湧いてくる、そんな謎の現象に支えられいた。それが『いつかは自分も向こう側へ行きたい、向こう側へ連れていってくれる存在が自分の人生に訪れるかもしれない』という思考回路だったと気が付いたのは、精神的に壊れたあとだった。あるいは壊れてやっと、人並みになったのかもしれなかった。

壊れた原因は大したものじゃない。久々に到来した大きな変化、雲間から覗いた光に浮かされた。分不相応だったと思う。光の国に行けるチャンスにしがみついて、足掻いて、もがいて、結局は振り落とされてしまった。チャンスの神様があんなに暴れ馬だったなんて、誰も教えてくれなかった。

壊れたといっても、破局的な壊れ方ではなかった。少なくとも診断上は「2,3か月、ちょっと仕事をお休みして、のんびり過ごしましょうね。大丈夫、よくなりますよ。」と言われる程度。いっそ、もっと大きく人生を揺るがすような壊れ方なら良かったのにと思う程度には、その頃の自分の人生には変化が無かった。

変化は待っていてはいけない、変化は自分から起こしにいくのだ。その類の話は、大好きだった本や番組で何度も使われたメッセージだった。地道に一生懸命にやれることをやり続けていれば報われるといったメッセージも付属していたかもしれない。今にして思えば、それらは相応の才や能力に恵まれているからこそできること、成立する事象だったのだろうと、ぼんやり思う。そういうものに恵まれなかった者はどうすればいいか。誰も答えてはくれなかった。

これといった趣味も、特技も無かった。少なくとも自己評価、自己認識のうえではそうだった。仕事が楽しかった人間から、仕事を引いたら何が残るか。何も残らなかった。致命的なピースを抜かれたジェンガは、崩れずともゆらゆらと不安定に揺れていた。手を添えることもできないような絶妙さで辛うじて立っているジェンガ。それは奇妙なオブジェのようでもあった。のんびり過ごしましょうね、という医者の言葉に、噛みつく元気はもう無かった。

復職、異動、休職。そのループを何度か通り抜けた。心も体も頭も、思うようにならない。世の中にはもっと苦しい人がいるんだ、甘えるな。どこかで目にした書き込みが、退路を塞いでいた。

その人に出会ったのは、そんな時期のことだった。情熱は冷めきって、もうプロじゃなくていいやなんてことを考えつつも、表面上は笑顔も作れるし、冗談も言えるし、休まずに仕事ができるようになった風に見せていたから、その頃には普通の仕事も回ってくるようになっていた。ちょっとだけ落ち目の漫画家の担当編集。それが新しい仕事だった。

その先生の作品に触れたときのことは、わりと強めに覚えている。大事にお話を作っていることが、線の一本、言葉のひと欠片から伝わってくる。一瞬、少年漫画や青年誌かと思ったくらいの、何とも言えない熱量。何年かぶりに笑った気がするし、何年かぶりに泣いた気がした。救われた気がした。

「…はい、ということで、編集長からのオーダーを発表します。」
「絶対またヤバいやつでしょ!もう、なんで止めてくれないの!」
「僕も会社員ですからね、こう見えて。…あ、でも次は簡単かもしれませんよ。夏号向けですね。」
「信じない、信じないぞ…!編集者と学校の先生の言う簡単が簡単であったことなんて無いんだから、絶対信じないんだから…!」
「かき氷、あと金魚すくいだそうです。」
「縁日かぁ…最近の子行くのかなぁ…。まぁでも、それなら…」
「溶けていくかき氷、金魚すくいの罪深さ、って追記されてますね。」
「はぁぁぁぁ!?」

頭を抱えて唸り始めた先生は、どんな作品を見せてくれるんだろう。楽しみで、ついつい笑顔になってしまう。恨めしそうに先生が睨んでくる。この無言のやりとりが、なぜだか、今はたまらなく愛おしい。楽しい打ち合わせが終わり、帰社の途に就く。大きく体を伸ばして、溜まった息を抜く。どうせだから少し歩こう。

明日も晴れると良いな。まぁ、雨だとしても笑っていよう。顔を上げると、くもりのような、晴れのような空模様。目の前に広がる空は心を映しているかのようだった。

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かさぶたと雲。(2000字)
【One Phrase To Story 企画作品】
コアフレーズ執筆:花梛(https://note.com/hanananokoe/
目の前に広がる空は心を映しているかのようだった
本文執筆:Pawn【P&Q】

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