できれば優しくされたい夜。
締め切り2時間前。主人公の最後のセリフが決まらない。
俺はコイツに何と言わせるべきか。悩み始めて何時間が経ったのか。もちろん、原稿を落とすわけにはいかない。最後のセリフ部分だけを空白にしたまま、全ページのペン入れ、背景、ベタ、トーンまで、全部終わらせてある。表情も描いてある。言わせるセリフの方向性、主人公の感情。すべて分かっているし、決まっている。しかし、俺はまだ悩んでいる。構想段階から悩んで、誤魔化してを繰り返してきた。そのツケだ。苦しい。
震えるスマホ。反射的に通話状態にし、口をついて出た大声が、向こうからの悲痛な叫び声と重なる。
「頼む、あと1時間だけ待ってくれ!」
「神様、やっぱり俺じゃ無理です!」
え?という戸惑いが声になるより早く、向こうからの声が畳みかける。
「明日、魔王城です。魔王と戦います。多分勝てます。仲間は皆スゴイ奴らばかりです。俺なんか、何もできていない。それでも…魔王に啖呵を切ったり、民衆に話すのは、俺の役目だって。勇者じゃなくちゃいけないって!そもそも、なんで俺が勇者なんですか!?腕力と男らしさならポズ、魔力や優しさ、頭の良さならシェラ、剣の腕と人望とカリスマ性なら騎士団長のガラク殿の方が俺より上で、俺が勝ってる所なんか何も無いし、魔王に対して唯一効く技とか魔法を受け継いでいるとかでもない!なんで!こんな俺が!魔王になんて言えばいいんですか!俺なんかでごめんって言えば良いんですか!」
整理しよう。少なくともコイツは担当編集じゃない。そして、なんか人生に迷っていらっしゃる。俺も迷っているから、なんか分かるのだ。ここで切るのは、なんていうか、かわいそうだ。俺なら泣く。多分こいつも一晩中泣く。なんとなく分かる。
「お前、勇者になる前は?」
「羊飼いですよ!知ってますよね!?戻してくださいよ、あの生活にィィっ!」
「落ち着け、な、落ち着けよ。羊飼いのときの決まり文句とか無かったのか?なんか、なんでもいいんだけど。」
「そんなの!ある…わけ」
「あるんだな。」
「羊の、毛を刈ってやるときのが…。」
「んじゃ、それを言ってやれよ。魔王なんか、もこもこ羊だと思え。仲間は毛刈りの道具だ。ガッツリ刈って、あったかいセーターみたいな世界を作れよな。」
「あ、はい!」
音も無く、通話は自然に切れた。
悩みが解決した俺も、主人公の最後のセリフを打ち込む。
「じっとしてろ、すぐ終わらせてやるから。」
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