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常識はずれも悪くはないかなーデジモン・ラスエボ考ー

※本記事は、映画「デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆」についての感想と考察記事となります。個人の感想や考察、ネタバレを多量に含みますので、ご注意ください。また、私は、デジモンアドベンチャー02から入り、映画版(デジモンアドベンチャー tri )は全部見ていますが、設定の記憶違い等があるかもしれません。あらかじめご承知おきくださいますよう、よろしくお願いいたします。


さて、やっと見に行けました、デジモン。ざっくりな感想としては「2年半かけてtriを見てきて良かった。これが本当の意味での最終章だ」というもの。triを無かったことにするのでなく、かと言って引き摺ることもなく。この作品単体でも楽しめるし、tri視聴勢に対するサービス的なカットもあり、かなりいいものだったのではないかと思います。

既にデジモンアドベンチャーtri全6章で、進化や戦闘シーン、個々人の葛藤などの部分については、十分以上に供給されており、お腹いっぱいにしてもらっていたからこそ、また、今作と原因は違えど「再会、別れ、再会」がtriで既に描かれていたからこそ、色んなものが、すんなりと入ってきた気がします。もちろん、「え、またお別れさせるの!?」と思ったことは事実ですが…。

◆ デジモンとのパートナシップ締結の条件
劇中でも言及はされていましたが、個人的な結論は「デジモンを絶対的な最優先に置けていること」なのかなと思います。この”絶対的”が大事です。”相対的”ではいけない。比較無しで即答で最優先。
思えば、劇中の最初、デジモンを撃退したときに、タケルの朝ごはんのお誘いを、太一とヤマトは断りました。アグモンとガブモンが行こう!ってなっているのにです。この時点で既に「付き合いが悪くなっている」のですよね。即答で「よし、行こうぜ」とか、面倒くさがりつつも「仕方ないなー!」ではなく、他の用事、自分の都合を優先させます。
もちろん、これ自体が悪いわけではないです。というか、当たり前とも言えます。しかし、パートナーデジモンに注ぐリソースの質や量という意味では、少なくなっているであろうことは察することができます。何かに没頭できる、夢中になれることに全力を注げるのは、子どもならではのことです。成長し、世界が広がれば、そうとばかりは言ってられなくなります。避けられないことです。

◆ 次世代の選ばれし子供たちが日本にいない問題
私は教育クラスタに片足突っ込んでいるのですが、私が気になったシーンが1つ。劇中で「選ばれし子供たち」は敵の襲撃(ダイナミックおいでおいで)を受けます。主人公たちが戦う裏で、襲撃を受ける子供たち。彼らもデジモンと共に戦ったりしていました。年齢も様々で、小さい子どももいたように思います。で、この子どもたち、日本以外の様々な国にいるわけなんですね。人種も様々。明らかに国が分かる建造物もあったりするわけなんですが。

日本での様子が1シーンも無いのです。

考え過ぎかもしれませんが、上述した「ある種の自由さ」が日本の子どもたちには無い、あるいは無いように思えるという皮肉なのかなぁ、と思ってしまいました。習い事で忙殺されたりしてりゃ、デジモンどころではないですからね…。


…ということで、語りつくせぬほど面白かったという記録でございました。個人的に、「大人になるとは?」というテーマは大変興味深いものでした。

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