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エブスとエビス ハムが見た父の裸

今、阿波と東国の続編を書いているところなのですが、昨日TOLAND VLOGで僕の考察とリンクする動画があがったので、とりあえず阿波と東国はおいといて、そっちの記事をまず書きたいと思います。

この件については過去に僕も記事にしています。

TOLAND VLOGのエブス=恵比寿神考察。本当によく調べている内容の濃い動画なのでぜひみなさんに見ていただきたいのですが、
僕もこの動画が大変勉強になり、また同時に多大なインスピレーションを受けたので、僕のエブス=恵比寿神考察の追記を書いていきたいと思います。

まず僕の考察との違いはフェニキアが先かエブスが先かという時系列の差があります。
僕はエブス人とは縄文時代に日本を出てエジプトと交易をしていた縄文人がアビシニア(現在のエチオピア)に住み、(エブスとはアビシニアからの言語変化)そこからエジプト経由でエルサレムに定住したと考えたのですが、
TOLANDさんの動画ではまずフェニキア人という民族がもともと中東にいて、海洋交易で隆盛を誇っていた。その中のエルサレムを占拠していたフェニキア人がエブス人と呼ばれる人々だったという内容です。

正直僕はこの件に関してフェニキアが先かエブスが先かという時系列にあまり拘っていません。どちらが先でもOKです。僕のnote記事でみなさんに読んでもらいたかった点は、日本でこんなに馴染み深い恵比寿様が、あのエルサレムに起源を持つんだよ。古代に遡れば世界って、そんなに離れていないんだよっていうことです。
恵比寿様とエルサレムが繋がるこの不思議に僕の心はときめくのです。

動画ではとても興味深いことを言っていました。エブス神とは多神教で、バアル神と女神アシェラを信仰していたと。そしてこのエブス人が信仰していたバアル神は東の地へと追いやられた。そこから宮崎の西都原(さいとばる)を紹介していましたね。西の都のバルですね。ここでピンとくる人もいるでしょうが、えびす宮総本社は西宮神社です。西の宮ですね。やっぱり恵比寿様は西から来ていると思います。
このようにエブス人のバアル神信仰はとても重要な考察ですが、僕は女神アシェラ信仰も見逃せない要素だと思います。古代に遡れば遡るほど、女神の存在は重要になってきますから。女神アシェラまたの名をアーシラト。今後考察していきたいと思います。

そもそもこのエブス人は旧約聖書創世記に出てきます。
ノアの大洪水で有名なノアの子孫として。
ノアには3人の息子がいますが、その中のハムの系譜に連なります。
ハムにはカナンという息子がいます。(カナンとは現在のイスラエルです)このカナンの息子たちにエブス人が含まれます。また動画にあったアモリ人もカナンの息子たちに含まれます。

このハムについて、興味深い説話が旧約聖書に残っているのです。

大洪水後、ノアは農夫となり葡萄を栽培していました。しかしある時ワインで泥酔し、裸で眠ってしまいました。ハムは父の裸を見て他の兄弟を呼びますが、兄弟たちは顔を背けて父の裸見ずに着物で覆いました。
ノアはこれを知ると激怒し、ハムではなくその息子カナンを呪い、カナンの子孫が他の兄弟の子孫の奴隷となると予言しました。

そして史実はこの予言通りに進んでいきます。

モーゼの時代、ユダヤの神ヤハウェはエジプトを脱出し約束の地カナンを目指せとお告げをします。モーゼはカナンにたどり着く前に亡くなりますが、後継のヨシュアがカナンを攻略します。そしてダビデの時代、ついにエブス人のエルサレムは陥落し、その後エブス人は姿を消します。

ハムは父であるノアの裸を見たことで、呪いをかけられました。しかも自分にかけられるのではなく、子孫であるカナンの息子たちがその標的になりました。
のちにエブス人やアモリ人が住んでいたカナンはイスラエル人により征服されます。
この「見てはいけないものを見てしまう」というセオリーは世界中の神話や民話に共通して見られます。つるの恩返しなどがそうですね。

しかしハムが見た父の裸とは何を意味しているのでしょう。

ここからはいつもの突飛な妄想で展開していきます。
まずノアとは大洪水を生き抜いた人物です。つまり滅びる前の以前の文明を知っている人物です。そしてなおかつ神の啓示も受けている。
そんな人物の裸とは、つまりこの世の真理なのではないでしょうか?
父の裸を見たというハムとその子孫たちは、文明崩壊以前の、古代の叡智を引き継ぐ系譜だったのではないでしょうか?

TOLANDさんの動画でも、イスラエル人侵略前のカナンの地にいたフェニキア人は大航海技術や製鉄技術、造船技術など、あらゆる面で高い水準を誇っていたと説明しています。またそこには古ケルトやラピュタ族の叡智が引き継がれていたのではないかとも考察していました。

通説によればフェニキア人が都市国家を形成し始めたのはBC1500年頃からです。BC1500年からBC1000年といえばエジプト文明が最も栄えた時期と重なります。地中海沿岸地域で交易した優れた商人であるフェニキア人がエジプトと交流しないはずがありません。エジプト文明も僕は失われた文明と解釈します。ピラミッドの建造方法などいまだに不明ですから。
だからハムの子孫、カナンの息子たちであるフェニキア人やエブス人は、エジプト文明やそれ以前の古代文明の叡智を受け継いでいる民族だったと思います。

しかしながらそういう存在はこれから新しい王権を作ろうとするイスラエル側にとっては、非常に邪魔な存在です。
だからカナンを侵略し、旧約聖書に呪いの説話を盛り込んだのだと思います。
紀元後になるとフェニキア人もエブス人も歴史から姿を消し、今日ではその存在を忘れ去られています。日本にやってきた恵比寿様も伝承は曖昧でその信仰だけが残ります。

カナンの息子たちに引き継がれた古代の叡智。古代史を調べて幾星霜、ここ2000年くらいの歴史とは、その古代の叡智を隠すための物語であるかのように感じます。しかしながら秘されると探りたくなるのが人間のサガなので、僕はそのサガと遺伝子の記憶を頼りに、これからも古代史研究に邁進していく所存であります。

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