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阿波と東国❹ 香取神宮にいる狐 それは神の使いか幻か?

前回香取神宮の核心に迫るはずが、記事がだいぶ長くなってしまったので、
改めて別の機会に持ち越しました。
というわけで今回こそは、香取神宮の本当の御祭神を探っていこうと思います。

前回、香取神宮の第一摂社、側高神社を紹介しました。

千葉県香取市大倉に鎮座する側高神社

こちらに祀られる神は「言わず語らずの神」として口外を戒められており、
その祭神には様々な説が存在します。

大正10年発行の香取郡誌によると、
主祭神=高皇産霊尊・神皇産霊尊
相殿神=天日鷲命・経津主命・天児屋根命・武甕槌命・姫御神
相殿神に阿波忌部の祖、天日鷲が入っています。

明治25年に香取神宮より発行された香取神宮小史によると、
祭神:側高神(= 経津主神ノ后神)
香取神宮の見解では経津主の妻ということになります。
忌部系図だと飯長媛に該当します。

資料:日本史小百科「神社」岡田米夫氏著/国史大辞典ほか

香取神宮を知るためには、まず第一摂社である側高神社の謎を解明する必要がありそうです。

茨城と千葉を流れる利根川下流域にはこの「そばたか」神社が複数存在し、
その漢字表記は脇鷹、蘇羽鷹、曽波鷹などが見られます。
鷹という鳥が出てきますね。
また「側」という漢字ですが、
これは近い所、そば、かたわら、わきを意味します。
近くにいる鷹。意味深ですね。僕はこの表現に、ある鳥をイメージします。

月岡芳年『大日本名将鑑』より「神武天皇」

神武天皇を導いたとされる金鵄です。金鵄は金色のトビのことですが、トビとは分類的にタカ目タカ科の鳥で、その仲間にはワシも含まれます。

天日鷲は阿波忌部の祖人とされますが、別名を天加奈止美(アメノカナトビ)
といい、よく金鵄と同一視されます。
つまりそばたか神社の「そばにいるタカ」とは金鵄をあらわし、それは天日鷲を意味していると結論づけられます。

香取神宮の第一摂社である側高神社はやはり阿波忌部の神社であることがわかります。だから香取郡誌の見解では相殿神に天日鷲が入っているのですね。
であれば当然主祭神は阿波忌部系の神で然るべき。

では今度は香取神宮側の見解を見てみましょう。香取神宮は側高神を経津主の妻としています。忌部系図だと斎主である飯長媛に該当します。

この飯長媛という人物、経歴が興味深いのですが、
まず飯長媛とは安房忌部を引き連れて千葉にやってきた天富命の娘です。
天富命は館山の布良浜に降り立ち、そこにある男神山・女神山という二つの山に祖人である天太玉を祀ったことが現在館山にある安房神社の始まりです。
菱沼勇・梅田義彦著「房総の古社」によると飯長媛は香取に来る前、
安房神社で斎王を務めていたと記されています。その斎王が由布津主と結婚することになり、香取に来て斎主となっていく歴史が紹介されています。

その証拠に安房神社のすぐ近くには楫取(かんどり)神社旧地という遺跡が残っています。僕はこの楫取が香取になったと考えています。
徳島県の吉野川で使用された川舟をカンドリ舟と言いますが、楫取の語源とは、ここからきています。これがまず館山に入り、さらに北上してゆくゆくは香取の地名になっていくのでしょう。
また楫取とはかじとりの意味も含みます。阿波から館山まで遠洋航海をした阿波忌部。航海の神を祀るのは至極当然の流れですね。

さて、この楫取神社、おそらくのちの香取神宮に影響を与えたのは間違い無いのですが、注目すべきはその祭神です。ここの祭神は宇豆彦とされ、それは椎根津彥の別名であり、神武東征の水先案内人を務めた神です。この椎根津彥が地元の伝承では天富命に付き従って館山に来たことになっているのです。
神話における神武東征の物語とは、忌部氏など様々な氏族の東征の歴史を繋ぎ合わせたものなのかもしれません。

楫取神社旧跡地

香取神宮の核心に迫る今回の旅。それは側高神社から始まり、安房国である館山を経由し、どうやら終着点は徳島阿波になりそうな予感がします。
この長旅は古代の人の流れと、遠い祖先が何を神として崇めてきたのか?
そんな遺伝子の記憶を辿る壮大な冒険になりそうです。

それでは旅に戻ります。
香取神宮にきて斎主となる飯長媛。彼女は元安房神社の斎王であると書きました。
であれば安房神社に香取の源流があるはずです。

第12代景行天皇の東国巡幸に関わる安房神社の逸話で、とても興味深いものが残っています。

いつの頃か安房神社に来た景行天皇。行宮から狩猟に赴いたその留守中、
磐鹿六雁(いわかむつかり)が天皇のために食膳を用意ました。
狩りから戻った天皇はその料理を一目見て感激。
主祭神である安房大神(天太玉)を招請し、天皇は神と一緒に食事をとられました。

この時、天皇は安房大神(天太玉)を御食神としてとらえたのです。

御食津神(みけつかみ)とは食物を司る神のことです。
天太玉とは本来祭祀を司る神様です。
古代の朝廷では忌部氏の祖である天太玉と、中臣氏の祖である天児屋が祭祀を二分していました。なのでその子孫である忌部氏と中臣氏はその後も祭祀一族として朝廷に仕えたのです。
そんな古代祭祀の代表的な神を祀る安房神社で出された料理に感銘を受け、天皇は祭祀の神である天太玉を食物神として考えたのですね。
また天皇が神と共に食事するのは新嘗祭や神嘗祭の儀式にみられるように、
とても神聖な行為です。それがこの安房神社でも行われたという説話です。

御食神といえば最も有名な神が伊勢神宮外宮で祀られる豊受大神ですね。
アマテラスに食事を提供する神様です。

その豊受大神ですが、伊勢に鎮座することになった経緯に
その重要性が見て取れます。
伊勢神宮外宮の社伝「止油気宮儀式帳」によると、
第21代雄略天皇の夢にアマテラスが現れ、
「ひとりでは安らかに食事ができないので、丹波の国にいる豊受大神を近くに呼び寄せなさい」と神託を授けたそうです。
つまり、豊受大神はアマテラスの指名を受けて、
丹波の国から伊勢に遷宮したということです。
アマテラスから食事に関して絶大な信頼を受けている豊受大神は、
まさに食物を司る神様の代表と言えますね。

そしてこの豊受大神が祀られる伊勢神宮外宮の豊受大神宮では
相殿神に天太玉が祀られています。
やはり天太玉は御食津神の性格を備えていると言えそうです。

このように話の流れをみてみると、安房神社に残る景行天皇の逸話から天太玉が御食津神として考えられるようになったと捉えることもできますが、
僕はそう思いません。
天太玉というよりそもそも阿波忌部という氏族は、もともと御食津神を崇拝していた。
そう考えています。そしてその理由はやはり阿波にあります。

古事記には阿波国の国神という存在が登場します。その神は女神として登場します。
名を大宜都比売神(オオゲツヒメ)と言います。
この神は五穀の起源神であり、養蚕の神であり、農業の神でもあります。
食物を司る御食津神の王道をいく神様です。
徳島県名西郡神山町にある上一宮大粟神社に祀られています。

上一宮大粟神社 神山町ホームページより

僕は阿波から日本が始まったという日本阿波国起源論を信じていますから、その阿波国の国神であるオオゲツヒメを最重要視しているのですが、この女神、神話上においてはとても謎の多い神様です。

オオゲツヒメは古事記で計4回も登場します。まずイザナギ・イザナミの国生み・神生みの段で2回登場し、3回目の登場ではスサノオに殺されます。その時女神の亡骸から五穀が生じます。この神話から穀物の起源神として伝えられるようになりました。しかし亡くなったはずのオオゲツヒメ、4回目にまた別の存在として出てきます。
いっぽう日本書紀ではまったく出てきません。
このことからもわかるように、古事記の編纂者はオオゲツヒメをとても重要視していた、だから殺されながらも4回も登場させた。つまりこの国の建国に欠かせない存在だったということでしょう。その痕跡を無理矢理にでも残すため、物語の論理性を無視して何度も同じ名前を登場させます。しかし日本書紀の編纂者は、むしろ隠しておきたい存在だった。だから1度も登場させなかった。
以前記事にしましたが記紀の編纂はそれぞれ以下のようになります。
古事記→太安麻呂
日本書紀→藤原不比等
僕は古事記に4回登場するオオゲツヒメの描写に太安麻呂の魂の叫びを感じます。
時の朝廷の目を掻い潜りながら、本当の歴史を伝えようとした太安麻呂の気概に、古代史を調べているこちらの胸も熱くなります。

このオオゲツヒメの名が古事記で最初に登場するのは阿波国の別名として出てきます。つまり阿波国という国がそもそも大宜都比売(オオゲツヒメ)なのです。
阿波忌部とは阿波国にいた氏族です。その忌部氏がこの御食津神を崇拝していないはずがありません。国神ですから、祖神である天太玉と同格か、もしくはそれ以上の信仰を持っていたとしても不思議ではありません。

さきほど有名な御食津神として豊受大神を紹介しました。伊勢神宮下宮、豊受大神宮では相殿神に天太玉が祀られていましたね。
その伊勢神宮外宮の敷地内に高倉山という山域があります。
この高倉山とは大小様々な山で構成される山域の総称ですが、その中でも最も標高の高い山を日鷲山といいます。
天日鷲とは阿波忌部の祖神です。
勘のいい人ならピンときたと思いますが、
伊勢神宮下宮に祀られる豊受大神とは、
おそらく阿波のオオゲツヒメをモデルにしていると思われます。

安房神社での景行天皇の逸話に戻ります。
安房神社で用意された食膳に感激した景行天皇は
主祭神の天太玉を御食津神だと考えました。
つまりこの逸話が元で天太玉がのちに御食津神の性格を持ち始めたのではなく、
もともと天太玉を祀る阿波忌部には、その信仰の根源にオオゲツヒメから始まる
御食津神への信仰がベースとしてあり、
そのことを景行天皇が安房神社での食事の際に気づいた。
と捉えることができると思います。

オオゲツヒメというおそらく日本最古の御食津神を崇拝する一族により供された食膳ですから、景行天皇はさぞ感激したことでしょう。
そしてその日本建国に関わる最重要な御食津神は、藤原氏による歴史編纂の煽りを受けてこの島から姿を消し、トヨウケやウカノミタマとその名を変えながら、現在伊勢の外宮や稲荷神として全国に点在しています。

さあ、千葉の側高神社から始まり阿波の大粟神社まで巡ってきた今回の旅ですが、最後はいよいよ香取神宮に戻ります。

前回、記事の最後で紹介した香取神宮奥宮。
僕はここに香取神宮の本当の神が祀られていると考察します。

香取神宮奥宮

その謎に迫る前に、もう一つ紹介したい境内社が香取神宮にあります。
まずは下のマップを見てください。

香取神宮ホームページより

奥宮が左手に見えますが総門を挟んでそのちょうど反対側に狐坐山神社という表記が見られます。ここがまた素晴らしい場所なのです。
絢爛豪華な楼門や拝殿から離れたところにあるひっそりとした神社です。
社に続く御神井道は荘厳な雰囲気が常に漂っています。

社へ続く参道
祭神 命婦神
参道を登った高台にある簡素な社

この狐坐山神社、実際に行くとわかりますが、香取神宮の広大な境内でも特別な聖域だということが感覚として実感できます。
祀られている神は命婦神という白狐の神様です。
狐といえば稲荷神に使える眷属(神の使い)として知られていますが、その神の使いである狐がある時朝廷に出入りすることを許される「命婦」の称号を授かります。それが命婦神の始まりです。
なので一般的な稲荷神社において狐はあくまで眷属(神の使い)として祀られます。
ウカノミタマという稲荷神が有名ですね。お稲荷さんと呼ばれ親しまれています。この稲荷神に使える狐がいわゆる命婦神です。
本来ウカノミタマと稲荷神は別物でした。
そもそも稲荷神とは稲を象徴する穀物神、また農耕神として単独で存在していました。渡来民族秦氏の氏神ですね。
それが室町時代以降、ウカノミタマの持つ食物神的性格と同一視され、現在多くの稲荷神社でウカノミタマが祀られるようになったのです。
ウカノミタマの「ウカ」とは穀物や食物の意味で、五穀を司る、いわゆる御食津神です。たしかに稲荷神と共通項がありますね。
しかし裏を返せば稲荷神社の主祭神はウカノミタマに限定されているわけではなく、他の神様を祀っている稲荷社もあるということです。ウケモチやトヨウケ。
共通するのは御食津神であるということです。

話を香取神宮に戻します。
狐坐山神社では命婦神という、神に使える狐そのものを祀ります。
香取神宮の境内には要石の近くに押手神社という稲荷神社が別でありますから、
狐坐山神社が通常の稲荷神社でないことは明白です。
命婦神という御食津神の眷属を単体で祀ったこの社。
その狐は香取神宮のどの神に使える使者なのか?

この聖域によく似た感覚を覚える場所が、実は香取神宮にもう一ヶ所あります。
それが地図で見ると総門を挟んでちょうど反対側にある奥宮です。
奥宮の社も装飾性のない、無垢の木材を用いたシンプルな造りなのですが、その佇まいや風格に圧倒されます。聞けばこの社で使用された木材は昭和48年に伊勢神宮が遷宮した際の古材を用いて建立されたものだそうです。

香取神宮 奥宮

経津主または斎主を祀っているとされる本殿を中央に、
左右に分かれた奥宮と狐坐山神社。そしてその狐坐山神社は神の眷属である狐そのものを祀ります。では奥宮で祀られている神は誰でしょう?

ここでもう一度「房総の古社」から引用します。
著者の菱沼勇・梅田義彦によれば、
香取神宮の現在の主祭神である斎主とは、
本来他のどなたかの神に対する祭祀を司った人を神格化したものである。

どなたかの神。

つまりもともとは斎主とされる飯長媛ではない、
香取神宮で祀られる神が別にいた。

今回の記事では御食津神の存在を取り上げました。
伊勢外宮のトヨウケ、稲荷神のウカノミタマ、
これらの神は同一神とされ共に五穀豊穣を司る食物の神様です。
どちらも稲荷神ととらえられ、祀られる神社では狐を多く目にします。
そもそもなぜ御食津神の眷属が狐なのか?それは狐の古名を「けつ」といい、そこから「みけつのかみ」に「三狐神」と当て字したのが発端とされています。
やがて狐は稲荷神の使い、または眷属に収まったということです。

香取の狐坐山神社は命婦神という狐そのものを祀っています。
ならばその命婦神の使える御食津神が境内にいるはずです。
トヨウケでしょうか?ウカノミタマでしょうか?

否、ここは古代、阿波忌部が開拓した総の国。
まして御食津神の源流となる存在が、阿波にいたとするならば….

阿波忌部直系の飯長媛こと斎主が、この香取の地で本来お祀りしていた神とは
阿波国の国神、オオゲツヒメで決まりです。

オオゲツヒメは日本書紀でその存在を隠されました。そうした歴史の流れを考慮して、側高神社は主祭神を秘匿としたのかもしれません。相殿神に天日鷲がいることからも、主祭神は阿波の神になるはずです。

太古の時代、阿波忌部が開拓した総の国。
その国に忌部の痕跡は数あれど、祖国の国神の伝承が全くないのは不自然です。
本来はあったけど、のちの時代に隠されたと考えるのが健全です。

しかしながら阿波忌部から物部、そして藤原へと移っていく香取の祭祀一族は、
表向きの祭神は変えつつも当初の神の存在を現代まで残している気がします。

ここにこの日本という国の凄みを感じます。

隠しはしても抹消しない。
この国の神社を調べていると、のちに辿れるような痕跡をあえて残す「意図」のようなものが伺えます。

いつかその封印が解かれる日が来ることを、
まるで知っているかのような彼らの思惑。

男神に奪われた神格を女神が取り戻す瞬間は水瓶座の時代を迎えた現代で、
ようやく訪れることになるのでしょうか?

全国の神社で封印された古代の女神。
その女神の覚醒を象徴するかのような地球の異変。

それもすべてシナリオ通りというならば、帝王学と呼ばれる占星術を駆使した為政者の、その政治的手腕を称賛するしかありません。

環境の変化を肌で感じる現代で、かつて様々な苦難を乗り越えた人類の、
その遺伝子に残る太古の記憶に惹かれます。

香取神宮にいる狐、それは神の使いか幻か?

僕はこの狐が仕えた神の存在が、いつか公になることを切に願ってやみません。

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