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ピレモンへの手紙を読む


ピレモンとその周辺


この手紙の
差出人はパウロとテモテですが、
受取人は若干、複雑です。

ピレモンへの手紙という個人宛ての手紙ですが、
ピレモンへの手紙 1節後半〜2節 口語訳‬ によれば、

[1] わたしたちの愛する同労者ピレモン、 [2] 姉妹アピヤ、わたしたちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会へ。

というように、複数の宛て名と家の教会が宛て先になっています。

この手紙に出てくる人物のうち何人かは、コロサイ人への手紙にも登場するので、当時はまだ家の教会であったコロサイ教会とその教会のメンバーも、受取人になっています。

ちなみに、ピレモンはコロサイ書には記載されていませんが、
・オネシモはコロサイ教会に関係していた。(コロサイ4:9)
・2節のアルキポは、コロサイ教会で役職をしていた。(コロサイ4:17)
・23節のエパプラスは、コロサイ1:7 などによると、コロサイ教会の創始者か?と思われます。

しかし、この手紙の本論などを見ますと、ピレモン個人宛ての内容ですが、
コロサイ教会のメンバーにも読まれることを意識して書かれているように思われます。


オネシモとパウロの出会い


この手紙のテーマは、
キリストの福音は、人を造り変え、さらに壊れた人間関係を和解させる力があるということです。

もっと別の言い方をすれば、
一人の人間を立ち直らせ、社会復帰させるために奮闘しているパウロの姿でもあります。


この手紙に登場するオネシモは、主人ピレモンのお金を盗み(18〜19節)、逃亡した奴隷でした。

推察ですが、彼はおそらく盗んだ金を使い果たして、身を寄せる場所も見つけられず、以前から主人から聞いて知っていたパウロを頼って、エペソにいたパウロの所に行ったのではないでしょうか? 


  【エペソ説について】

※使徒行伝には、パウロがエペソに収監されていたという記述はない。

しかし、ローマだとすると、ローマは遠方すぎる上に、首都警備が厳しくて警察に捕まりやすく、警察に逮捕されると、ほぼ間違いなく主人(ピレモン)のもとに強制送還されてしまいます。

 そういった点からもパウロはエペソにいた可能性が高いと思われます。


さて、オネシモの話に戻りますが、
オネシモは最後の頼みの綱であったパウロに事実(盗みを働いて、逃亡したこと)をありのまま包み隠さず話しました。

そして彼は、パウロからキリストの福音を聞かされ、十字架の福音を信じて、救われたのです。

そのことをパウロは次のように言っています。

‭ピレモンへの手紙 1:9b-11 口語訳‬
[9b] すでに老年になり、今またキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロが、 [10] 捕われの身で産んだわたしの子供オネシモについて、あなたにお願いする。 [11] 彼は以前は、あなたにとって無益な者であったが、今は、あなたにも、わたしにも、有益な者になった。 

パウロによれば、オネシモは、

1.肉親の子供ではなく、キリストの福音によって新生させた魂(霊)の子供でした。

2.かつては無益(リビングバイブルでは「役立たず」)な者であったが、
今や有益な(役に立つ)者になったのです。

このパウロの記述からも、
キリストの福音がいかに人を造り変えることができるかをうかがい知ることができます。


パウロは他の手紙でも、

コリント人への第二の手紙 5:17 口語訳‬[17] だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。 

と言っていますし、また

‭ガラテヤ人への手紙 2:20 口語訳‬
[20] 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。 

と言っています。

人間を造られた全能の神様は、キリストの十字架の業をとおして、どんな人でも新しく生まれ変わらせ、有益な(役に立つ)人間に造り変えることができるのです。


人間どうしの和解

〜仲介に苦心するパウロ〜

さて、この手紙のもう一つのテーマは、人間どうしの和解です。いや、むしろこちらの方がメインテーマかもしれません。

キリストの福音には、個人を生まれ変わらせる(造り変える)だけでなく、
敵対心を持っている人間どうしを和解(仲直り)させる力もあるのです。


ピリピ人への手紙の中では、
パウロは、反目し合うユウオデヤとスントケを
誰かが間に入って和解させてあげてほしいと(ピリピ 4:2〜3)言っていました。 


しかし、このピレモンへの手紙では、
パウロ自らが間に入って、
逃亡奴隷オネシモと彼の主人であるピレモンを和解させようとしているのです。

この手紙には、犯罪を犯して逃亡したオネシモに対する配慮もありますが、
この手紙の宛て名であり、オネシモの主人であったピレモンに対する配慮と気づかいが随所に散りばめられています。


本来ならば、逃亡奴隷は主人のもとに強制送還され、主人の手によって処刑される(殺される)のが常でした。

とうてい、ゆるされないオネシモを何とかゆるし、受け入れてほしいという思いからでしょうが、
単なるお世辞で言っているのではなく、
ピレモン自身が大変な人格者であった
ということが伺えます。


‭ピレモンへの手紙 4-7 口語訳‬
[4] わたしは、祈の時にあなたをおぼえて、いつもわたしの神に感謝している。
 [5] それは、主イエスに対し、また、すべての聖徒に対するあなたの愛と信仰とについて、聞いているからである。 
[6] どうか、あなたの信仰の交わりが強められて、わたしたちの間でキリストのためになされているすべての良いことが、知られて来るようになってほしい。 
[7] 兄弟よ。わたしは、あなたの愛によって多くの喜びと慰めとを与えられた。聖徒たちの心が、あなたによって力づけられたからである。

すでに先ほど申しましたように、
犯罪を犯して逃亡した奴隷は、本来なら主人の手によって殺されたのです。

しかし、そうしないように、
オネシモを生かして、社会復帰させてあげてほしいと、
パウロは、ピレモンの人格と信仰に訴えているのです。


ただ愛のゆえに

 
さて、本題は12節と17節に出てきます。

「[12] 彼(オネシモ)をあなたのもとに送りかえす。彼はわたしの心である。」

「[17] そこで、もしわたしをあなたの信仰の友と思ってくれるなら、わたし同様に彼を受けいれてほしい。」


しかも、その前後を読んでみますと、
8〜9節で、
「[8] わたしは、キリストにあってあなたのなすべき事を、きわめて率直に指示してもよいと思うが、 [9] むしろ、愛のゆえにお願いする。」


そして14節でも、

‭ピレモンへの手紙 14 口語訳‬
「あなたが強制されて良い行いをするのではなく、自発的にすることを願っている。 」 

と言っています。


つまり、パウロに言われたから仕方なくではなく、愛と自由意志から出た行為として、オネシモを処刑しないで、ゆるし、受け入れてほしいと訴えているのです。


負債について


‭ピレモンへの手紙 18-19 口語訳‬
 [18] もし、彼があなたに何か不都合なことをしたか、あるいは、何か負債があれば、それをわたしの借りにしておいてほしい。 [19] このパウロが手ずからしるす、わたしがそれを返済する。この際、あなたが、あなた自身をわたしに負うていることについては、何も言うまい。 

ここで、パウロはオネシモが盗んだお金はパウロが代わりに弁償するとまで言っています。


中心思想

 
この手紙の中心思想は、NTDによれば、

神様から無償の恵みとして愛が注がれていて、その注がれた神様の愛をさらに他人の上に及ぼしていくこと。

神様から注いでいただいた愛は、他人を愛することへと私たちを押し出していくのです。

つまり、クリスチャンが、実生活の中で、神様の愛を具現していくこと(人をゆるし、受け入れること)なのです。

この手紙が聖書正典の中に加えられたのは、この中心思想ゆえではなかろうか。







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