心の声

本当にそれはやりたい事なのか。
何よりそれをやって楽しいのか。
それとも楽しいか楽しくないかはやってみてから判断するのか。
第一に先に楽しそうと思わなければ動こうとしないのではないか。
何のためにやる? お金? みんなを救いたい? どっち? どっちもどっちだけど、そもそも生まれて来た理由、意味、意義、使命、役目、役割があるとしたら、出来ることより、したいことをしたら良いんじゃないか?それが自分らしくいられるのだから。誰かのためより自分にあった生き方が出来ていれば、それは結果的に生まれ持った使命を果たせているのではないか。そもそも始めてたくても始められないのは自然じゃないから進まないわけで、内から湧き上がってくるものがあれば自然に進めているということ。しかし、この地球での体験は理想と現実のギャップを体験しに来ている。それは思った通りに行かないこと。そこで生まれる感情を制御する術を学びたくて来ている。なので、逆の発想で行けば、気が進まなくて始めたことでも、いつしか率先して意欲的になっているということもあるわけ。そこには無理時ということではなく、裏付けられた自分の生まれ持っての才能を咲かす名目で始めて見るのも一つではないかい。きっかけは気が進まないとしても、いや気が進まないんじゃなく、今ひとつ踏み込めない、ハマらないとしたって、その先に自分の才能を活かせることが待っていると思い、いま目の前に立ちはだかる重い扉を開いてみては如何かい。何事も楽しみ、大きな喜びは、実は何となく進みずらい、進ませてくれない所にあるのかもしれないよ。あなたに眠っているお宝は扉の向こうにあるのだよ。

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