ちひろさんを見て思ったこと

どこにいようが何をしてようが、人と心が通じ合うこと、認め合うことが人を安心させ、成長させるのだなと思った

人生の意味とか、将来とか色々考えるけど、人間結局刹那主義に回帰するのかなと思った
一瞬一瞬を自分の気持ちに従ってちゃんと生きるちひろさんは逞しい。
もしかして、将来のために勉強したり何かを蓄積することって、そんなに大切じゃないのではないかとすら感じた。今の私がそうありたいという願望が大きいけど。
初めはちひろさんが出会う人を助けてたけど、だんだんとその人たちに助けられるようになる。ちひろさんは自分自身も助けてほしくて人を助けていたのかもしれない。誰かを助けたいと思うとき、見返りを全く求めないなんてことは恐らくほぼなくて、潜在的に自分も助けられたいと考えているのだろう。こうやって人は助け合って、成長し合えるのだろう。こういう風に生きてゆくことって、なんて幸せなんだろう。物質的な豊かさだけでは買えない人と人との深い繋がりが、自分自身を安定した、安心した環境へ連れて行ってくれるのだろう。
この映画を見ている半ばで、良い映画だな、出会えて良かったなとすごく思った。それは今の私の調子だったり、周りの環境だったりも含めて、この映画にマッチしていたのだろう。この映画をまたいつか見るとき、私は思い出すだろう。この景色を、匂いを、食感を。銭湯あがりの落ち着いた気持ちも、雨の降る京都も、濃すぎるりんごジュースの味も。この一瞬すべてが尊く感じる。この瞬間、私はまさにちひろさんのように刹那主義で生きてゆけるとさえ思う。

目が見えない人でも溢れ出させない社会。高度化しすぎていない社会。まるで1960年代頃の日本のよう。今でいうインド。タイ。
おそらく日本はヨーロッパ諸国(イギリスなど)のように移民受け入れして日本に元々住んでいた人はもっと高度化した仕事環境に身を置くのだろうと思う。
そこで、ちひろさんのような映画は、ノスタルジアとして昇華されてゆくのだろう。

欲しいものを欲しいままに解釈する今の私に、この映画の人々の自然な姿は、とても心地よかった。とても素敵な夜を過ごした。しばらく私の記憶に色濃く残るだろう。

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