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一人暮らし1年半の感想

18歳の私は、見事に全能感に燃えていた。
周りからは大人っぽい、自立していると言われるし、真面目な性格なので、1人で生きてゆけると本気で思っていた。
家庭環境が不安定だったことや、それに伴って発生した精神系の病気、田舎の閉塞感に辟易していたこともあって、地元から遠く離れた大学に進学し、一人暮らしを始めた。
しかし、一人暮らしを始めて数日で、ものすごい寂しさに襲われた。
1人で家事をしなければいけないということ。せっかくご飯を作っても1人。美味しいね、ちょっと味濃かったかもね、なんて気軽に言える人がいない。
高校までとは違い、大学からは同じ穴の狢はいないことを知った。
方言が違うだけでまるで留学しているかのような気分になって、全く馴染めない。
大学から家との距離が近くて、上手く切り替えができない。プライベートがなく、息つく暇がない。音がうるさくて勉強に集中できない。
今日こんな事があってさ、めっちゃ楽しかったんだよね〜と言える人がいない。友達はいても、それより1歩踏み込んだ関係の人がいない。
常に渇望を感じる日々だった。マイナスでギリギリの気持ちを、友達と会うことによって無理やりプラスに変えている日々だった。
しかし、地元に見切りをつけてこの地に来たのだ。寂しさで、精神的に満たされてなくて、あんまり勉強が捗らなくても、もうあんな親に人生を振り回されたくない。私は私で生きるのだと思っていた。大学で気の合う友達がいなくても、初めてのサークルに振り回されても、なんとか。
そして一人暮らしを始めて1年ほど経ったある日、張っていた糸が切れてしまった。
寂しい。辛い。
元からあった不眠症や何度かなっている鬱病が発病し、気づいたら私は強迫性障害を経て躁鬱になっていた。
プライドを捨てて実家に戻った。実家は相変わらずだった。絶対に許さないと思っていた父親を許した。孤独で心を閉ざした母親の話し相手になった。高校の頃は、こんなことで私の人生がすり潰されていくことに危機感があった。しかし、”こんなこと”が重要なのだ。人生の最果ての孤独を味わった私は、当たり前の日々がとても大切だったと知る。何気ないことを話せる人がいること(私にとってはおばあちゃん)、自然があって安定した生活があること、一緒に食事を摂ること。愛してくれる人がいること。愛すこと。
実家に帰って2日目、もうこちらの大学に編入して過ごそうかなと考えている。あっちの大学では、合わない人に無理に合わせすぎていた。自分軸をなくしていた。
おばあちゃんがいなくなる前に、ちゃんと恋愛して、好きな人を作って、結婚できる人を見つけようと思う。勉強だけじゃなくて、自分の人生をちゃんと進めよう。あちらでは本も読めなかったけど、こっちにいるうちにたくさん本を読んでおこう。楽しいことをしよう。友達を大切にしよう。
一度なくしてみないと分からなかった私はとても馬鹿だと思う。でも、誰かと日々を分かちあって、本音で話せる人がいたら、それだけで幸せなんだなと思う。
あちらの生活で得たことも無駄では無い。図々しさとか、神経の図太さとか、人と交流することの大切さや、閉塞感は私自身が感じるかどうかの問題であることも分かった。
相変わらず実家は憎悪で渦巻いている。でも気にしない。
今度引っ越すのでもしかしたら変わるかもしれない。また自発的に友達を作る必要もあるが、どうなるか分からない。
でも、実家の私はとても安定している。早く彼氏を作ろう。

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