000:明治の終わりを告げる夜

 1912年、明治45年7月30日――第122代天皇睦仁、崩御。
 同年同日、明宮嘉仁が第123代天皇として即位――これにより、明治は終わりを告げ、大正へと改元された。
 同年9月13日、帝国陸軍青山練兵場(現・明治神宮外苑)にて、天皇睦仁、もとい、明治天皇の大喪の礼が決行される。
 当時は夜に大喪の礼は行われていた。共に歩んできた大帝を失った国民の心情を反映したような暗闇の中、彼等は地面へと正座し、道の中をゆっくりと歩く葱華輦へと只管に頭を下げていた。江戸幕府の倒幕から45年余り人々を支えてきた天皇が、とうとう天へと隠れてしまうのだ。
 
 そんな情景を、遠目ながら見ていた少年と少女の姿がそれぞれ一つあった。
 少年は金髪とも茶髪とも取れる色素の長い髪の毛を、一本に絞っており、黄色のラインが入った白い軍服の上に、金糸雀色のマントを羽織っていた。
 少年は恐ろしい程に端正な顔立ちの中に浮かぶ琥珀色の瞳で、葱華輦をジッと見据えていた。と、頭の上に被っていた白い軍帽を手にして、脱帽。葱華輦が自分達の前を通ると、その場で跪き、少女と共に深く頭を下げた。
 葱華輦が通り過ぎると、再び帽子を深く被り直し、隣にいた少女に言う。

「この国の天皇の殂落は何度も見てきたが、今回から始まるこの大喪儀は気分が落ち込みやすいな」
「そりゃそうだろ。国民全員が一同に特定の人物に対して喪に服す日だ。それがお国の大将なら尚更、な」

 少女は胡桃色の内巻き気味のボブカットの上に同じく白い軍帽を被り、後ろにやってしまった菫色のマントを前へと戻した。その下には、少年と似たような白い軍服に、紫色のライン。ただ、一つ違うのは少年はズボンだが、少女はしっかりスカートだった。
 少女はマントとよく似た色の瞳で、葱華輦を見送りながら、続ける。

「ま、お国の大将はとっくに変わってるが……『記帳』によると、今回はそう長くねぇんだろ」
「皇族の記帳は基本真っ白で見れないが、それ意外の者の記帳によるとそうなるようだ。そろそろ細かいところでそういった事象が察せられるのは、閻魔大王様もどうにかした方が良いんじゃないか」

 少年と少女はそのまま歩き出した。
 人々が葱華輦を見送っているのを見守りながら、少女は「いーや」と、笑顔で首を横に振った。

「オレは面白いからこのまま維持が良いな。なんつーか、千里眼みてぇで面白いじゃん」
「全く……まぁ、記帳が覗けるのは此方の特権ではあるが、いい加減、閲覧制限は付けるべきだろう」

 少年は呆れ気味に溜息を吐いてから、ふと、顔を上げた。

「そういえば、ハミズの奴は明治天皇の見送りには来なかったのか? 彼奴の事だから、この手の行事には一番乗りしてると思っていたが」
「んにゃ。アイツ、今回は向こうで謁見して貰ってんぞ。オレらよりも大先輩だし、特別措置って奴だろうな」
「そうか。ま、今のところ直接謁見出来そうなのはアイツぐらいだし、当然と言えば当然か」
「それと」

 と、少女は続けて、

「シシノの奴が言ってたけど、今日は新人が着任するらしいぜ。ハミズの奴、そっちの面倒も見るって言ってたし、行事にくる余裕ねぇだろ」
「おい待て。新人の着任は兎も角、面倒見る事まで僕は何も聞かされていないぞ。何でお前が知ってるんだ」

 少年はハミズという人物の事情が、少女の口から飛び出ている事が気に食わないようで、続ける。

「彼奴との付き合いは此方の方が長いぞ。何故、何言われなかったんだ?」
「そりゃー、おめー、鏡に写ってる自分の姿に見惚れてるナルシスト野郎に話しかけ易いと思うかよ。オレなら絶対話しかけたくないし、ハミズの奴だってそうした。至極真っ当じゃねーか」
「仕方ないだろう」

 少年は頬に手を当てて、流し目で少女を見た。

「一日に起きてる時間の半分ぐらいは、自分の姿を見ていないと落ち着かないのだから……僕より美しい人物が現れれば、別だが」
「相変わらず気色悪りぃな」

 少女は額に青筋を浮かべながら、自分なりに言う。

「オレはお前よりハミズの方が綺麗だと思うがな。顔だけならアイツだって相当なもんだぜ?」
「う……ハミズに関しては、度々勝てないと思うことがあるから、何も言い返せないな。顔だけではなく、所作共々美の塊だよ、彼奴は」

 とは言え、あくまでも「度々」という部分が、少年的には抑えておきたいポイントなのだろう。基本的には自分が勝っていて、ハミズは偶にそれを上回る美を醸し出してくる。ただ、それだけなのである。
 二人がそうして駄弁っていると、若草色のマントを羽織った少年が此方へと手を振りながら駆け寄ってきた。

「スミレさん、ナルギさん!」
「おう、シシノ! お前も見送り終わったか」
「はい。一先ずは」

 少年・シシノは黒い髪の毛を揺らしながら、少女、もとい、スミレの方へと向かった。シシノは手に持っていた白い軍帽を被り、丸眼鏡の位置を整えつつ、花緑青色に煌めく目をスミレに向けた。

「夜だと言うのに、皆よく集まりますよね。それだけ陛下が慕われている、ということでしょうか」
「そうじゃねぇか? ま、国民にとって天皇は基本神だし、オレらからしてもめっちゃお偉いさんだ。見送らない手はねぇよ」

 スミレはシシノにそう言った。
 現・皇太子――後の昭和天皇が、第二次世界大戦後に人間宣言をする前、天皇は神として神聖視されており、大日本帝国憲法に於いても、「神聖不可侵」と明言される程であった。また、この時代は天皇に対して必要以上の詮索をする事も禁忌でもあり、歴史に関する教育でも、そこは徹底されていた。日本考古学が他の西洋諸国に比べて遅れを取っているのはその為である。
 そして、スミレの言葉はもう片方の少年・ナルギにも向けられた。

「とりあえず、このまま京都の方に向かうか? 今回そっちに埋葬されるんだろ?」
「と言っても埋葬されるのは明日だろう? 今日のところは向こうに戻って休むのが良いんじゃないか。明日ならハミズの奴とも合流出来る筈だ」
「僕もナルギさんの言う通りが良いと思います。時間に余裕があるし、今すぐ向かうのは早すぎるかもしれません」
「じゃ、戻るか。今回葬儀は東京なのに、肝心の埋葬が京都だからややこしいことこの上ねーなぁ」

 3人はそうして歩いて行く。

 この3人の見た目、普通であれば目を見張るものであるが、人々はそちらへと目を向けることはない。いや、そもそも、人々には3人の姿が「見えていない」のである。
 それは、彼らが人間ではないことを意味し、別の世界から――そう、「黄泉の世界」の住人であることを示していた。

 そんな彼等のことを、向こうの住人達は「黄泉の守り神」と、呼んでいる。

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