2024年7月18日の日記

 今日は調子がかなりましだった。

 ブルデューのディスタンクシオンⅡを図書館で借りた。チョコザップのランニングマシンで早歩きしながら読もうと思ったが、文字が揺れて読めなかったので家で読んだ。

 その証拠となる例は、自分でも言っているように「自分の稼いだ金を使うすべを知らない」 あの職人や小企業主たち、あるいは農民や労働者の身分を遅くなってからやっと脱出したあの下級事務労働者たちだ。後者の人々は(生活をきりつめたり「自分自身で」 生活に必要な作業をしたりしながら) 「自分のためたお金」に頼らずにすませることで、その貯金を勘定し、あるいはゆっくり味わい、それによってある財やサービスから得られたかもしれない満足感とつりあうだけの満足感を見出すのであるが、しかしまたそれゆえに、万一の場合にそのお金に頼るときには、自分は浪費をしているのだという苦痛の感情をどうしても覚えずにはいられないのである。

ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン――社会的判断力批判〈普及版〉 2』石井洋二郎訳、2020年、藤原書店、721頁。


 「これあたしや泣」となった。自炊したり家事したり、電車やバスを使う必要がある距離を歩いたりすることで「ある財やサービスから得られたかもしれない満足感とつりあうだけの満足感を見出す」。お金を節約できた、ということに喜びを見出す。わたしはいつも残業するごとに今日は時給換算で何円稼げたと勘定し、ごはんにお金をかけたとしても今日のごはん代はチャラだと思ったりする(実際は税金などがかかるためそのままもらえるわけでもないのに)。家事代行を利用するときは休日出勤するから採算取れると考えるし、何か良いもの(かばんや服など)を買うときもこれはボーナス出る分で…とか最近節約してたから…とか自分を納得させる理由づけをしないと買えない。

 庶民階級の女性は実用的で経済的な服を選び、ブルジョワジーの妻は、「スポーティな」あるいは「洗練された」 服を選ぶ傾向が最も強いという。

 庶民階級の女性が服装にあまり多くを投資していないこと、またこの方面での美しさの探求にはあまり多くを投資したがらないことを示すもう一つの証拠は、ブルジョワジーの妻たちがブティックやしゃれたデパートで衣類を購入する傾向があるのにたいし、彼女たちはマーケットや通信販売、「大衆的」 デパートなどで衣類を買うことが多いという事実である。

同書、727頁。

 このように庶民的慣習行動は、金銭や時間、そして結局のところはほとんど得るところのない努力などを確実にさせてくれるので、たしかに客観的条件から直接出てくるように見えるかもしれないが、実際には (「これは私たち用のものじゃない」といった自制に見られる)必要なものの選択を原理としているのである。ここで「必要なもの」とは、技術的に必要な、「実用的な」(あるいは別の言いかたをすれば「機能的なもの、すなわち「しかるべき状態であり、しかもそれ以上ではない」ために必要なものという意味であると同時に、「単純素朴」で「慎ましい」趣味へと追いやってしまう経済的・社会的必要性によって押しつけられたものという意味でもある。

同書、728頁。

 以前はおしゃれな服が展示されているのを見て服屋さんに入って、到底買えるような値段ではないと知ったとき、そっと値札を戻してその場を去ったものだった(今は年齢が上がって収入も少しは増えたので買えますよという空気は出せるようになったが…)。「これは私たち用のものじゃない」という感覚はよくわかる。

 また、庶民階級の女性は自分自身を高く評価していないため、労力と時間を惜しみなく使い、自分へのいたわりや注意を払うことをほとんどしない、という。

 まだ全然読めていないが、原著を読んでみたかったので興味深かった。上述のことだけを見ると、ただ庶民の状況を述べているだけじゃないのか?と思うかもしれないけど、そうではない(らしい)。

 結構前、この紹介動画で初めて内容を知った。この動画の最後で、すごく良いことを言ってくれている。ディスタンクシオンは社会決定論だ、結局生まれた家系や育った環境が人間の行動を決めると言いたいんだろ?という批判があるらしい。それに対し、ディスタンクシオンは社会決定論ではなく、また、すべての行動の原因はその人に帰属するという自己責任論でもない。その人の地位、身分、資本量、成功、失敗、挫折はすべてその人によるものだという自己責任論は、責任の帰属先をただ一個人に着せただけの思考停止だ、かといってすべてをその人をとりまく環境のせいにするのも思考停止である。それに対しブルデューはもっとしっかり考えようぜ!という態度である、という。その続きもめちゃくちゃ良かった。わたしはよく思う、色々知ってこそ色々できたり考えられたりする…。うまく言語化できないが、色々知って考えたことの方が知らないときに考えたことよりいい感じだと思う。これからも知っていきたい。

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