2024年6月13日の日記

 最近ふたつくらい思ったことがあった。

 人はみんな価値観違ってていいし、自分と合わない人も存在することも別にいいと思う。これは前からも思ってたことやけど。でもその許容範囲にも限度があって、自分と合わない人が人を傷つけるような考えを持っていた場合にはそれをあかんよなと思っていいのかもしれないと思った。以前ちらっと聞いた、カール・ポパーの「寛容な社会を維持するためには、寛容な社会は不寛容に不寛容であらねばならない」という考えにも近いかもしれない。ローティの『偶然性・アイロニー・連帯』でも似たような話があった。
 たとえば、よくいるけど「人生は努力がすべて、自分は今までやってきた、それが報われて今の幸せな人生がある」って言う人がいるとしても、わたしは考え違うけど全然いい。でもそういう人が、「恵まれない立場にいる人はその人の自己責任だし努力不足だ」と言ったときには、真面目に反論してもいいと思った。

あと、(直接的にメッセージ汲み取ったとかではないけど)手塚治虫の作品を見たり思想を知ったのがきっかけで、生きる意味が少しわかった。良い思想を伝えて、広めて、残していくこと。それが、国家の繁栄とかより重要なことやし、なんかやっていきたいなと思った。夏目漱石は、『破戒』(被差別部落出身者が主人公の小説)を「明治の小説としては後世に伝ふべき名篇也」(森田草平宛て書簡)と評価した、というけど、よくわかるで?その気持ちって思う。簡単には言い表わせないけど、こういう特定の問題に対してどう対応していくかみたいなことへの本質を捉えた文章(思想)って、後の時代になっても色褪せないものだと思う。後の時代に他の問題が起こったとしても使える考え方になるというか。そういう考え方を作り出すこと(?)が、わたし的には最も人間らしいことやし、たとえ世の中に発表されないとしても、尊敬できるような考え方の人が世の中にいることは喜ばしいことだと思った。

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