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世界史漫才39:エカチェリーナ2世編

 苦:今回はエカチェリーナ2世です。
 微:「今夜のおかずはイカのテリーヌにせい!」とメイドに命じてから来ました。
 苦:ベタなシャレはいいよ! 彼女はロシアを近代化した啓蒙専制君主としても知られています。
 微:キミも低脳先生君主として知られています。
 苦:お前に言われたかねえよ! エカチェリーナ2世は、北ドイツのポンメルンのシュテッティンでルター派の貴族の娘として1729年4月21日に生まれました。ポンメルンは、現在はポーランド領です。
 微:おおっ!”シュテッティンからトリエステ”だな。
 苦:お前が歴史的知識を踏まえたボケを入れるのを初めて見たよ。ドイツ時代の彼女はゾフィー・アウグスタ・フレデリーケといい、父は小邦領主アンハルト=ツェルプスト侯クリスチャン・アウグスト、プロイセン軍の少将でした。母ヨハンナ・エリーザベトは、デンマーク王家の分家ホルシュタイン=ゴットルプ家出身でした。母の兄アドルフ・フレドリクはのちにスウェーデンの王位を継承します。
 微:サングラスかけてベンチコートの襟を立てたコーチになったわけだ。
 苦:それは『パワプロ』! ゾフィーは2歳の時からロシアへ行くまでフランス人ユグノーの家庭教師の教育を受け、フランス語に堪能で合理的な精神を持った少女に育ちました。ゾフィーはそれほどの美貌ではなかったのですが、生来の優れた頭脳を活かし、知性や教養を磨いて魅力的で美しい女性となる努力を重ねました。クレオパトラと同じタイプの美女でしょう。
 微:父も『プリンセス・メーカー』のコントローラーが壊れるまでやり続けた甲斐があったってもんだ。
 苦:ゲームから離れろ! 本来家柄的にはとても大国の后妃候補に挙がる身分ではありませんでしたが、母ヨハンナの早世した兄カール・アウグストがロシア女帝エリザヴェータの若かりし頃の婚約者であった縁もあって、ゾフィーは14歳でロシア皇太子妃候補となります。
 微:『ロミオとジュリエット』のジュリエット、唐の則天武后と同い年だな。
 苦:1744年にサンクトペテルブルクに到着し、ロシア正教の教義を習った上で、ロシア正教に改宗してエカチェリーナ・アレクセーエヴナと改名します。またロシア語をワーシリィ・アダドゥーロフに習いますが、彼は初めてロシア語を体系化した人物です。ロシア語の勉強に熱中したあまり高熱を発して倒れてしまい、エリザヴェータ女帝やロシア国民の心を動かしたという逸話も生まれています。
 微:私も『パワプロ』やりすぎて倒れてしまい、母親にゲーム機を壊された逸話を持っています。
 苦:レベルが全然違うんだよ! そして改宗の翌日、エリザベータの甥で母方の又従兄にも当たる皇太子ホルシュタイン公ピョートルと婚約し、翌1745年に結婚しました。
 微:宮廷内で武家風と公家風を巡って鞘当てしあった大奥と和宮とは違ったわけだな。
 苦:まあ、公家夫婦が将軍として江戸城に入ったようなもんですかね。二人ともドイツ育ちのため、ピョートルにとってはとりあえずドイツ語で存分に会話できる相手ではあったようです。
 微:この時に、♪いっぱい聞けてえ~ いっぱいしゃべれるう~ って歌ができたんだな。
 苦:無視無視。ロシア文化に不慣れだったのに、エカチェリーナはロシア語を習得し、ロシア正教にも改宗し、ロシアの貴族・国民に支持される努力を惜しみませんでした。ですが、知的障害もあったと思われるピョートルはドイツ風にこだわり続けます。
 微:家茂&和宮ではなく、家定&篤姫だったわけか。いや、ヒラリー&クリントンか。
 苦:最後のはヒラリー=クリントンで一人の人間だよ! プロイセンのフリードリヒ2世ファンのピョートルはドイツ式の兵隊遊びに熱中して、周囲の反感を買います。
 微:でも、夫が鉄道マニアだともっと困るぞ。夫婦で電車ごっこなんてやってられないしな。せめて電車男ごっこにして欲しいな、 キタ━━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━━━ッ!! って。いや、”斜め45度”かな。お渡りで「ぇえ まもなくぅ 1両目と2両目 連結しまぁす」って。
 苦:もういいよ、中川家ネタは! でもエカチェリーナ2世の場合、下ネタを禁じ手にできないからな。残念なことに、ピョートルは男性能力の欠陥のため、結婚後も二人には長期間夫婦の関係はありませんでした。後にピョートルは手術を受け、ようやく夫婦生活が可能になりました。
 微:ピョートル1世が悪い部分を抜いてあげたそうです。
 苦:幽霊だよ、それじゃ! ですが、その頃には既にエカチェリーナはサルトゥイコフ、後のポーランド王スタニスワフ・ポニャトフスキらと半ば公然と関係を持ってました。エリザヴェータ女帝も周囲も世継ぎ確保の大義名分で黙認です。
 微:これは計画的な”産地偽装”だな、誰か脳薄症、いや農水省に通報したのか?
 苦:彼女は1754年に後の皇帝パーヴェル1世を出産、父親はセルゲイ・サルトゥイコフの可能性大です。ただしボンクラ皇帝で、さっさとエカチェリーナは孫のアレクサンドル1世を皇帝にします。
 微:産地偽装の上に「事故米」「怪しいお米」かよ!
 苦:1758年出産の女児アンナの父はスタニスワフ・ポニャトフスキでほぼ確定。1762年4月11日に火事に紛れての極秘出産した男児アレクセイの父は近衛連隊将校グリゴリー・オルローフ。この子はボーブリンスキーの姓を与えられ、のちに貴族に叙せられます。
 微:内田春菊の3人の子どもみたいだな、全部父親が違う・・・・
 苦:しかも彼女には春菊さんの義父のようなおおらかな後見人はいません。1762年にエリザヴェータ女帝が死去すると、夫ピョートルは皇帝に即位し、エカチェリーナも皇后となりました。ピョートル3世はプロイセン王フリードリヒ2世の信奉者だったため、エリザヴェータも加わった七年戦争も勝利目前で、ピョートルが即位後にいきなり和約を結んでしまい、ロシアの内外で不評を買います。
 微:武田を途中で入れたために、イラクと引き分けた「ドーハの悲劇」以下だな。
 苦:ピョートルへの怨嗟の声は高まり、エカチェリーナ待望論が巻き起こるんですが、既に話した通り、妊娠中だったのですぐには動きがとれませんでした。4月に極秘に出産を済ませ、7月にエカチェリーナ皇后は、近衛連隊やロシア正教会の支持を得てクーデタを敢行しました。この時、エカチェリーナは軍服の男装で自ら馬上で指揮を取り、その凛々しい姿の肖像画が残されています。
 微:その姿に”萌えて”宮崎駿が『もののけ姫』を作ったんだな。
 苦:首は飛びません。オルローフ兄弟やエカテリーナ・ダーシュコワ夫人らの尽力で、近衛連隊を始めとする在ペテルブルクの主要な軍隊・反ピョートル派の貴族はエカチェリーナ側に付き、クーデタはほぼ無血で成功しました。
 微:巨人の原監督もこうやってナベツネを追放しろよな。阪神ファンでさえ支持してくれるぜ。
 苦:在位6ヶ月で廃位されたピョートル3世は幽閉されますが、間もなく監視役のアレクセイ・オルローフが勝手に暗殺したようです。公式には「持病の痔が悪化して急逝」と発表されました。エカチェリーナ2世は自身の関与を否定しましたが、真相は不明です。
 微:死んだあとまで恥をかかされたのか、かわいそうに。せめて「未知のウイルスに感染」にしてやれよ。
 苦:9月に彼女はモスクワで戴冠式を行いました。しかし宮廷の実情やクーデタの経緯を知らない一般庶民らには、ピョートル3世への同情と帝位を奪った女帝に対する反感があったようです。彼の死の直後から「ピョートル3世」の僭称者が何人も現れました。1773年に発生した農民反乱=プガチョフの乱はその最大のものでした。
 微:日本でも葦沢将軍、熊沢天皇、有栖川宮が登場するくらいだからな。
 苦:彼女は啓蒙思想の崇拝者で、ヴォルテール、ディドロなどとも文通して、教育の振興・病院の設立・文芸の保護を行っています。社会制度の改革にも取り組みはしたんですが、当時のロシア社会は想像以上に遅れた状態にあり、特筆すべき成果を上げることはできませんでした。
 微:安倍、福田内閣みたいなもんか。党の後進性が想像を絶するレベルで、自己評価は過大で。
 苦:残ったものはボリショイ劇場や離宮エルミタージュ宮殿ですか。建設事業の一方、ロシアの文化・教育の整備にも力を注ぎ、英邁の誉れ高い女性側近ダーシュコワ夫人をアカデミー長官に据えます。彼女はロシア語辞典の編纂事業に着手し、後世のロシア文学発展の基盤をつくりました。
 微:ロシアの男で頭の良いやつは、この時代いなかったのかよ・・・
 苦:派手好みのエカチェリーナ2世は積極的な外交政策を推進します。3回のポーランド分割などを通じてロシア帝国の領土を大きく拡大しますが、これも王位継承に介入して、かつての愛人スタニスワフ・ポニャトフスキを推挙・即位させた事が遠因でした。
 微:昔の何でもありの大蔵映画で、ワンマン社長の大蔵貢がスキャンダルの記者会見で「女優を愛人にしたんじゃない。愛人を女優にしてやったんだ」って開き直ったのを思い出したぜ。
 苦:1780年にはアメリカ独立戦争に際してヨーロッパ諸国に働きかけ、武装中立同盟を結束させました。南方では、オスマン帝国からウクライナの大部分やクリム=ハン国を併合し、バルカン半島進出の基礎を築きます。晩年にはフランス革命に脅威を感じ、国内を引き締め、自由主義を弾圧しました。
 微:まさに右手に権謀術数、左手に軍隊、口で啓蒙思想、という三角攻撃。宮崎駿が右手にロリコン、左手にメカ、口でエコロジーでのし上がっていったのと同じパターンだ。
 苦:映画界の天皇にケンカ売ってどうする! 私生活面では、エカチェリーナ2世は生涯に約10人の公認の愛人を持ち、数百人の非公認の愛人を抱え、夜ごと人を替えて寝室をともにしたとする伝説もあります。
 微:なんか夜の入団テストみたいだな。このためにボリショイを作ったような気がするわ。
 苦:45歳の頃、10歳年下のポチョムキンと深い関係になります。愛情には恵まれなかった彼女の生涯唯一の真実の夫と言うべき男性です。私生活のみならず、政治家・軍人としてもポチョムキンは不可欠のパートナーでした。1791年にポチョムキンは任地に向かう途中に倒れて病没します。女帝は「夫」の訃報に「これからは1人でこのロシアを治めなければならないのか」と深く嘆き悲しんだそうです。
 微:そう言ってるけど、本当にロシア人を人間と思っていたのか、と疑ってしまうよな。
 苦:宮廷公用語はフランス語だったわけだし、自分はドイツ人だし。子孫にはロマノフ朝の血はないし。
 微:結局あれだな、大黒屋光太夫はガースーと違って大きくもなければ黒光りもしてなかったから日本に送り返されたんだな。
 苦:あくまでも善意とラッコの毛皮だよ!(ペシッ!)

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