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世界史漫才60:ヒトラー編その2

 苦:今回は溜めに溜めたヒトラー編の続編です。
 微:最初からなかったことにするかと思っていたのに、どっかの会社の計画倒産みたいに。
 苦:ハイデガーとは違いますし、北朝鮮みたいにいつまでも続くのもね。集中的に書いていた2008年から3年以上が過ぎましたが、約束は守りますから。政治生命を賭けると宣言まではしてませんが。
 微:誰かの「政治生命を賭ける」「政治家の矜持」ほどは軽くはないけど、「それはどこの国の話だ」ほどは重くはないと。
 苦:でも予定を変えて、政権成立までの話を増やします。現状批判を込めて。アドルフ・ヒトラー(1889~1945)ですが、簡単におさらいすると、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)を結成し、反ユダヤ主義とセットになったドイツ人=アーリア民族説を中心に据えた民族主義を掲げ、1929年の世界恐慌後の混乱したドイツ政界に彗星のように現れました。
 微:通常の3倍のスピードで支持率を伸ばしたらしいな。
 苦:ガンオタのネタを振るんじゃねえよ。『機動戦士ガンダムさん』の作者が『ムダヅモなき改革』で月面での小泉対ヒトラーの麻雀対決を描いたとはいえ。第2部が自衛隊でイシバシGEL的で。
 微:永遠のライヴァル扱いだった教皇ベネディクト16世も、神父たちによる児童の性的虐待隠蔽の発覚で辞任したな。GELも娘が東電社員で、自分も東電最大株主だったことがバレてピンチだけど。
 苦:麻雀マンガのネタにされた時点で終わり、ということだよ!! 世界恐慌によって急速に景気の悪化したドイツでは、大量の失業者が溢れかえり、さらにヤング案への反発が与党SPD政府への反感を増幅しました。その不満の受け皿となったのがナチスとドイツ共産党でした。しかもナチスの私兵「突撃隊」と共産党の私兵「赤色戦線戦士同盟」の乱闘が各都市で発生し、市民が楽しみました。
 微:これが「パンとサーカス」だな。昭和のラッシャー木村と馬場の対話というか。
 苦:馬場の全日本プロレスとラッシャー木村の国際軍団のバトルとマイクパフォーマンスじゃねえよ!! ドイツ財界、保守主義者などは、ナチスのイデオロギーをいかがわしく思っていました。
 微:栗原優先生の『ナチズム体制の成立』話でもあったな。
 苦:ロシア革命の二の舞のような事態だけは避けたいので、共産党への対抗馬としてナチス支持に回りました。財界との仲介役はゲーリングらが果たしました。
 微:堺屋太一がハシゲと財界を繋いでいるようなもんだな。あの耄碌ジジイ。
 苦:1932年にヒトラーは大統領選挙に財界の資金援助で出馬し、第1回投票ではヒンデンブルクの過半数獲得を阻止します。得票数では第二位、共産党候補者テールマンの3倍近い得票率でした。
 微:自分から誘い水を出すな!!
 苦:決戦投票では現職ヒンデンブルクに敗れはしたものの、ドイツ共産党にとってはナチスとの差が決定的となったことを物語る大統領選挙となりました。
 微:もしも「ドイツ国民ヤケクソ度メーター」があったら、かなりの数字だろうな。
 苦:続く同年7月の国会議員選挙ではナチスは37.8%の得票率を得て230議席を獲得、これは1930年選挙時の18.3%、107議席を上回った上、社会民主党を抜いて議会第一党に躍進したわけです。
 微:地方票では勝ったけど、お金の力で議員票を奪った安倍に負けた2012年のイシバシGELだな。
 苦:いいかげんに離れろ!! しかし、ヒンデンブルクはボケかけてはいたものの、ヒトラーを首相にするのをためらい、パーペンを首相に任命しました。
 微:何も決まらない大統領内閣の始まりだな。
 苦:少数与党でしたので議会は政争に明け暮れ、今の日本と同じで「決まらない政治」が常態化しました。
 微:「近いうちに国民の信を問う」ことで合意したそうです。
 苦:それも2012年日本!! 1932年11月にはパーペン内閣不信任案が可決され、総選挙が実施されますが、ゲッベルスはドイツ共産党主導の大規模な交通ストライキに突撃隊員を参加させました。
 微:破壊と乱闘は得意そうだな。
 苦:これが財界やベルリン市民の危機感を生み、かろうじてナチ党は議会第一党は保持しました。しかし、この選挙で共産党が得票を伸ばしていたことに保守層は危機感を抱いたのです。
 微:日本ならそんな心配しなくていいのにな。隣の国の共産党が邪魔してくれるから。
 苦:総選挙で少数与党から脱することを狙ったパーペンでしたが、絵に描いた餅でした。さらにシュライヒャーの策動によりパーペン内閣は崩壊し、後継内閣をシュライヒャーが組織しますが、シュライヒャーも議会運営に行き詰まります。
 微:要するに、パーペンを「鳩ポッポ」に、シュライヒャーを「バ菅」に脳内変換しろと。
 苦:ただ、それをすると野田の出番が無くなるんですが。「万策尽きた感」が満ちたところで、ヒンデンブルクもヒトラーが国家人民党の協力を取り付けることを条件にヒトラー内閣を承認しました。1933年1月30日のことでした。
 微:第2次大隈内閣もそんな感じだったからいいんじゃないの?
 苦:ちなみにヒトラーは首相就任直後の施政方針演説の3大方針を挙げておきますね。
  (1)国際協調と平和外交
  (2)ヴァイマル憲法の遵守と憲法第48条(大統領緊急令による基本的人権の停止条項)の濫用抑止
  (3)多党制の維持(共産党の活動も制限しない)
 微:"Trust Me"、「最悪でも県外」以下だな。
 苦:ヒトラーは内閣発足の2日後の2月1日に議会を解散し、総選挙投票日を3月5日と決定しました。2月27日の深夜、国会議事堂が炎上する事件が発生します。
 微:2ちゃんねらーに狙われたんだな。
 苦:ネット上の祭りでも炎上でもありません。ドイツ国会議事堂放火事件です。ヒトラーとゲーリングは証拠もないまま、共産主義者の武装蜂起と断定し、直ちに共産主義者の逮捕を始めました。
 微:私的暴力装置を持つ政党は強いな。日本は暴力団が代行する部分が大きかったけど。
 苦:翌28日にヒンデンブルク大統領に大統領緊急令を発令させます。これは憲法の基本的人権条項を停止し、共産党員などを法手続に拠らずに逮捕できる権限を首相に認めるものです。この状況下の3月5日の選挙ではナチスは 288議席を獲得しましたが、単独過半数は獲得できませんでした。
 微:ヒトラーは一人でCDを200枚買って投票したそうです。
 苦:AKBじゃねえよ!! しかし、共産党議員はすでに逮捕・拘禁されており、さらに社会民主党や諸派の一部議員も逮捕されたので、国会が成立要件を満たさないので法案成立は無理だったんです。
 微:新型コロナを理由に遠隔参加したことにしたそうです。
 苦:近いです。これらの議員を「出席したが、投票に参加しない者と見なす」ように議院運営規則を改正するという力業でナチスは憲法改正的法令に必要な3分の2の賛成を獲得出来るようにしました。
 微:誰とは言わないが、政治資金収支報告書みたいだな、鳩ポッポの。
 苦:言ってるだろ!! 3月24日には国家人民党と中央党の協力で全権委任法を成立し、議会と大統領の権力は形骸化されました。7月14日にはナチ党以外の政党を禁止し、12月1日にはナチ党と国家が不可分の存在であるとされた。念頭にあるのは当然ながらイタリアのファシズム大評議会です。
 微:ファシズムは輸出できたわけだな、ムッソリーニの自負に反して。しかももっと強烈に進化して。
 苦:対立が高まっていた突撃隊参謀長レームらに対しては、ヒトラーはゲーリングと親衛隊全国指導者ヒムラーらによって作成された粛清計画を承認し、1934年6月30日の「長いナイフの夜」によって突撃隊を初めとする党内外の政敵を非合法的手段で粛清しました。
 微:党外では合法、党内では非合法か。職場恋愛がセクハラ扱いされるようなもんだな。
 苦:この年8月2日、ヒンデンブルク大統領が在任のまま死去し、このチャンスを利用してヒトラーは直ちに全権委任法を発効させ、大統領と首相の職務と合体させ、この措置は国民投票で賛成90%を占めました。以後、自身のことは従来通りFührer(指導者)と呼ぶように国民に求めました。
 微:親愛なる将軍様だったら、えらいことだな。けど、この辺はオクタヴィアヌスっぽいな。
 苦:権力掌握以降、ヒトラー崇拝は国民的なものとなりました。ドイツ民衆が党や体制に対する不満を持つことがあっても、党幹部に批判が向けられ、ヒトラー自身は対象となりませんでした。
 微:「黄門様」の存在が絶対的権力を持つ江戸幕府を延命させるようなもんだな。
 苦:ヒトラーは従来合議制であった閣議をほとんど開催せず、書類は回覧決裁で処理し、重要な方針については大筋を決めるだけで、詳細は所轄官庁に丸投げしました。
 微:まさに家重以降の江戸幕府だな、「良きに計らえ」だけで済むと。
 苦:この「口頭政治」は官庁やナチス関連組織の自立性を生み出す一方で、任務というか利権が競合する組織間の軋轢を生み、そしてそれが却って指導者ヒトラーが調停者・決裁者として権威と権力を高める効果を発揮しました。ヒトラーだけが知る、ナチス政権に総合的政策はない、と言われる所以です。
 微:”ドイツの東京スカイツリー”とまで呼ばれたそうです。
 苦:時間軸が狂ってるだろが!! 党と国家の一体化を推し進める一方で、航空省の設置など再軍備を推し進めました。ヒトラー政権以前にアウトバーン建設は始まっていましたが、失業対策のラインハルト計画により、1933年には600万人いた失業者も1934年には300万人に減少しています。
 微:失業者の半分はダッハウに送られたため、そうなったです。
 苦:まだ早いよ!! その一方で新聞の統制化も行い、営業不振となった新聞社・雑誌社はナチスの出版社フランツ・エーア・フェルラーグが買収し、情報の一元化も進められました。
 微:ドイツのFOXニュースと呼ばれたそうです。
 苦:1935年にはドイツ再軍備宣言を発し、軍備拡張の既成事実を誇示しましたが、イギリスのマクドナルド首相は海軍協定でそれを黙認するなど、どの国も阻止しようとしませんでした。
 微:育成してソ連と戦わせようとしたんだろ。まあ、『わが闘争』読めば、そう思うわな。
 苦:そして1936年には国の威信をかけたオリンピックのベルリン大会を開催します。有名な話ですが、合法的にギリシアまでの軍用地図作製のため、オリンピアでの聖火採取と聖火リレーが始められたのもこの大会からです。
 微:景気づけにギリシアからドイツまでの各地で放火して回ったそうです。
 苦:ウソはもういいよ!! また延長戦だよ。

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