見出し画像

(1)「ドナドナ」の日本定着と意味の重層化~燕、栗毛、子牛、旅人、麦~

1.はじめに

 さっそくだが、以下の歌詞を見ていただきたい。一定の年代の人なら頭が勝手にメロディーをつけて心の中で歌ってしまうだろう(筆者もその一人である)。

  ある晴れた昼下がり  市場へつづく道
  荷馬車がゴトゴト   子牛を乗せてゆく
  かわいい子牛     売られてゆくよ
  悲しそうなひとみで  見ているよ
  *ドナドナドーナ ドーナ 子牛をのせて
   ドナドナドーナ ドーナ 荷馬車がゆれる
   (安井かずみ訳詞、セクンダ作曲「ドナドナ」)

「ドナドナ」(安井かずみ訳詞)は1973(昭和48)年から小学6年生の音楽教科書に初めて登場し(音楽之友社『改訂小学生の音楽6年』)、1995(平成7)年検定の教科書まで掲載された(1)。2001(平成13)年が、いわゆる「ゆとり教育」指導要領に合わせた検定教科書導入にともない、この歌は教科書から消えた。2000年当時の小学校6年生(1988年生まれ)が最後に「ドナドナ」を小学校の教科書で学習した子どもたちになる(2020年時点で32歳)。しかし、極めて個人的なことだが、1991年生まれの筆者の長男は小学6年生(2003年)で音楽の宿題として「ドナドナ」を自宅で練習していたので、小学校では教科書から消えた以後も授業で教えられ、歌われている(2)。
 どこまで内容を理解しているかはともかく、多くの若者の記憶に残っていることは間違いないようで、ネット上で若者が「意に反して連行される・大事なものが手元から離れていく」という意味で「ドナドナされる」という表現を多用している。
 小学校・中学校現場では「この歌は子どもたちに教えたい・教えなければならない」空気が21世紀にも残っている。その理由は、教える側もこの歌の来歴を知らない人がほとんどだろうが、印象に残る短調の悲しげなメロディーだけでなく、歌詞の字面の下、さらにその下にあるもの(それが何なのかは言葉にできないだろう)が、教える側に引っかかっているためではないだろうか。だが一方で、「ドナドナ」に昭和世代が感じた「言葉にしづらい陰鬱さ」を受け取る感性は、なくなっていることも先の用法からわかるだろう。
 明治政府の音楽教育政策を通してスコットランド民謡に歌詞を付けた「蛍の光」「仰げば尊し」が日本の卒業式に欠かせない国民的な歌として定着しているように、外国に起源をもつ歌・メロディーが「日本(その国)的な情景」に不可欠なものとして「日本(その国の)人の心を揺さぶる」のは日本独自の現象ではない(3)。
「ドナドナ"Donna,Donna"」はアメリカのフォーク歌手ジョーン・バエズの楽曲として日本に紹介・受容された。ここでの「フォーク」は「民謡」とほぼ同義だが、彼女は反差別・ベトナム反戦運動に積極的に関与していき、「ドナドナ」が日本でシングル化されヒットしたのは1964(昭和39)年、冒頭に引用した日本語歌詞でNHK「みんなのうた」のテレビ・ラジオ放送を通して広まったのは1966(昭和41)年、小学校音楽教科書に初めて掲載されたのはベトナム戦争がまだ続いていた1973(昭和48)年だった。
 意外に思われるだろうが、実はフォークソングからの公式の教科書採用は1974年の「赤い鳥」の「翼をください」が最初となっている(4)。小学校教育界とジョーン・バエズを知る学生・知識人との間には「ドナドナ」に対する認識に「ずれ」があった。その理由は後述するが、どちらも「国民的楽曲」であることに変わりはない。だが「ドナドナ」と「翼をください」が歌う者と聴く者の心に引き起こす心象風景は正反対である(5)。さらに筆者はこの2つの楽曲がわずか1年の差で音楽教科書に掲載されたことに大きな意味を見いだす。「翼をください」は「ドナドナ」の「子牛」が夢見た「燕」に生まれ変わることを願った歌、いわば「返歌」の一つだったと考えているからである。
 本稿は、「アメリカのフォークソング」として生まれ変わったジョーン・バエズ版「ドナドナ」が、哀しみを湛えた楽曲として、どのように日本で受容され、誤解と記憶の多層化を通して新しい意味を加えながら定着していったのかを考察することを目的としている。「生まれ変わった」と書いたのは、歌詞のオリジナルにあたるツァイトリンの「仔牛」まで遡って考えたいからで、彼は東欧ユダヤ人が使用したイディッシュ語の詩人だった。
 これらの考察を通して、日本のフォークソングあるいはニューミュージックと呼ばれる1970年代以降の楽曲には「ドナドナ」への反発と返歌という両側面があったことが浮かび上がるだろう。
註1
(1)神奈川県立総合教育センター 小学校 教科書題材データベース(https://kjd.edu-ctr.pref.kanagawa.jp › daizai_music)。
(2)現行学習指導要領で「ドナドナ」は中学校1年生の音楽教科書に掲載されている。畑中良輔他 『中学生の音楽1』(教育芸術社、2009年、31頁)
(3)竹村淳『国境を越えて愛されたうた』(2014年、彩流社)に多くの事例が紹介されている。
(4)フォークグループ赤い鳥が1971年にリリースしたシングルレコード「竹田の子守唄」のB面としてリバティ・レーベルでメジャーデビューしたが、最初はEP版で1969年にURCから発表された。作詞・山上路夫、作曲・村井邦彦。なお、音楽教科書(教育芸術社)に初めて掲載されたのは1974(昭和49)年と速い上に教科書関係者の間では「フォークソングからの初めての採用」と認識されていた。「竹田の子守唄」をめぐる騒動で「翼をください」が忘れ去られようとしているのを惜しんだ教育芸術社の社員(当時)で作曲家の橋本祥路の合唱曲編曲などの尽力が大きく関係している。なお、「赤い鳥」ヴォーカルだった山本潤子は、娘が自宅で「翼をください」をリコーダで練習するのを聞いた1994年まで小学校音楽の教科書に掲載されていることを知らなかった。
(5)サッカー・ワールドカップ・フランス大会(1998年)への日本代表の初出場がかかった前年のアジア最終予選を見た人たちと、サッカーに関心のなかった人々では感慨は全く異なるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?