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世界史漫才56:ニコライ2世(前編)

 苦:今回はロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世(位1894~1917年)です。
 微:まあ、1891年の大津事件、1895年の三国干渉、日露戦争と、何かと日本と縁のある皇帝だな。
 苦:最後の皇帝というよりも最後の「ツァー」「ハーン」というか。
 微:佐藤製薬もユンケル黄帝液じゃなく、ニコライ皇帝液を売れば、もっと親近感が湧いただろうに。
 苦:縁起良くないですね。ニコライ2世は宮廷内で謎の死を遂げたアレクサンドル3世の第1皇子として生まれました。祖父アレクサンドル2世の死も目撃しています。
 微:重要参考人として何度もKGBの尋問を受けたそうです。
 苦:そんなわけねえだろ!! 縁戚関係では、ヴィクトリア女王との関係で従兄弟にはイギリス国王ジョージ5世、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がいます。
 微:近づきたくなるような血縁関係ではないな、確実に。21世紀ならメーガンが食いついたかも。
 苦:まあ、「最後」という言葉がこれくらい似合う人もいないですね。皇子アレクセイがヴィクトリア女王からの遺伝で血友病になります。
 微:ミドリ十字(当時)が血液製剤を売り込んだことが日露戦争の原因だったそうです。
 苦:まだ存在してないよ!! その治療のために皇后が宮廷にラスプーチンを連れ込み、不倫疑惑が吹き出すわ、1905年には血の日曜日事件で農民たちを王朝の敵に回すわ、と突っ込みどころ満載です。
 微:もう、「ロマノフ朝の三浦和義」「ロシアのO.J.シンプソン」と呼ばれてましたから。
 苦:殺すんじゃなくて殺される側! 彼の皇太子時代の家庭教師のポベドノスツェフは、民主主義とは「下品な民衆の手に負えない独裁政治」と言ってはばからない人物で、保守的な教育を施しました。1917年の十月革命でボリシェヴィキに家族ごと殺された瞬間、師の教えが身に沁みたでしょうね。
 微:やっぱ教育は大事だな。それより大津事件に行ってよ。
 苦:はいはい、1891年にウラジヴォストークで開催予定のシベリア鉄道の起工式に参列する名目で、1890年から親善と視察を兼ねて、地中海からスエズ運河を経て、アジア各地の列強植民地を訪問していました。目的地の一歩手前の1891年4月27日にロシア軍艦アゾフ号でギリシャ王子ゲオルギオスと一緒に長崎に来日しました。
 微:♪長崎から船を下りて大津で切られた~ だな。そして鉄道は大事だな。
 苦:日本は国を挙げてニコライを接待し、事件当日の5月11日は琵琶湖遊覧から京都に戻る時でした。
 微:大河ドラマに合わせて、その接待を担当したのが明智光秀でした。
 苦:もういいよ!! 大津港で警備担当巡査の津田三蔵が、ニコライはロシアに逃げ延びた西郷隆盛を連れて帰ってきたと誤解し、人力車に乗ったニコライに突然サーベルを抜いて斬りかかったのです。
 微:「全集中で挑んだ」そうです。
 苦:遂に鬼滅ネタで来たか。津田は西南戦争に従軍しており、西郷が帰還すれば功績で授与された勲章を剥奪されるのではないかと危惧したようです。サーベルはニコライの頬を裂きました。
 微:それ、真犯人は奥崎謙三と違うのか、『ゆきゆきて神軍』の?
 苦:惜しいけど違います。津田は負傷して逃げるニコライを追いかけて、なおも斬りつけます。王子ゲオルギオス、人力車夫の向畑治三郎、北賀市市太郎に倒され、警備中の巡査に取り押さえられました。ニコライは右側頭部に9cm近くの傷を負いましたが、命に別状はありませんでした。
 微:既にラスプーチンの特殊能力を伝授されてるんじゃねえの?
 苦:ロシア公使シェービッチは、事件の対処にあたった青木周蔵外相、西郷従道内相らに死刑を強硬に要求しましたが、時の大審院長の児島惟謙は法治国家として法は遵守されなければならないとする立場から、「刑法に外国皇族に関する規定はない」として政府の圧力に反発しました。
 微:本当は「なぜ、とどめを刺さなかったんだよ、このヘボが!!」と思っていたんだろ。
 苦:政府は大逆罪を援用して死刑としたかったのですが、小島惟謙は無期徒刑判決を下します。
 微:しかし、外国の皇族を襲ったんだったら、無期徒刑も、たとえ90才過ぎても死ぬまで本当に働かされそうだな、戦前の日本だったら。♪私だけ? 死刑の方が温情判決に感じてしまうのは。
 苦:一発女芸人はけっこうです。これを以て、罪刑法定主義が確立したとか、司法権の独立が確立されたと、脳天気な評価がよくなされますが、大津地方裁判所を飛ばしていきなり最高裁である大審院にかけたこと自体、大逆罪適用への布石です。
 微:まず検察No.2に黒川を抜擢すべきだったな。
 苦:あくまで司法権と行政権の妥協なのであって、司法権の独立と断言できるものではありません。まあ、海外でも大きく報じられ、国際的に日本の司法権に対する信頼を高め、結果的に日本が近代的な主権国家として認知され、当時進行中であった不平等条約改正へのはずみとなったのも事実です。
 微:いや、1895年の李鴻章襲撃は「日本は野蛮国」評価につながったんだから、ロシア皇太子を抹殺しようとした態度が評価されたんじゃないのか? で、矢面の青木外相は、どうなったんだ?
 苦:災い転じて福となすですかね。青木外相は「自分は伊藤博文に言われて、死刑にする事を約束しただけだ」とロシアに対してセコい言い訳をします。それを知った伊藤から嫌悪されて政治家としての栄達を絶たれ、体よくイギリス公使として国外に放り出されました。さらに皮肉なことにその青木公使がイギリスを相手に領事裁判権撤廃交渉を成功させていくのです。まあ、陸奥宗光の指示を受けてですが。
 微:それでも権力中枢に復帰できなかったんだから、伊藤の執念もすごいな。
 苦:ところで、この事件で津田を取り押さえた向畑治三郎と北賀市市太郎の二人は、事件後にニコライから直接、勲章を授与され、当時の金額で2500円の報奨金と1000円の終身年金が与えられました。日本政府からも勲八等の勲位と白色桐葉章、年金36円が与えられるという僥倖に恵まれます。
 微:ロトで三億円当てたような展開だな、もちろん、色々なたかりで食いものにされること込みで。
 苦:それに近い人生ですね。前科者だった向畑は博打と買春に明け暮れ、日露戦争が始まって年金が停止されると事件を起こし刑務所に入れられます。終身の食事は保障されたわけです。
 微:なかなか気が利いているな。で、北賀市は?
 苦:北賀市市太郎は堅実に郷里の石川県で田畑を購入して地主となり、郡会議員にまでなりましたが、日露戦争が始まると「ロシアのスパイ」と非難され、家に放火されて全財産を失う羽目になります。
 微:めでたし、めでたし。
 苦:んなわけねえだろ! さて、その後日本とロシアはしばらく友好関係が続きますが、それが終わったのが1895年4月の三国干渉です。ニコライ2世はドイツ、フランスと「清国の秩序維持」を名目に、下関条約によって日本が得た遼東半島を賠償金3,000万両と引き替えに清に返還させます。
 微:これは朝鮮半島分捕りの布石だよな。
 苦:日本国民のロシア恐怖症は反ロシア感情に転換し、日本はやむなく勧告を受け入れたものの、「臥薪嘗胆」を合言葉として好戦的ナショナリズムが定着していきます。
 微:一体、当時の日本人の何人が漢字で書けたんでしょうね。
 苦:自分も書けねえだろが! さらにロシアは、1898年には旅順・大連を租借し、旅順にいたる鉄道敷設権も獲得するわ、大韓帝国皇帝高宗が日本を嫌ってロシアに接近するわ、と着実にポイントを上げていました。さらに旅順艦隊(第一太平洋艦隊)を配置、1900年の義和団事件も鎮圧の主力となり、混乱収拾を名目に満州を占領したまま居直ります。
 微:2008年末の公園前から厚生労働省の行動に移動して居座った”派遣村”を参考にしたらしいな。
 苦:それも時間が逆だろ! そして1904年の日露戦争ですが、日本の反ロシア感情をイギリスが利用し、1902年に日英同盟が成立します。第2次エジプト事件以来、イギリスは帝国維持のためにロシアの南下政策を阻止しつづけ、アフガンでは「グレートゲーム」を展開していました。
 微:よく、あんな何もない上に武闘派住民の多いところで争うよな。
 苦:そのイギリス陸軍の弱体化、特に労働者階級の身体的劣化が1899~1902年の南アフリカ戦争で明らかになり、「まあ、極東は日本を利用しよう」って展開です。
 微:植木等が「♪てなこと言われて その気になって」って歌ったのは日本のことだったんだな。
 苦:今の大学生でも知らないよ! 1904年2月、日本側の攻撃から日露戦争が勃発します。
 微:正露丸が誕生した戦争だな。ハラショー!
 苦:ロシアは侮っていた日本に敗戦を重ね、1905年1月9日、莫大な戦費や戦役に苦しんだ民衆が嘆願書をたずさえてサンクト・ペテルブルクの冬宮殿前広場に近づくと、兵士はニコライ2世の命令で丸腰の10万もの群衆に発砲、2000人を越える死者、2000人に達すると言われる負傷者を出しました。
 微:被害者はみな映画『血の日曜日事件』の試射会、いや試写会に当選した人たちでした。
 苦:不謹慎なダジャレ言うんじゃねえの! これがロシアの専制政治を支えた”良きツァーリ信仰”が終わった瞬間でした。ニコライ2世は急遽、ヴィッテを再登用して戦争の早期終結に当たらせます。
 微:「君しかいないんだ」と言われて巨人監督に復帰した原監督だな。
 苦:ある意味、ニコライ2世は「ナベツネ」ですから。
 微:なるほど、使えない外務省官僚は『たかが選手が!』で。
 苦:6月8日、アメリカ合衆国のセオドア・ローズヴェルト大統領が日露両国に講和会議開催を呼びかけます。ちなみに彼は日本の全権代表小村寿太郎とハーヴァード大学で同級生でした。2日後に日本政府が、4日後にロシア政府がそれを受諾します。ニコライ2世は9月にはアメリカのポーツマスに全権としてヴィッテを派遣して日露講和条約=ポーツマス条約を結びました。
 微:ポーツマスって、イングランドにもアラスカにもあって、「どこなんだ?」と迷ったそうです。
 苦:留学先の正規のカリキュラムに沿った授業を受け、裸と裸の個人同士で、個人的信頼関係を築く。これがあるべき留学や外交の姿です。1年間だけの留学は、語学研修になればマシな方です。
 微:学歴からお遊び留学を削除した麻生や安倍とはえらい違いだな。
 苦:少し考えれば、個人的な信頼関係や憧れが、どれだけ現実を動かしていくかは、ジョン万次郎見ても、ヨン様見てもわかります。
 微:それでロンドン大学で1単位も修得できなかった小泉首相は、靖国に引き籠もったんだな。
 苦:マンガ喫茶の方がまだ同情も集められるでしょうね。でも、ダメだ! ネタありすぎて終わらない。延長戦です、久々に。(つづく)


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