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世界史漫才45:初期社会主義編

 微苦:ども、微苦笑問題です。
 苦:今回は初期社会主義です。かつて「空想的社会主義」と批判されたロバート・オーウェン(英、1771~1858)、フランスのサン=シモン(1760~1825年)、フーリエ(1772~1837、肖像画)に代表  されます。
 微:昼間にボーっとしてた奴らだな。
 苦:違います。空想的は「ユートピア」の訳で、この評価の理由をエンゲルスは「仮説上の完全な共産主義社会のビジョンを創造したものの、そのような社会の実現方法や維持方法を考えなかった」  点に求めています。
 微:それが「初期」という言い方に変わってきたのは、やっぱりソ連崩壊か?
 苦:そうです。社会主義思想の最も始まりに位置することと、ソ連の崩壊によるマルクス主義の「世界史の基本法則」の誤りがはっきりしたことも表記変更への背景にあります。
 微:まあ、理想社会に対する人間の憧れはプラトンの『国家論』、トマス・モアの『ユートピア』、フランシス・ベーコンの『新アトランティス』を見てもよくわかるな。現実世界の不遇の裏返し。
 苦:ロバート・オーウェンですが、ウェールズ生まれで、1799年にグラスゴーの紡績工場ニュー・ラナークの経営者デイヴィッド・デイルの娘カロラインと結婚し、1800年から共同経営者となりました。
 微:実は工場と結婚したんだろ、ワシントンのマーサ夫人への求婚と同じで。
 苦:当時は労働者の賃金は低く、一日14~16時間労働が当たり前でした。それでもまだ生きるのに必要な賃金を得られないため、小学生くらいの児童も働かされていました。というか、それくらいしないと食べることすらできなかったのです。
 微:マルサスが『人口論』で貧困の問題を扱った理由もよくわかる話だな、それ。
 苦:労働者たちの実情を目の当たりにしたオーウェンは、児童労働を止めさせ、劣悪な環境から歪んだ性格を改良するために幼稚園を工場に併設し、「性格形成学院」と名づけました。
 微:良い対応だけど、身も蓋もない表現だな。もっと「ひまわり組」とか思い付かなかったのか。
 苦:ちなみに幼児教育の最初の試みで、「幼稚園の生みの親」フリードリヒ・フレーベルに先んじていて、就学前児童のための教育を実践したわけです。
 微:でも無認可だったんだろ?
 苦:ないものを認可するもないだろ!! さらにオーウェンは成年労働者の労働時間を10時間30分に短縮し、短縮された時間分、労働者に夜間学校で教育を受けさせたのです。当然ながら昼間は幼稚園の施設を利用していますが。
 微:昼間は喫茶店、夜はスナックみたいなもんだな。
 苦:また労働者のための協同組合事業も始めるなど、今ならNPOのMVPです。彼の活動は「ニュー・ラナークの奇跡」と賞賛されました。
 微:戦前の日本の炭鉱やタコ部屋はこれを悪用して切符制でピンハネしてたんか。
 苦:そして1825年にアメリカで私財を投じてインディアナ州で「ニューハーモニー村」と名付けられた実験工場というか理想村に挑戦しました。生活と労働の共同体形成を目指してようです。
 微:白樺派が宮崎県に「新しき村」をやったようなもんというか、時間軸的に完全に元ネタだな、これ。
 苦:ですが、それはあまりに理想主義的だったために失敗し、オーウェンはイギリスに帰国します。
 微:こいつの純粋な善意もよくわかる。けど、ニューハーモニーで働いた労働者の気持ちも想像がつくよ、第2次農地改革まで小作人だった貧乏農家のさらに分家出身の人間からするとね。
 苦:急にまじめになって、びっくりするなあ、もう。どういうこと?
 微:完璧な善意には反論できないからまじめな人間ほどその心は追い込まれるんだよ。雑菌も匂いもない「デオドラント的世界」で生きたいか? それは貧者と聖人と教皇しかいない天国のような地獄だぞ。
 苦:強烈な皮肉ですが、わかりやすい。たしかにそれはもう宗教の世界です。
 微:大抵の人間なら楽していいなら楽するし、他人の不幸が娯楽になってしまう。芸能人の転落劇が視聴率や部数を伸ばすようにな。嫉妬から他人の幸福の崩壊を願ってしまうんだよ。ましてや生きることに精一杯だった労働者なら、一度「甘い汁」を吸うと止められなくなって当然さ。
 苦:人民公社やコルホーズですね。話を戻しますと、それでも労働問題を解決するため労働組合運動や生活協同組合運動を推進します。自由放任では労働者問題は解決しないことは当然でしたから。労働者保護立法の成立に尽力し、その甲斐あって1833年に一般工場法が成立しました。
 微:身も蓋もないこと言ったけど、どんな運動も革命も、その始まりにはこんな「無私」の人格者が不可欠だ。ロベスピエールも、マルクスもそう。でも後継者がそれを利用して権力を維持しようとする。
 苦:今日のキミは苦笑ではなく苦労ですね。次いでサン=シモンですが、フルネームはクロード・アンリ・ド・ルヴロワ・サン=シモンで、その家柄はシャルルマーニュの血統を引く超上級貴族の末裔です。
 微:日本で言うと、フィギュアスケートの織田信成のポジションだな。遺伝子も強烈なのかな?
 苦:宮廷人として必要な教育と軍事教練を経て、16歳でラ=ファイエットの義勇軍の士官としてアメリカ独立戦争に参加し、合衆国のブルジョワジーというか産業階級の勃興に感銘を受けています。
 微:サン=シモン自身は志願したんか? 生徒会が立候補という名の懇願制になっている高校も多いぞ。
 苦:彼は参戦時点でパナマ運河の建設という途方もない計画を考案してたそうですから、彼の関心が産業と商業に向けられていたことがよくわかります。フランス革命の恐怖政治期にはリュクサンブールに幽閉され、1794年に釈放され、晩年は貧困に苦しみました。
 微:まさに空想的じゃねえか!
 苦:サン=シモンの思想は後代の社会主義学説のほとんどに及んでたんですが、忘れられてました。
 微:死んでから再評価されてこそ思想家です。特にノーベル賞受賞してから文化勲章を後出しで渡す業績評価システムのない日本なら、もっとそうです。
 苦:彼の「産業社会」の核心は、富の生産促進が社会の最重要任務だいう信念です。したがって資本家と労働者は等しく産業階級であって、その対立は問題とはされません。全員が労働の義務を負うと同時に、働くこと・生産することがその人の喜びでもある社会です。
 微:「半分行ってしまった人たち」からなる生産共同体だな。たかもちげんの『祝福王』の世界。
 苦:生産に直接貢献しない科学者や専門家は生産効率を向上させる発見や発明のために存在を許されま す。社会の寄生虫たる聖職者や貴族は不要です。国家行政は能力ある市民に任されます。
 微:アンシャン・レジーム批判なのか現代日本批判なのか、どっちなんだ?
 苦:どっちも正解ね。この考えを「五十人の物理学者・科学者・技師・勤労者・船主・商人・職工の不慮の死は取り返しがつかないが、五十人の王子・廷臣・大臣・高位の僧侶の空位は容易に満たすことができる」という表現で公にしたため、ブルボン復古王朝期の1819年に告訴されています。
 微:さすが「何事も学ばず、何事も忘れず」のルイ18世だな。
 苦:サン=シモン思想の特殊性がはっきりするのが、社会の基礎を形作る財産権を国家の最高法規=憲法よりも上位に位置づけている点、つまり生産手段の共有を考えていませんでした。この経営者の重視が、サン=シモンを「テクノクラートの予言者」と評価させる部分です。
 微:日本の中央官僚が喜びそうなというか、高度成長期日本って、サン=シモン主義じゃないのか?
 苦:案外そうかもね。「資本所有者はその精神的優越によって、無産者に対して権力を獲得した」との見解から1810年代のラダイト運動を批判し、富者は貧者を救済すべきだと説くにとどまりました。
 微:最後の部分だけはアメリカでも実践されているよな。さすが、オーウェンのニュー・ハーモニーも、フーリエ主義者のコミューンも受け入れた国。
 苦:「能力に応じて働き、能力に応じて受け取る」という社会主義経済の概念も彼に由来します。
 微:それを根底から破壊したのが御手洗主導の小泉改革の派遣労働規制緩和、さらに悪化させようとしたのが安倍のホワイトカラー・エグゼンプションという無制限サービス残業法案だな。
 苦:最後のフーリエは裕福な商人の家に生まれましたが、革命の混乱に巻き込まれ、投獄された上に相続財産の多くを失いました。この悲惨な体験が後の思想につながっていると言われています。
 微:ああ、「何でも共有」のオッサンね。
 苦:1808年に代表作『四運動の理論』で人間の社会的運動は「情念引力の理論」で動くと宣言しました。フーリエはこの情念引力論に依拠した1620人から成るファランジュの建設を提唱します。
 微:ギリシア語のファランクス、スペイン語のファランヘのフランス語発音ね。要は密集・束。
 苦:このトンデモ著作の内容は、一部の熱心な支持者や弟子をしか理解・評価しませんでした。最初期の弟子であるミュイロンたちなどから、後のフーリエ主義運動が生まれることになります。
 微:それの日本版がヤマギシズム、参加者に私財すべての寄付を強要する農業集団じゃなかったっけ?
 苦:1822年の『家庭・農業アソシアシオン論』で具体化したファランジュとは、協同体です。その協同体は国家の支配を受けず、参加する家族はすべての財産を寄贈し、土地や生産手段は共有とします。1800人程度を単位として数百家族が共同生活を行い、基本的に生活に必要なものは自給自足し、労働活動を集約することで労働時間を短縮するといったものでした。
 微:ここだけ読むと中国の人民公社だな。
 苦:しかしファランジュには「自然的欲望の肯定」という明文ルールもありました。それは婚姻関係・親子関係は私的所有権や嫉妬の根源であるから廃止し、くじ引きによる平等な性的関係を参加者に保障したことです。そして生まれた子供は協同体の子なので協同体が養育すると。
 微:まさにヤマギシズム!!
 苦:「自然的欲望の肯定」原理は、その危険さゆえに、師フーリエの名誉を守りたい弟子たちによって隠蔽されました。その操作が判明し、フーリエ思想の全貌が明らかになったのは20世紀後半のことです。その端緒となったのが1967年になって初めて出版された『愛の新世界』で、以上の経緯を日本に広く(?)紹介したのが「ギャンブル王」植島啓司関西大学教授(当時)です。
 微:まじめな学者がきちんと紹介するのがいいのか、有名人があっさり紹介するのがいいのか?
 苦:実はこれはカルトの国アメリカでオナイダ・コミュニティとして実践されました。何度かの解散の危機を狩猟用ワナの特許収入で乗り越えました。「自然的欲望の肯定」原則は長老たちが若い女性との優先交渉権に変えられ、破綻寸前までいきます。
 微:よく崩壊しなかったな。今の音響機器のケンウッド社だろ?
 苦:このコミューンを出る時は無一文だからに決まっているでしょ! 完全なスキャンダルだし。

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