食べもねんたる31

ナ・ガイが「ちょっといいか」ということらしいので俺たちはカフェスペースで落ち合った。ナ・ガイは同期だ。

「会社を辞めようか迷っている」

 開口一番、度肝を抜いてきた。
 この後必要だし説明口調で驚きを表現するか。

「ちょっと落ち着けよ。どうしたってんだよ。お前は同期の、いや、会社の出世頭だ。年収は4500万を超えているし来期にはさらに出世して2億円プレイヤーになるって噂さえある。一体全体なんの不満がある?」

 そうナ・ガイは同期の出世頭だ。息を吐くようにガンガン稼いでいる。
 俺とか森本くんが年収300万、おもしろのためなら150万まで落としてもいいって会社が考えてる中でナ・ガイだけ4500万以上だ。
 年収300万と年収4500万が当たり前に共生するという『アホが描いたオフィス物BLコミック』にありがちな日常を俺たちは生きていてそれはどうなんだと思う。
 そして同期の年収をなんで俺が知っているかというと、なんと食堂に年収ランキングが張り出されていたからだ。
 なんだこの会社。アホが描いたBLコミックよりアホだな。
 当然のこととしてエリートたるナ・ガイはアホが描いたオフィス物BLコミックに倣ってインテリ眼鏡をかけている。
 だがBLにするつもりはない。
 本家ほど『ちょっとアホすぎておもろい』テクに自信がないからだ。やおい好きは帰った帰った!

「・・・」

 俺が長い長い説明をしている間、お行儀よく沈黙を守っていたナ・ガイはインテリ眼鏡をくいっと上げて沈黙を貫いた。
 いや、もう喋れよ。話進まないだろ。
 俺は『話進まないだろ』をナ・ガイに伝え理解を得て述懐してもらうことにした。すごい頷いてた。もしかするとエリートだけどアホなのかもしれない。

「この前な、ネット広告でお馴染み『え?私の収入、低すぎ?』を試してみたんだよ」

「開口二番でもうアホなことしてるな。エリートだけどアホなのか?」

 しかしここで俺はいや待てよ?と思う。
 もしかするとさらなる年収アップが見込まれるって話かもしれない。それならまあ話としては頷ける。
 俺は先を促した。

「そしたら出たんだよ。『カステラ4個』って」

「え?」

「悩むよな」

 確かに悩む。エリート一流のとんちの一種か?それとも難解系フランス映画的表現方法なのか?
 もしかしたらアホが描いたオフィス物BLコミックだと思っていたが妖艶耽美系BLコミックなのかもしれない。
 確かに今を彩る極端な舞台装置はカフカ的理不尽に思えなくもない。
 分かる、それなら分かるぞ。この時正、理解を示すことに関しては同期の中で並ぶ者はいない。
 あ、俺。主人公、時正っていいます。お見知りおきを。
 じゃ、先を促してみようか。

「実際、悩んでるんだよ。これは日給なのか、月給なのか、って・・・」

「え?」

 なにこれ、どういうこと?
 俺としたことがちょっと理解を示しかねる。
 そんな、こちらの気持ちを知ってか知らずかナ・ガイは俄然すらすらと喋りはじめる。お前さっき全然喋らなかったくせに。

「だってさ、日給なら言うまでもなくアリじゃん?1日カステラ4つって、お腹パンパンになるよ。にっこりだよ。あ、サイズにもよるか」

「え?」

「とはいえ月収だったら事だよ。そりゃ水さえあれば人間20日くらいは生きていけるっていうけど、30日でカステラ4つはおなかグーだよ。あ、サイズにもよるか。いけるのか?いけるのかも」

「え?」

「そこは実際見てみないことには分からないからな。どうにも悩む問題だよ」

 ナ・ガイは矢継ぎ早にまくしたてるが俺にはさっぱり理解できない。
 これじゃあ時正@理解を示さないだよ。
 こんな姿を人事に見られようもんなら「あいつ唯一の取柄も活かせないのか。もうあれやな。年収150万でハンマープライスやな」と言われかねない。
 一つ、深呼吸をする。分かるところから切り込んでみよう。

「ナ・ガイ。ちょっと待て。落ち着け落ち着け」

「うん?」

「一旦質問な。えっと、お前がサイトで年収調べたら現実的に『カステラ4個』って表示されたの?」

「うん、悩むよな」

「一旦悩むな。それはお前の年収はカステラですよーっていう意味で表示されていたの?」

「そうだ。サイズは載っていなかった。月収?でもありなのか。いっそ飛び込んでみるか」

「まあまあ」

 かける言葉がないのでとりあえず濁す。分かるところから切り込んだのに分からないではないか。
 しょうがない、別の角度から切り込むことにする。

「ナ・ガイ。ちょっと待て。落ち着け落ち着け」

「うん?」

「一旦質問な。えっと、お前。年収4500万以上だよな」

「そうだよ。食堂に貼ってあった」

「なんで食堂に貼ってないと自分の年収知らないんだよ。アホなのか?」

「アホなのか?ありなのか」

「ありなのかは今関係ないだろ。いやさ。年収4500万だよ。買えるだろカステラ、いくらでも!」

 俺は人差し指をナ・ガイの顔の前に突きつける。
 よしこれで「なるほど!」って頷け!しかし実際のナ・ガイは深いため息を吐いて首を横に振った。
 なんなんだこいつ。「アホなのか?」の癖にむかつく。

「時正・・・、俺がタワーマンションに住んでいるのは知っているか?」

「ああ。食堂に『高層ランキング』貼ってあったからな」

「なんでも貼るな、この会社。で、タワーマンションの所在地なんだがオフィス街のど真ん中なんだ」

「さぞかし値が張るだろうな」

「いや、そこは別にどうでもいい。問題は夜9時を過ぎると店がほとんど閉まるんだよ」

「!」

「オフィス街だからそもそもスーパーなんてない。飲食店も小洒落たランチが売り、みたいな店ばかりで5時には閉まる。1時のとこもある」

「1時のとこは何がしたいんだ。ならコンビニは?コンビニならあるだろ」

「これがな、なんとなんとのやっぱり9時には閉まる」

 なんてこった。とんだ過疎地みたいな暮らしじゃないか。
 俺は愕然とした。

「カステラがな、買えないんだよ」

 ナ・ガイは語気強く言い放った。それは一瞬俺も怯んでしまうほどに。

「そりゃ俺だって買おうと挑んだことはあったさ!手早く仕事を終え7時くらいに会社を出れば9時ちょい手前にコンビニに滑り込める」

「いやそれよりなんで縁もゆかりもない2時間近くかかるオフィス街に家を買うんだよ。アホなのか?」

「アホなのか?ありなのか」

「すまんかった。これは俺が悪かった。話を進めてくれ」

「確かに俺は滑り込めた。でもな、売ってないんだ。カステラ」

「まあ確かになー。オフィス街にカステラはあんまり似合わないかなあ」

「あるのはルッコラのサラダと、器の足が10㎝近くあるミニパフェのみ・・・」

「違った!店がオフィス街をはき違えてた!逆に全然儲からないだろ。他のコンビニはどうなのよ」

「ない。この一件でオフィス街の胃袋を担っている」

「マジか。出店したらぼろ儲けのブルーオーシャンなのに!」

 お互いのやるせなさを噛みしめて、共にしばし黙り込む。
 また、先に口を開いたのはナ・ガイの方だった。

「そして9時を過ぎれば、うちのマンションの下に出ている夜店の屋台ばかりなり・・・」

「なんでそこで夜店の屋台はあるんだろう。本当にオフィス街なのか」

 ここで再びナ・ガイはインテリ眼鏡をクイッと上げる。

「ちなみにこの眼鏡は夜店の屋台で買った。『相手の戦闘力が表示される!』って触れ込みだったのに、とんだ食わせ物だったがな」

 インテリ眼鏡だと思ってたものがとうとうアホの権化であることが判明した。
 ナ・ガイ、すまん。疑って悪かった。迷いもなくはじめからアホだったんだな。
 俺のしみじみとした感想を他所に、とてもアホの子には見えない整った顔を歪めてナ・ガイは悲しみに声を震わせる。

「でもそんなことは今となってはどうでもいいんだ。俺はカステラが、カステラが食べたいんだ!」

「昼休みとかに会社の近くで買えばいいじゃん」

「いやそれがダメなんだ。お昼になったら嬉しくなって食堂に走っちゃうんだ。後のこと忘れちゃうんだ」

「アホの子だもんなー」

「どうすれば!どうすればこの欲は満たされるんだ。やはり、この会社を去るか?」

「いやカステラ支給してくれる会社が見つかったわけじゃないのよ。去ってもなんも解決せんのよ。引っ越せよ引っ越せ」

「いやそれはいかにも惜しい。次の眼鏡には戦闘力が表示されるかもしれない」

「戦闘力は戦闘力で未練たらたらなんじゃねーか。信用すんなよそんな屋台」

 完全に緊張感をなくした空気の中で、俺は会話に何か引っかかるものを感じていた。
 ん?夜店の屋台?

「ナ・ガイ。ナ・ガイ。これはあくまで憶測で根拠はないんだけどな」

「ん?」

「夜店の屋台が出てるんだよな?それっていっぱいあるのか?」

「まあまあだよ、まあまあ。8店から10店かな」

「多分十分だ。それだけあればさ。一件くらいあるんじゃないかなぁ、鈴カステラの屋台」

「うん?」

「うん」

「おー?」

「おお。おお」

「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 ってことであれから3ヶ月。
 ナ・ガイは無事カステラを頬張れたらしく、会社も辞めず、例のタワーマンションに住んでいる。
 眼鏡も4代変わっているが、相変わらず戦闘力が表示されている様子はない。
 俺はと言うと「貴重な戦力を流出させずに済んだ」との功績で年収が6000万になった。
 なんでそこで貴重な人材の年収を超えた額提示するんだ。アホなのか。それはそうと税金が怖い。
 先日、ナ・ガイの紹介というマンションデベロッパーの男がタワーマンションのパンフレットを手に挨拶に訪れたが丁重にお断りしておいた。
 念のためパンフレットを確認して知ったことがある。
 夜景を背にタワーマンションをほのかに輝かせているイメージ図、光源は夜店の屋台だった。

 本来は冒頭を掬ってもうちょっとBLっぽいというかバディものっぽいオチを予定していたがやっぱり『アホすぎておもろい』からは程遠いので敬遠した。
 それにこう言うではないか、BLの基本は『山なし、オチなし、意味なし』今回の話に実に相応しい。
 さあ、見世物は終わりだ。
 やおい好きは余韻を噛みしめて、さっさと帰った帰った! 

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