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 二十代のうちにやっておくと良いこと


 マスクを久しぶりに外してみたけれど、
春の匂いは全然わからなくなっていた。

 3年前には感じられたはずの香りが。


 これは、単純に、歳をとるごとに味覚を感じ取る部分が死んでいくように、この3年という時の流れで私の嗅覚を感じる何かが死んでいったからだろうか、それとも、マスク生活で匂いを感じることを封じられた生活を続けた結果だろうか。


 私は決してマスク反対主義ではない。むしろ、マスクは、2020/3〜今もつけているし、それを仕方ないことだと受け入れているし、外していいと今頃言われたって習慣化の感覚のない私にですら、マスクをつけることはもう習慣化していて、今突然言われたってなかなかその習慣はすぐに戻らない。以前にも書いたけれど、何となくウィルスを頭が認識すると、何度手を洗っても服にも身体にも付いている気がするし。かと言って今、マスクを外す人たちを特別何か反対することもない。(手を押さえずくしゃみするオジサンやくしゃみや咳を抑えた手のまま手すりをもつオジサンは断じて許さない、
悪いが、だいたいこれはオジサンなのだ。ちなみにオジサンやオバサンの咳やくしゃみが大きくなるのはおおよそ筋肉量の低下によるものなので、みんな鍛えていればいいのだ)


ただ、確かに、このコロナ禍の3年間は、
仕方のないものという部分もあるし、
3年間という生活はニューノーマルを確立するのには十分で、そのニューノーマルは決して悪いことだけをもたらしたわけではないし、特に最初の頃は仕事がなくなったことで得られた時間もあったりして、世界が全部止まってくれたから、立ち止まることをよしとされた空気も感じた。決して悪いことばかりだったわけじゃないけれど、


やっぱり、人生を、世界を、丸ごと変えてしまうのにも十分な時間だった。


特に、虫歯疾患の増加と嗅覚のための感覚の死の代償は大きい。



 この世界には、少なくとも東京には、
春の香り、夏の香り、秋の香り、冬の香りというものがあった。それとは別に梅雨の香りとか、季節の変わり目に感じる微妙な香りのグラデーションがあったはずだった。


 マスクを外してみても、それを感じられなくなったのは、マスク生活の代償なのか、私がただ衰えたのかもわからない。


 2020年の春は、マスクのまま2023年になって、令和はすっかり馴染んだ。


 改元してすぐのこの、疫病、ロシアのウクライナ侵攻による戦乱、テロ。いやまあ、平成だって戦争もテロも大きな災害も、たくさんあったから別に改元が悪いわけじゃないんだけど。昭和なんてもっとだし。


 私の20代の後半はほとんどマスク生活で終わった。いや、これ中学の3年間、高校の3年間、同級生の顔も見たことないまま卒業していく世代だっているんだし、大学一年に入学した時からコロナであまり活動的なことができないままに大学生活を終えた子達もいるんだから、学生時代がその前に終わっていた私は、彼ら彼女らの無念や悲しさを想像しても、同情しかしてあげられることがない。


 志村けんさんが亡くなって早くも3年がたったそうだ。あれは日本人に大きな影響を与えた。


 私ごとでいえば、シミとマスクによる擦れの跡、肌荒れが増えた。あと、元々肌が薄くて弱いのだが荒れやすくなった。


あと、結局コロナ禍で非正規の仕事さえ失うという経験は何度もしたが、就職することはできないままもうすぐ30歳になる。


20代前半の無職と20代後半の無職、27歳以上の無職も全然違ったけれど、20代ならまだこれでもチャンスはあったんだと思う。それが30歳になったらきっと一気に減る。恋愛や結婚も。


もちろん、年齢だけが、恋愛や結婚や就職がうまくいかなくなる原因ではないのはわかっているけれど。日本社会では、やはりまだ年齢はJust a numberではすまない。まぁ、仮にJust a numberの世界に行ったって
じやあ、経験はと言われればないのだけれど。


まだ28歳未満の方がいたらお勧めしたいことが3つある。(もちろんご自身の要不要はあるだろうから、結婚してるのにマッチングアプリやれ、などとそんな意味ではないのだけれど)


①就職して働くこと 
 就職をせずに生きている人もいて、それで自立していれば存分に良くてけれど私だけではなくて世の中にはやはりニートや引きこもりやアルバイターで、自立できていない人もたくさんいる。私みたいな短時間労働で親の世話になってのうのうと生きている人は、真面目に働く人たちからしたら許せない!ってなるかもしれないし、いいご身分だよなぁと思う人もいるかもしれないし単純に、本当にどんなに辛くても働かざるを得ない状況にある人からしたら羨ましいよ、となるかもしれない、でも、一度働かなくなって働かない期間が、社会の中で生きる期間がはじまると、元には戻れなくなる。新卒からこの状況の私は、雇ってほしくても向こうから願い下げられてしまう。おまけに自立していない人はやはり恋愛に向かない。結婚や生活にはもっと向かない。だから決して私のようにはならない方がいい。


②アプリや街コンや合コン
 私はマッチングアプリをたった2週間も持たなくてやめた、くらいの経験しかないのだけれど、こういう出会いの場は若い時にやっておいた方がいい。そこでいい出会いがある人もたくさんいるだろうし、なかったとしても良い経験を(もちろん悪い経験も)積めるし、いろんな人と出会うことで単純に、自分に価値観の変容は起こるし、何より、マッチングアプリも合コンも街コンも年齢制限に引っかかってくる。就活とほぼ一緒。27〜28歳くらいがだいたい限界になってくる。それに、29〜30歳を超えて、こういうところで恋愛しようとして始めるのは結構腰が重いし、仮に始めてみて、たとえばいいなと思った人がいたりしても相手に振り向いてもらえないようであれば結構心に来るだろうし、逆に自分の側も面倒になってくる。単純な話、結構時間と労力を奪われるので、それがキツくなる。あと、21歳頃の失恋と25歳頃の失恋とは、違うダメージがくる。


③その時の私の、言葉を残すこと

 個人的には親愛なる友人のように24歳前後で結婚、30歳までに子どもを産み終えるというのが私の理想だったから二十代で結婚や妊娠をすることもここに入れたい気持ちもあるけど、私は結局子どもどころか、結婚もせず恋人もいないまま30歳まで半年を切ったので、ここでは書かない。その上で、就職と積極的出会いの場以外で二十代のうちにやっておく方がいいだろうことを考えたらもう一つあった。 それが、文字や言葉を残すことであった。

 いや、本当は3つ目には、独り立ちもあるのだけれど、ひとまずそれはさまざま事情の人がいて、私のように単に経済的にも生活的にも自立していないという人もいるかもしれないけれど、親御さんや親族の世話をする必要があるとかご病気でとても一人で暮らせる環境似ないとかいう人もいるからそれは置いておく、そしたらやはり、文字を残しておくこと、だった。


 自分の言葉や文字を残す習慣のない人からすると、全く訳のわからないかもしれないし不必要に思えるかもしれない。


 でも、私は、下手くそなりに、文章を、いや文章などというきちんとしたものではない、文字を、遺してきた。それはnoteにかぎらず昔から。小学生の時から物語や詩を書いていたし、中高生の時も、交換日記、日記も書いていたし、やっぱり詩や短歌みたいなのを書いたりもしていた。大学生になってからはSNSが出てきてSNSに、その時その時自分が思っていることや何かを書く癖があったのは多分、小学生の時からそうやって日常的に何かしら言葉を書いていたから。今は手帳へのメモ、SNSへの独り言やメモや思い出日記、それからnoteがある。


 残念ながら、私には文才というものはあまりないようで人生30年、結構な時間を書くことに時間をかけてきた割には上手くならなくて、だから上手に言葉を紡ぐ人や、私ができない表現をする人がたくさんいて素晴らしいなとnoteを読んでいていつも感心するのだけれど、


 でも下手なりでも、私は言葉を残しておいて良かったと思う。


 例えば高校生の時の考えや思い、大学生の時のまとまらないただただ長く書いた愚痴、SNSに吐き出したこと、


 そういうものはその時は周りの人に面倒や嫌な思いを時にはさせてきただろうし、今振り返ったら何を書いているんだ…と頭を抱えてしまうようなものもたくさんあるのだけれど、


 いつからかわからないけどいつからかモスキート音が聞こえなくなったように、いつからか季節の変わり目の匂いに鈍感になったように、いつからか純粋な心や考えがなくなったように、消えてしまったらもう思い出せなくなってわからなくなってしまうものだった。その時の自分の、恥ずかしいほどの熱情や気持ちや若気の至りの果てのそうした長々とまとまらない駄文の一つも、今の私にはもう書けないのだ。それは、もう「あの頃の、あの時代の、あの歳の私」ではないからなのだ。


 それが成長であり、それが歳をとることであって、だから書けなくなることや忘れてしまうことは悪いこととは言えないのだけれど、やっぱり残しておかないと残らない。自分自身さえも、文字や何かで残さなかったものは、もうわからなくなってしまうし、記憶からも消えてしまう。


 デジタルタトゥーは、悪いことだけじゃないなと思う。


 これは、どれが1番後悔する、とかではなくて等しく後悔する。多分、きっちりこれらに向き合ってきてもそれでも後悔することなんだろうけれど、でもやっぱりやらなかった後悔というのは大きい。


そうした、歳とともに得られなくなることや忘れてしまうことの間に、26歳から29歳までの二十代後半という、経験も増え、人生も少しわかってきて、この世界の生き方もわかってきたりして、でもまだ若さが許されて、失敗が若さだけでカバーされたりするその間をコロナ禍という歴史的世界的事情でうまく過ごせなかったのは、私だけに限らないのだけれど、それでも私にとっても大きかった、

コロナ禍、となった頃は、まだ既卒満2年、ってところだったのにあっという間に既卒6年目になってしまっていたし、やっと少しばかり人生のオールの動かし方を覚え始めた頃でコロナ禍で動けなくなったことはたくさんあったし、第二新卒、という年齢もコロナ禍の間に終わってしまった。


 私が原因だし、私が悪いんだけれど、私みたいに社会の流れについていけないまま生きてきて、なかなかに馴染めない奴は、やっと少しばかり生き方を見つけた頃にコロナでガラッと世界や生き方や常識が変わってしまい、やっとその変化した後の生き方に慣れてきたら今度はもうみんなどんどん前に進んでいて見えなくなっていて、コロナ禍は終わりつつあると言われ始めた。


 季節の匂いがわからなくなって、虫歯も増えて、周りの変化にも世界の変化にもついていけなくなって、自分はだけど何も変われていなかった。


 このまま、30歳になってしまうんだろうかという不安な空気だけに包まれて私は今も結局何も動こだせていない。


 仮に「もう遅い」年齢だとしても、今が1番若い時だからどうせ始めるなら今しかない、ということも、失敗するんだ、失敗を重ねることが大事なんだ、みんなだって失敗してるんだ、ということもわかってきたのに。


 変わってしまったのは世界だけじゃなくて、私自身も、26歳とは全く変わってしまっているんだろう。


 とりあえず②も③もうまくいったわけじゃないけれどやったにはやったから、やっぱり、20代が終わるまでの残り少ない時間の中で、就職と自立に向けた行動は絶対に必要なんだと思った。


言ってもまだ29歳だから。本当に20代が終わる前に今からでも手をつけるしかない。このまま、口だけじゃ30歳を迎えているから。


#20代のうちにやっておくこと


#二十代


#29歳

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