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2000円という大金。


 これは、
私をサポートしてくださった方への

御礼を込めた記事である。


 その日私は、
溜まりに溜めてしまった
テニスの王子様を、YouTubeで
観ていた。


夜中2時近くなって、さすがに
寝ようと思い、歯ブラシを持って
洗面所へ向かいながら
noteの通知に気づいた。

誰かがファボしてくださった

と歓喜して開くと、

そこには、フォロワーの方が、

私が無料公開している記事に

2000円もサポートで
出してくださった通知が来た。



驚いたのと嬉しかったので思わず
iPhoneを落としそうになって

もう一度マジマジと見つめた。



 私は専門分野の、
それも、私自身が苦労して得た知識、
などでない限りは有料記事を
書いておらず、
これまでで有料記事にしたのは
1本か2本、それも最低額の
100円程度にしている。

基本的に無料。


私なりに理由があった。

まず、専門分野の特化した部分を
有料にしているのは、

それが、私が苦労して得た知識で
さらに言えば私自身がつくりだした
専門分野に関するアイディアを
載せているから。



逆に言えば、それ以外の、
私自身が苦労して得た知識のもと
これまで大学院まで勉強してきたことを
積み重ねて書いた記事でないものは
すべて
「人様から
お金を取るほどの何かはない」

そう思っているから。



 お金を支払ってもらうというのには、
それなりの価値と、提供している側の
苦労や努力が必要だ。


 私が、書いている記事の内容の
専門家であればお金を取るかもしれない

そうではないから、とらない、


それだけの理由であるが
それは私にとってとても大切だ。

そして、今のところ、
私のnoteは、専門分野より
悩みなど、
徒然なるままに書いているものが多い。


 記事の価値を自分では

決めることができない。



 特に自殺に関する記事は、
もとより
無料公開しか考えていなかった。



 その記事を皆が読んでくださって
そして、
その記事で誰かが不安な気持ちが
消えてくれれば
多少なりとも誰かに寄り添えれば
それでいい

 そう思っていた。

お金をもらって書いていないからこそ、
自分の自由に書けるということもある。


 これが職業であったなら、
こう簡単にはいかない。

 そういう無料公開記事の1つに、
わざわざサポートとして2000円という
大金を支払ってくださる方がいる。



 私はそのことにひどく感動した。

 そしてそれと同時に、
私自身が自ら有料記事を
書きづらいと思っていた
もう一つの理由が
言葉になった。


 記事の内容、私が伝えたい内容が、

読んでいる方に届くのか届かないのか
どれほどの価値をもたらすのかは、

読んでいる読者の皆様こそが
決めている。



 職業として文字を紡いでいれば
例えばその方の執筆にかかった時間や
労力、価値、お金を出版社が
査定して本の値段を決めることだろう。


 しかしながら、
文を書くことを
生業としているわけではなく

また、
その書いている記事の専門家として
執筆しているわけではない私には
その価値を決めることはできない。


だから、noteの記事を書くのに

何日かかっても何回、
推敲し直したものでも、
無料公開をしているのであった。

これからもおそらく、
私自身が研究で見出してきた
独自のアイディアだとか、
金銭をかけて時間をかけて
苦労して得た知識だとか
依頼されて、こういう記事を
お願いしますと提示されたもの
でなければ有料記事は書かないと思う。


 今回、サポートしてくださった方は、

 手が滑って押し間違えてしまった!

とかいう裏事情がない限り、

 私にサポートとして2000円を
見出してくださったことになる。



2000円は大金だ。


 物理的にも大金だ。

 例えば時給1000円の仕事を
していたとしたら、2時間働いた分を
私に投資してくださったことになる。


 例えば500円程度の小説を、
4冊も買える計算になる。

 その重さを感じている。


 宝くじが当たったとか、
相当のお金持ちとか、
 石油王でないかぎり、

2000円は、仮に何千万何億
稼いでる人でも働いている人ならきっと
パッと出せる額ではないだろう。


 しかも、有料記事を買う、ではなく

サポートとして出してくださる。


 こんなに素晴らしい方がいるのか、と

感動した。


私は大学院での専門分野が、
第二言語習得・英語教育だし、
それ以外も、自分で勉強したのは、
教育、精神分析、ティール組織、
経済学、現代社会学などだが、

それらを体系立てて書こうとしても
なかなか言語化できないのは
何が求められているのかが
ないからかもしれない。


 noteを含め、
金銭授受が関わるものというのは、


 そのモノの価値に対して、
 モノとお金を交換する相手同士で
同じ価値に値する額として、
認識するからこそ、
金銭授受が成り立つ。

 




 これは、私が言ってることではなく
経済学でも、資本主義の話でも
どこにでも出てくる。

 経済学の価格と需要/供給の関係でも同じ話が出てくる。


 ある財(例えばリンゴ)を
購入するとき、

 その財(リンゴ)
1単位当たりのコストが
その財の価格となる。

 この仕組みは売る側によって
事前にそのモノの方が決められている
ことになる。

 レヴィ=ストロースの考えを用いれば

人間は3つの水準で
コミュニケーションをとるわけだ。



 ①財貨やサービスの交換(経済活動)

 ②メッセージの交換(言語活動)

 ③女の交換(親族交換)

 そして、どれも、誰かが最初に
「贈与」をし、受けたものは
「与えたもの」が失った分、
反対給与をする責務が生じる。

この記事に
お金を出してくださった方との関係は

交換とは多少異なる。

 私は一方的に社会に向けて
言葉を発した。


 そしてそれに、読んだ方が、
価値を見出して、

 「いいね」というファボの形、

 「コメント」

 そして今回の方のように

 「お金」を出してくださる。

 しかし、
そうして返答を受け取ると、
私はそれに答える
反対給与をしたいと願うようになる。

 自分自身を救うために、

 誰かに寄り添うために。


 そして少し余裕が出てきたら、
これまで私が勉強してきたことを
発信するためにnoteをはじめた。


 2000円を出してくださった方は
私の書いた記事の内容に、
もしくは、今後私が書くために、
2000円という価値を
見出してくださったことになる。


 モノの価値は、個人の価値は
他者によってあたえられるものである。


 私はそれを実感した。


 
過去の私を救うために、
思ったことを言葉に出すために、
書いてきた。


 それを続けながら、
これからその、
他人の価値指標というものも、
視野に入れてみようと
そう思えた瞬間であった。


その2000円の価値に
見合う反対給付をしたいと
やはり思う。


私にとってそれは、
これからも、自分を、
自分の隣にいてくれる人を、
そしてその隣の人を、
大切にするために言葉の紡ぐことだ。


#初めてのサポート
#サポートありがとうございます

#お金の価値

#経済学の中のお金

#レヴィストロース

#反対給付

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#有料の条件

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