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次のことを想像してみたい。

仕事終わり、夕方少し前。


久しく行っていない洋服店のポイントカードの忘れのレシートを持ってお店へ向かった。私自身お店に行くのは久しぶりだし、洋服も冬に何かを買ったのが最後だ。3〜4ヶ月くらい?


ポイントだけつけるつもりだったけれど、いつも買わないような色のTシャツと好きなリブの、持ってない黒のカットソーを見つけて、1時間ほど考えて試着して4着から2着選んで買った。お金がそんなにないし、9月の友人の結婚式のご祝儀準備しなきゃだから、しばらく洋服は買わないと決めていたんだけれど、2着カットソー買って50%オフと30%オフと、2着購入での20%オフで、結局2784円、ポイント引いて2468円だった、


1着1200円台なら、減価償却的観点にに則れば週1回1年間しか着なくても1回25.7円、週2回着たら1回12.8円、仮に2年着たらこの半分。もともと安いものだけれど、元の値段が1着3000円弱であることを考えれば洋服の質としては妥当。


こういうことを話しだすと、スタバ2回我慢すれば1着買えるだのなんだの話する店員さんもいるけれど、


私の場合、スタバも洋服も特段我慢はしない。飲みたかったら飲むし、欲しかったら買うし、洋服を必要としていなくて欲しいとも思わなければ買わないし、スタバは、まあ、一人の時間を作りたかったりしてわりと頻繁に入るけど…。コンビニも別に我慢しない。


結局スタバ寄ったさ笑。noteを書けているからいいやって甘えてね、




よく、貯金がどうのの本や記事には、
ラテマネーを我慢すれば貯められる!とか書いているけど、貯金するぞ!と思ってラテマネーが無理のない我慢の範囲に入る人ってのは、もともとそんなにラテマネーがないと思う。


逆に、よほどただ習慣として無意識に、気づいたら、知らぬ間に手にもうドリンクが…!というくらいカフェに入っているという人でなければ、
ラテマネーをちょこちょこ我慢してでも貯金するのは、"ちょっとした我慢"ではなく、かなりの我慢になるのではないかと思う。


まあ、それで私は貯金できていないのだから、説得力皆無だけれども。私の場合、コンビニやカフェのラテマネーも少なくはないだろうけど、どちらかと言うと、一気に何か大きなものを突然買う手に入れる、というのが多いと思う。

推しのライブ、推しのグッズ、欲しい化粧品や香水とかで、だいたい1万単位でお金を使うことの方が多い。


非正規でほんの週数千円程度の収入で
親元から巣立てていないのだからそろそろ
それでも貯蓄をと思うようになった。29歳になる歳にして遅すぎる。同い年のみんなは300万を超えている。私の3〜5年分の収入くらいを年にみんな貯めている。


このままじゃいけない!なんて頭では思っていたつもりで、口で言っていたけれど、言ってるだけで実行に移してないじゃない!と思った。


コロナ禍を挟んで母以外の人付き合いのお金が減ってきたのはよかった。経験としては27〜28歳でマッチングアプリやったのはよかったと思うけれど交際費考えると、厳しかったなあと思う。(私は、半々でいいって設定にしてたので、相手が払ってくださる人の時はお言葉に甘え、半分出してと言われたら半分出して、相手に合わせる形にししてました。お金に限った話じゃなく、アプリにおいて相手の出方に合わせるってのもよくなかったかもなあ)色々あったけれど、でも、いい経験をした。いろんな人を見て、いろんな人と話して、いろんな人を知って、雑に扱われることも、セックスのための道具みたいな感覚も、容姿罵倒されるのも色々経験した。いろんな男の人を見た。




そういえば、知らない間にさっちゃんが結婚していたらしい。(本人には聞いていないけれど、親愛なる友人から聞いた。さっちゃん、結婚したら教えてくれるって言ってたのに…ってちょっとショックだったけれど、よく考えたら私がさっちゃんの誕生日にメッセージを送るか送らないかくらいの、年に1回LINEするかしないか程度の仲になっちゃったんだもんなあと思って、院生の時の同級生や先輩方というのは知らない間に、ずっとずっと離れた存在になってしまっているんだなあと思った。)


 そう考えると、大学の同級生たちも中高の同級生たちも、みんなそうだよね。私の頭の中にある彼らは私が知ってるいつか話した時の過去の彼らで、どこかで止まってて、でも、友人たちはみんな私が1〜2年前と異なるように、進んでいて、だから、久しぶりに会ったとき、前に会った彼女を想定して話していたら合わなくなるだろうなって。




 自分の手元にある洋服だって数年経ったらもうあの頃着てた服なんて1着も持ってないや…ってなりかねないんだから、ましてや他人の人生と交差していく人間関係が同じままなわけがない。同じだと思っているなら、もし、同じように、そんなに変わらずに続いているのなら、それは変化していることに気づけていないか、変容することを止めてしまっているか、なんだろうね。



 仕事も。父がこの6月で新卒から37年ほど勤めた会社を退任して系列の全く異業種の会社にかわったそうだ。私は実のところ父の仕事をあまり知らない。何会社にいたのかは知っているけどそれだってちゃんと認識したのは高2くらいで、父の収入をはじめて垣間見たのも21〜22歳くらいで。


でも、1番長くても週1〜多かった日で5日勤務、なべたら週3回の勤務程度でしかも1日2〜3h、多い日となべても4h程度の勤務で2年間(コロナ禍を除くと22ヶ月間)非正規雇用で勤務したVCが私にとって1番長く働いた仕事で、そんな私からすると、40年近く同じ会社で、きちんと働いて、責任ある仕事して、昇進していってそんなふうに働けることがすごい。


 だから、新卒から転職していても色々あっても働いている友人たちもすごい。それに比べて私は、未だに大学生より働けない非正規雇用…って。言葉だけ焦って、でも内情は家を追い出されずになんだかんだ実家暮らしで甘えてばかりの今の環境のぬるさに甘んじていた。甘んじて、ちょっとずつでいいから…なんて言ってたら、ただでさえ周りの同級生たちより何倍も成長の遅い私は
ついに30歳まであと1年と2ヶ月くらいになった。

ご褒美になんとか…なんて言い訳してお金使っている人の方が良いと思う。私の場合、今欲しいか否かの次に、今買うかやめるかでちょっとでも迷わなかったら即座に買う。一旦おいておこうということの方が珍しい。変なところに即決能力がある。


 でも、そうなるたび思う。
もちろん欲しいものを全部手に入れることってのは難しいけれど、全く異なるAとBという欲しいものを比較して、Aを我慢してBを得るってなるなら、そのAは買わなくていい、欲しいものではないのだと思う。もちろん、今必要か今度でもいいかという話はあって急ぎではないから後回しにするというのもあるけれど。後回しにしている以上結局なくても生活はできるし、ストレスが溜まっていないってことだったりするだろうし。必要だったわけじゃないけど今欲しくてすぐ手に入れるものっていうのは、もちろん自分にとって気後れする値段ではないからという理由のものもあっても、結局欲しいものなんじゃないかなって。


 まあ、その結果、貯蓄できていないなら、
こんなのは参考にならないわけだけど。



 そんなこんなだけれど、コロナ禍を経て人付き合いが消えたら自分に使えるお金が増えて、自分の欲しかったものを手に入れられるようになって、ストレスが溜まらなくなった。それで、長年無理してたんだなあと気づいたし、その無理って実は7年くらいしていたと知った。洋服買ってしまって言うのもなんだけれど今の私の目標は、部屋を整理することだし、部屋に何が溢れてるかって本とコスメだから、支出項目に本とコスメはもうしばらくいらない。洋服も久しぶりに買ったけどこれで満足したしまたしばらく買うのはいいやと思う。


 28歳の目標、英検とTOEICは結局先延ばししてもう達成不可能になってしまった。行きたいお店に行くこととアニメ・映画リストを消化するのは達成したし、アニメと映画は後回しでもいいやって今は思てるから今後も観たいものあるけれど今はいい。仕事はアフタースクールの時が嘘のように、仕事中は過集中的に集中してる時もあるけれど、そんなにしていないし、むしろ集中できていないくらい()だし、でも頼まれた仕事はそれなりにはこなしているし、仕事の時間とそれ以外の時間のメリハリはまあまあある。結構いい感じだから達成ってことにした。



 そうなると、noteは確かにもう少し向き合う時間が欲しいけれど、今のところ週2で書く習慣はついているし、卒論や修論が今やるべきことではないmustの目標でないとしたら、あとは、転職(安定した収入を得る)、携帯の写真整理と早寝早起き計画と貯蓄が、今やるべき目標に浮上してくるのは自然のことだ。


 そして、転職とお金関係、つまり仕事関係で言えば、最終的な目標は経済的自立であって、その手段としての転職であって、転職や自分の未来を考えたゆえの英語学習だとたどっていくと、目標との比較では全く何も進めていないが、現在の仕事の中で何かに挑戦する、できることを増やしていく、今の仕事を土台にすると考えられるようになってきたから、進んでいないこともない。


 携帯を無くしたことと物が増えすぎたことと、7月に消防点検が来ることで、部屋の片付けをちょこちょこやっていたがそれも結局携帯の容量の圧迫をどうにかしないと頭も部屋も整理できない!となって、それなのに全然整理できていないから進んでいない。でも期日がある。7/21ころまでには綺麗にしなければならない。物を減らさなければならない。お金も、貯蓄する必要性もだけれど、その前にあと2ヶ月の間に必要経費として友人の結婚式への参列にかかる金額総額で5〜6万円は用意しておかなくてはならない(ドレスと交通費含め)。


そうしてひとつひとつを辿っていくと、

今私が本当に必要としているのは


モノや情報を減らすことで、
身につけることではなくて手放すことなんだと思い出す。昔から、どうしても手放すというのは苦手だった。けれど、手放さなくてはならないものやこたが大人になるにつれ増えてきて、手放すつもりがなかったのに手元からなくなったモノもあった。それらの上に今の私があるとしたら、何を持ち何を手放すかを日々判断していかなければ、20代後半を今まで漫然と過ごしていたように、このまま30歳になるんだと思う。


 30歳になることが嫌なのではない。30歳になるとき、30歳らしからぬ子どもで、怠惰で、責任を果たせず、自立もできず、自分の思い描く幸せや手に入れたいものを手に入れていないだろう自分が28歳の今のうちから想像ができて、そんな30歳を迎えてしまうことが嫌なのだ。


 結婚が正義だと思っているわけではない。でも私は、恋愛もしたいし、結婚したいし、子どもも欲しい。お金があればそれだけでいいというわけではないけれど、お金がなければ選択肢も持てないし自立もしないし、お金の稼ぎ方は色々あるけれど結局のところ、"働く"という(それもどこかに所属して働くという)お金を得る方法は簡単なのだ。だから、お金を得るために働かなければと思う。

 自分の人生を、自分の手中におさめ、きちんと手入れできる程度にして、コントロールしていく。それがどれだけ重要で幸福感に寄与するものなのかをやっと痛感しはじめたところだ。そして、それらのためには、仕事も恋愛や友人関係などの人間関係もコントロールして、すべて"私が責任を持って動かせる"ようにしなければならない。


 私はそのために、普段もう少し、薄給のなかでも目先の不安をなくすために、できればもうしばらくの自由を得るために、貯蓄をしなければならないわけだし、生活改善をしてなるべく健康を続ける努力をすべきだし、選択肢を増やす一つの方法として英語技能を身につけるべきだったわけだった。25〜26歳の時なんとなくたててそれから何年も達成しないまま翌年へ、さらに翌年へとなんとなく更新していたこれらの目標は、すべて自分が、自分の責任で、自由に人生を歩み、強く逞しく自立するために、最重要かつ最優先的に必要なことで、

"できたらいいな"の希望的目標なのではなく

"こうなれるよう、これを達成するよう"というmust的感覚の目標であるべきであったのだと、


後者ではなく、前者のように捉え続けていたからいつまで経っても大きく変われていないのだと、やっと少しだけわかりはじめてきた。このままではいけないという感覚はずっとあったけれど、その根本の考え方を変えなければいけなかったのだと。


 今年の10月には社会保険法も完全に変わって、パートタイマーでも住民税や社会保険加入の条件がかわってくる。


 もともと、正規の仕事を辞めてしまったのは、心と身体と頭のバランスが崩れたままだったからだ。身体の具合(体調)は持病の影響があるからアンコントローラブルなところがあったとしても、心と頭のバランスはこの4年で少しずつだけれど身につけてきたはずだ。


 それらをもとに、ここから動き出さなければ、いつまで経っても今のまま。29歳になる前の今と30歳を超えてからでは、職歴や求職に大きな差があるのはよくわかっている。だって今の時点でさえどこにも雇ってもらえないんだから。


 他人の人生は他人の人生、自分の人生は自分の人生とわかっているつもりでいながら、私はどこかで他人の人生との比較ばかりしてきた。


 あの子はあんなに頑張っているのに、
 あの子はあんなに稼いでいるのに、
 あの子は素敵なキャリアを持っているのに、


 あの子よりはマシでいたい、
 あの子よりはちゃんと経験しておきたい


無意識的にそういう感覚があったと思う。


 だから、劣等感があって、失敗している自分ばかり口に出て。


 そのくせ、頑張れない、努力しない。


 今の仕事を、来年も続けられるのか、続けたいのかは別として、今の仕事をやっている間にもう少し、もう少しいろんなことを知りたい、身につけたい、挑戦してみたい、頭の端の方に微かにそう思えるようになってから3ヶ月ほどしてやっと、そのことに気づいた。


 弟が先に結婚しても、それは弟の人生であって、他人がどう言おうが、自分の人生計画は自分がどうにかするしかない、弟が昔からできていて私に言ってくるその正論を、本当に理解しはじめたのは今だった。


 部屋だってあと3週間のうちにミラクルに片付けないといけない。でも、強制的に片付けきゃいけない期日がきてくれた方が今は少しでも進むかなと思う。


 自分のことは自分で満たして、不要なものと必要なものを見極めて、不要なものは手放して、余裕をつくって。その余裕で自分にも他人にも優しさを、気遣いをして、人への優しさと気遣い、配慮を常にまわせる、そういう人間に近づいていかないと、そしてそれを持って自立していかないと、恋愛も結婚もできない。恋愛や結婚をすべきだと思っているわけじゃない。ただ、私は恋愛も結婚もしたいと思っていて、そのくせそれに見合う努力はしていないんだって、その努力は、経済的余裕があるかどうかとか、相手がいるかどうかとか仕事があるかどうかとかそういう目に見える部分よりもっと深いところから繋がっているんだってことを、やっと少し理解しはじめたの。


 遅いと思う。遅いと思うけれど28歳で少し気づけてよかった。これからこういう考えや習慣を当たり前のものとして習慣化、概念化していくのにはずいぶん時間がかかる。自立しなければと思ってからここまでにも3年はかかってるんだから。でも、いつかはやらなきゃいけないし、やるべきだから。


 それでやっと、やっとね、


 ここ4〜5年くらいろくに手帳を使えてなくて
計画を立てるのは昔から苦手で計画のけの字もないような特性なんだけれど、もうすこしちゃんと計画を立ててみようって思った。特性があるからこそ、意識的に。それは、私が自分で幸福感を感じられる、つくれる人間になるための、そうであるための、他人に愛されることや喜びを与えてくれることを求めないための、いつでも自分を認めて受け入れられて生きるための、計画づくりなんだ。


 手帳の計画、例えば英語の勉強計画ひとつとっても、立てたその日から何も手をつけないような怠惰性のある私が、それをどうやっていくかって?


 まずは、今の自分の現状を見つめることよね。


何を持ちすぎているのか、

何を持っていないのか

何が欲しいのか

何は必要で何は付加的なのか、

何かを得るために何をすべきなのか

それでさ、そういうことを考えたいんだけれど、
私は特性的にインプット過多にしてしまうんだよねいろんな情報を、溜めるだけためて、集めるだけ集めて放置。


だから目標達成していないし、だから、まずはiPhoneのカメラロールを減らすことから、ってずっといい続けてずっとやり続けてるのに追いつかないの。


そういう特性を踏まえて、今の仕事を漫然と続けるんじゃなくて3ヶ月後、半年後、1年後、30歳までにどうするか、目標ってもんじゃなくても決めようと思う。責任を持って生きている人間になれるような計画を。

何が足りないのか、何を持っているのか


自己評価の付け方は正しいのか、見極めようと思う。


思う、ばかりってつまらない。わかる。 


目標や夢を応援する人もいるとは思うけど、他人の目標や夢なんて興味ない。


人はあなたが何をやっているのか、何をやってきたのかに関心があるんだって、だから今やってることを言えって、どこかに書いてあった。


私は今、頭も部屋も体型もぐちゃぐちゃしてる。

私は今、目の前の仕事を私なりに必死に丁寧にこなしている。


私は今、少しだけ焦っている。


私は今、少しだけ前より他人の人生との比較より、自分のなりたい自分との乖離で焦るようになってきている。


そして私は、今、あと2ヶ月の28歳を、

29歳、30歳をただこのままじゃ…と考えることで少し蔑ろにしている。


私は今、目の前の楽な楽しさを選んで、自立ややるべきことや持つべき責任を逃れている。その結果、得られるはずのお金や幸せや選択肢を失っている。


私は今、そういうことに向き合おうとして、けれど頭がぐちゃぐちゃして、結局何をどうすりゃいいのかよくわからないまま、noteと向き合っている。


でも私は今、noteに向き合い、言語化し、文字化して、残していることで、今の私の考えていることやこの焦りや、やるべきだと少し見えてきたけど、ふとするとすぐ忘れてしまうことをここに残している。



 そうだ、今私が最初にやりたいのは今の私が何を持ち、何を得ていて、何から手をつければよくて、どうしたら自分は幸せなのか、それらを知りたいんだ。ちゃんとわかっていたいんだ。そして、他人に愛されることをどうしても願って、他人に依存しようとしてしまうこの癖と向き合いながら、それはどこかで仕方ないとちゃんとわかってあげて、その私と向き合うことだし、
こうでいるべきなのにできていない私、を並べてしまうけれど、こうであるべき、ができない、そうしようとすると無理が生じてしまう場合に、もう少し楽に、楽しく、心地よく、自分が生きられる日常を得ることなんだ。


 昨日も、自立できない自分と思うように動かない身体や心と、不安からくる過呼吸で、夜中まで静かに泣きながら、何かに急き立てられているのに何もできずにただ闇を泣いて過ごした。


でも私は、足りないものや自分はこうであって欲しい、このくらいできて欲しいという高い理想を見すぎているのかもしれない。見つめすぎて視野狭窄と焦燥感だけを起こして、でも理想と現実にギャップがありすぎるから何も進めていないし、自分はこうであってほしいと思う自分よりずっとずっと怠惰だから、計画を立ててもうまくいかないんだと思う。


 だから、怠惰で、計画通りできない私は、目標じゃなくて、
やってみたいこと、こうなってみたいということ

を29歳に描いた方が楽しそうだ。


 本当は何が欲しいのか

 何を得たいか

 何をしたいか


 どうなってみたいか

それを詳しく描いてみることからはじめよう。


 目標じゃなくて、
 将来設計も大切だけれど一度それを置いて、


日々の中に、こんなことしてみたら楽しそう
こんなことできたらなんかよくわからないけどいい感じになりそう、

そういう感覚で、それを具体的に、
詳しく考えてみようと思う。


 この服を着てどこに出かけたいか

 誰に会いたいか

 これに行って何を楽しみたいか

 これを持ってて何をしたいか


 そんな感覚と向き合ってみようと思う。


 計画なんてたててもうまくいかないんだから、もうそういう人間なんだから。

 自分が何をしていたら満たされるか、何で満たせるか、幸せを感じられるか、今持っている幸せは何か、見つめたい。

 もっといろんなこと想像して、感じたい。



 結局のところ、本当に自分が欲しいものはどっちか、何か、という話なのだ。目の前のスタバを我慢すれば何円貯まるとか、痩せられるとかにしても、今本当に欲しいものがお金や太らない身体ならそちらを取ればいいし、目の前のおいしさや嬉しさや楽しさが大きいなら手に入れればいい。それだけのことで、でもそれには、自分が何が好きなのか、何が欲しいのか、本当にわかっていることが大切で、日常忙しなく過ごすうちに、その感覚をきちんと持ち続けられないから、それが難しいことなんだろう。


 ちなみに私は、noteを書くためと、頭の中の興奮を抑えるためにスタバでゆっくり頭の興奮を抑えたいという欲と、なんか小腹すいた気がするという欲によって、スタバでストロベリー&ユースベリーティーなるものを飲みながらこれを書いていた。


 今日はことのほか暑かったからね。食欲というか、なんか食べたいっていうあの、わけのわからない欲ってどこからともなくとてもわくのよね。


 努力って、

そうせざるを得ない環境になると、自然とせざるを得ないからするようになるんだよね。それをしないってことはさ、私は結局今目の前で部屋をもっと片付けなくてはとか、英語を勉強しなくては、とか仕事を得なくては、とかを半強制的にせざるを得ないものだと認識してないってことよね。



 どうすればいいのでしょう…


#目標

#欲しいもの


 焦るのは、周りの友人たちがこうなっているのに私はこうなれていないからではなくて、
 こうなりたい自分に近づける何かをできていないからで焦りたい。

 29歳って言ったら結婚して子どもいる子もたくさんいるのにって焦るんじゃなくて、

 私は子どももほしいし、共に歩んでいけるような人と生きていきたいと描いているのに、そのための努力をできていない、そのために何をしたいかどうすべきかをわかっていないから日常に落とし込めていないままただいたずらに時間を費やしているってことで焦りたい。


 何が足りないか、ばかりみるんじゃなくて
過去に何をやってきて、それで自分は何を得て、何ができなくて、だから今何ができて、この先それをもとに何ができるようになるかを考えたい。

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