安住アナの走れメロス講義から


 お正月、安住アナがご結婚なさったとのことで安住アナを拝見するたび思い出すことを、再び思い出した。


 昔、ぴったんこカンカンという番組で、
安住紳一郎アナが明治大学を訪れた際、
どういう流れだったか忘れてしまったのだが、斎藤先生の受け持ちの学生(教職課程履修生)に少し講義をするという事で、走れメロスについて少しばかり安住アナが話をした。

走れメロスがこれだけ長い間愛されるには、理由があって、日本人として走れメロスの表現にはビビッとくるものがある、私がやっている仕事も小気味が良くてテンポがよくてそこで意味が完了した時に民間放送はコマーシャルをばんと入れてくれるんでね、と言いながら、レコ大を例に流れるようにそのテンポの良さを説明する。


 学生も齋藤孝先生も笑う。もう話がうまい。

 さすが喋りのプロ

 「もうここしかないとこにバズっと入る、そういう感覚を自分の己の中から磨くにはやっぱり走れメロスとかからスタートしていくのがいいと思いますよ、ねえ、ちょっと私が気になったところさっきばばばっとみたのでよく分かりませんけどもテキストの182ページですか、ええ、182ページ」

と言って、

ーなんのこれしきとかきわけかきわけ ー

から始まる文を音読し始める。

ー 濁流にも負けぬ 愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。 ー


まで読んで
「この辺はこれ広告会社の映画のコピーでもそのままいけますよ、ねえ、なんかこうテンポが良くて気持ちいいでしょ」

「今こそ発揮して見せる。ざんぶと流れに飛び込み LiLiCoも泣いた おすぎもむせぶ!みたいなね」とテンポよく話して学生たちの関心をがっちり掴んでいる。


そして、状況説明が上手いという例で


 走れメロスで、メロスが最後ラストスパートをかける時の描写について、

 「ものすごくはやく走るという表現日本語を使って、じゃあみんなも考えてみましょうというと、まあものすごく速く走るとか、目にも止まらぬ速さで走った、足の動きが見えないくらいの素早い動きとかそれくらいですけども、太宰治はこれ、ラストスパートをかけたメロスの描写、比喩、直喩、暗喩なにかけてますか、少しずつ沈んでいく太陽の、十倍も早く走った これは考えようとしたって博報堂のコピーライターも考えられませんよ なんですかこれ 沈んでゆく太陽の十倍のスピードってこれどういうことですか これ考えられる人います? 太陽の10倍ですって、ええ?」

 そう言いながら黒板に「太陽の10×」とかく。

そして続けて

「これ、真面目に研究した先生いるんですけど知ってますか?柳田理科雄先生という人なんですけども、ええ、ええ、柳田先生の解説」といって

「柳田先生」と板書する。(当然国語なので縦書き)

「ちょっと私覚えているので紹介しましょうか、柳田先生、この太陽の十倍のスピードってどれぐらいなのか、ねえ、これ舞台があったところはシチリア島なんで北緯だいたい37°ぐらいらしいんですよ、ええ」

と言いながら
「N°37」と書く


「で太陽のスピードということは、太陽は動いていないとコペルニクス先生が言ってますから当然地球の自転のスピードですよね、これ時速1300kmなんですよええ」と言って今度は
黒板左側に

時速1300km/hと書く

「はやいですよね、で時速1300kmの太陽の動きの十倍で走ったという事はメロスの走った速度はいくつですか?ズバリこれ計算しましたらええ、マッハ11」

と言って黒板に

マッハ11

と板書した。学生たちも爆笑だ。

「走れメロスはマッハ11で王のところまで走ったという、ね マッハ11ってどれくらいのスピードですかっていうと、新幹線のぞみ号の44倍」と言って

マッハ11の横に 

のぞみ 44と書く。


「100m世界で1番速く走る人は誰ですか? ウサイン・ボルト氏 ボルト氏9秒69で走ります」

と言いながらその左に 

ボルト氏 9.69と書く。

「メロスは、何秒で走ると思いますか、100mを、100mね、」といいながら

メロスと書いて

「そう、なんとメロスは100mを0秒02で走ります」と言って9.69の左隣に0.02と書く。


 「ねえ、驚き、ねえ、で、マッハ11でメロスが走った場合、速いというだけではない。マッハ11でものがそこを移動すると衝撃波が出ますね、ええ、メロスの周り半径二キロメートルことごとくガラスが割れます」

と言って板書のメロスを丸で囲み、ボルト氏などの上からチョークで円を書いて2kmと左斜めに書いた。


そして、こういう。

「結論、走るなメロス」

学生たちからは拍手喝采。


 「科学的な分析をもとにしますと、これだけのスピードが出てしまうという事で無茶苦茶なことなんですけれども、え、日本語は小説、物語の場合は非常に大きく話をすることによって物事が膨らみます。そしてそこで伝えようとしていることがわかります、これが日本語の面白さであります。物語の面白さをぜひ皆さんも、各各地の学校で、生徒相手に広めてください、ご清聴ありがとうございました」


学生たちからは拍手。


 細やかにすべてを覚えていたわけではないのだけれど(ここに記すために、この安住アナの動画を調べた)

 太陽の10倍というところから、走るなメロスまでをなんとなく記憶していたくらい私の中に非常に印象的であった。


 安住アナの走れメロス講義、いや、走るなメロス講義ほど面白いと思った話はなかなかない。


 こういうのを、

じゃあ、ちょっとなんかやってください、と言われて堂々ときちんと語れるところが、

 安住アナの、アナウンサーとしての技量の凄さ、知識量、話し方、語り方の凄さで、


 安住アナってすごいよなあと思うことを説明したい時は必ず、わたしはこの、彼の母校・明治大学で行われた走るなメロス談義がすごいんだという。


 何か講義してくれと言われてパッとこうやって話ができる、時間内にまとめられる、聴衆の興味を惹きつけるというのがさすがプロのアナウンサーだと思う。


 思えば、教員という仕事は、アナウンサーと似ているところがある。


 教師は、教育者であるのだけれども、そして教員という仕事には本当に小さな事務作業から生徒の進路に関わる大きなことまで、もしくは未来の教育が変わるような大きなことまで、幅広くありすぎるのだけれど教師の主な仕事は当然、「授業をすること」である。


 授業では、45分なり50分なり、大学教員ならおよそ90分、話をすることになる。


 大学教員は、研究者の側面が強い人が多くて、ほとんどの場合教員という感じでない人もいるのだけれど、

大学教員の仕事というのは、

 ・研究者
 ・教育者
 ・学校運営の一員

という三つの柱で成り立っているので

 ここでは、教員に大学教員も入れておこう。

 教員(学校ではないが保育士も似たようなところはあるだろう、保育士、幼稚園教諭、小学校教諭、中学校教諭、高校教諭、大学教員)において、

 語り方が上手い、とか語り方というものは


 非常に重要な資質になっている。


 もちろん、教員だけでなくて営業職だろうと、一般企業の管理職だろうとやはり語り方というのは大切だけれど、

 教員という仕事においては、語ることそのものが主な仕事なのだと、こういう安住アナのような講義を見ると思わされる。

 語ることには、その声の出し方、話すスピード、使う表現、説明の細かさまたは大雑把さ、内容にいかに惹きつけるか、そして話す内容(教える内容)に対する知識の深さ、または児童・生徒・学生が、その講義や授業を受けた後に、もう一度走れメロスを読もうと思うような、その授業の内容から発展して何か関心を持って自分で学習を始めるような、種を蒔く。


 私はそういうことが凝縮されたものとして、この安住アナの走るなメロスの話が非常に好きであるのだけれど、(もちろん、彼は結局はアナウンサーであるので、国語科教員だとか日本文学科の教授たちのような専門性はないけれども)


 元放送部で、

 英語科の教員免許をもって


 子どもたちに教えるのが楽しかったという経験があって

 楽しく学習をしてほしいという思いがあって

 自分自身が、何かを知るとか調べるとかそういうのが好きで考えるのも好きで

 そういうところが、きっと

 教授や、親愛なる友人たちが

 「教師できると思うんだけどね」

 「向いてると思うんだけどね」

と言ってくれたところなのだろうとなんとなくわかってきた。

 一方で、大学教員であるならば、

 講義ができる、テストやレポートや論文を採点したりチェックできることが必要で、専門性に長け、新規性などを目指して長く研究していけるだけの精神力、体力、執念、論文をまとめ上げるだけの知識量、それらに伴う語学力、発表する力、なども必要である。


 そのために、ウェーバーがいうような''孤高さ"のようなものはやはり不可欠なんだろうと思う。


 中高教員なら、わかりやすく端的に説明するだけでなく、50分間の授業計画を立てられなければならないし、そのなかでは大学生と違うから学習指導のほかに、生活指導、生徒指導もあるし、宿題を出してチェックして(大学生のように放置というわけにいかないので)生徒一人ひとりの学習を把握しなければならないし、進路指導も当然重要になる。


 中学生なら高校生より、学習指導も大切だけれど、おそらく生徒指導、生活指導に力を入れることになっていてそのなかには、お友達同士でなんやかんやがあっただの、生活リズムが乱れていたりなどがあればその指導や面倒を見ることも必要だし、

 小学校、幼稚園と、被教育者年齢が下がるほど、学習そのものより生活をつくりあげるための支えとなる仕事の割合が大きい。


 それでいて、やはりどの校種だったとしても一定程度の学業に関する教えるための知識量と技術が重要になってくる。いやむしろ、年齢層が低くなればなるほど、

 この専門的な分野をいかにわかりやすく楽しく、興味を持たせて、自発的学習指導に持っていけるか、または基礎的なこの知識や学習を身につけさせて成長へ導くかが必要で、

 そういう意味で、小学校では、当然大学のような、文学的な細かい知識などはむしろ省かれる。


 教えられる範囲、相手が理解できる範囲、被教育者の前知識の量をきちんと考えた上で、興味を持たせて、ここまでは教えられるというそれと、かといって一概に、小学校ならこの程度までで良くてあとは放置、ではなくて、ちょっとだけ教科書より踏み込んで、児童がさらに興味を持ったり、中学校へとその関心を引き継いでいけるようなところまで持っていく、

 みたいなのは、非常に難しいと、こうして書いてみると思う。


 そして何より、教員の仕事は、ここまで書いたところは、対児童、対生徒の一部なのだ。

 この他に例えば給食指導、挨拶指導、そのほかの生活指導などもあるし、部活指導も進路指導も幅広いし、

 また児童・生徒だけでなく、教員は保護者それぞれや地域の皆さん、教育委員会、ほかの学校の先生たち、PTA相手にもしている。


 いや、むしろ、そちらがメインの仕事になりすぎて、おそらく限られた時間の中で、十二分に授業のための自身の研鑽を積む、学習をするという時間を捻出するのはなかなかに難しい。


 がやはり、熱心な先生たちは、学校のある日は朝から晩まで(ちなみに、公立中に勤めていた友人は、自分のための勉強や研究会に出るなどできずで、朝7:00出勤23:00退勤だと言っていました。)研究会に出たり、大学に通ったり、研究者としても活動していたり、平日は朝から夜まで仕事して土日はこうした研究会だの学校説明会だの行事だの地域との関わりだのをしながら自己研鑽として学習機会を設けたりもしているわけで、


 そういう全てを含めて、やはり


 わたしは、教員にはとてもじゃないけれどなれない、


 と思う。


 近年になって、教員の多忙や激務はメディアにもあげられるようになったし、近年はSNSを使用する先生たちも増えてきたりして、働き方を変える先生たちもいて、


 世間にその激務が知られたり、激務を辞める教員も増えてきて教育も少しずつ変わってきてはいるけれど、

 果たして、文部科学省、お国、もしくは教育委員界、保護者・PTA、


 そして何よりメディアが、

 こうした教員の、主業務に関することにどれだけ良い意味で関心を持ちきちんと理解して取り上げているだろうかと思うと、全然ない気がする。


 学校にはいろいろな生徒児童がいるわけなので本来は教員だっていろんな人がいた方が良いわけで、話すのが得意じゃないとか、人と関わるのが苦手とか、そういう先生がいた方が良かったりするのかもしれないけれど


 上に書いたような教員業務を、働くのが苦痛にならずにこなしていける精神力の強さや我慢強さ、面倒見の良さ、計画を立てられる能力とかはやはり基本的に、採用の時に必要とされ、そこをものすごく見られる。特段、英語科教員においては、教師の多くにとっても第二外国語または日常生活では全く使わない英語について、教員に必要とされる能力の他に要求される。

 実のところ、必ずしも全国の英語科教員がペラペラに話せるわけじゃないだろうし、知識豊富でとかではないのだろうけれど、

 特に私立や、中途採用の採用の時点で求められるハードルは、結構高い。


 そういうことを考えていって、やはり私は既卒就活で落とされていたのはそういう能力がなかったからなのだろうなと思うわけで、

 英語ペラペラにも話せない(むしろ今はもうほとんどわからない)
 計画を立てるのが苦手
 人前で話すこと自体は準備があればできるが、人と話すことは苦手
 メンタル弱め
 とにかく体力がない(働くことそれ自体に躓いている1番の理由であり、教員になれないと思っている1番の理由)

 私がやはりなれることはないなと思ってしまう。


 それならば、Lくんが既卒1年目の時に私に言ってくれたように「身体を使わない仕事がいいんじゃない?ユーチューバーとか、」と言ったそれを、本当にきちんと考えて(YouTuberはたとえなので、つまり身体を使わないでお金を稼ぐ方法を考えるということだよね、投資とかね、)いたら変わったんだろうなといって結局私はもうそれから4年以上経っている。


 じゃあ、なぜそちらにシフトできないのか、と考えれば

 結局、「やったことないことに踏み出せない」

 という自身の特性が最大要因なのだ。

 投資に限らず、今までの進路すべて(教員を新卒すぐ辞めたきたのだって)

経験したことがないことに踏み出せない

 が私の人生の全てのネックになっている。


 そしてそれはもう学生の時から、周りにも言われて自身でもわかっていることである、にもかかわらず変われない。


 これはいかなることか、


 例えばこの新卒で仕事を辞めてからの6年間、


 仕事は非正規でちょろっとしか働いていないけど、修士の時の研究をしなおしたんだ、
論文を書き直してね、

 すらできなかった。


 私は結局、もう研究からも勉強することからも、教えることからも何もかもから離れてしまった。そして離れてしまったら、どんどんできなくなるのだ、ということも体感しているのに、離れていってしまっている。



 安住アナが、話がうまいのは、話のプロだからで、語ること伝えることのプロだからでそれは、安住アナが入社以来積み上げ、毎日テレビでニュースを読み上げ、語りかけ、番組を作ってきたという経験を積み重ねてきたからだ。


 そして、教員でなくても、語りのプロは、やはり教える時も語りが上手い。


 そういう、今の仕事以外に使える力が、

 働いていると何かしら出てくる、

 だからみんなそれを使って転職していく。


 わたしは、働けなくなった時からそれをどんどん失っていた。それは今気づいたことではなくて2020年頃からわかっていたのだけれど


 一度働けなくなったら、もう、

 普通に働く、が私にはわからない。


 ちゃんと働く、まともに働く、まともに生きる、が、

 自立して生活するその仕方が、


 わたしにはまるでわからないのだ。


 だから言葉では、

 働こう、自立しよう、と計画を立てても、

 うまくいかないできたんだと思う。


 まあ、自身のこれまでの生活を振り返ると、
実のところnoteに書いているほどスムーズに生きていなくて、それこそ少しばかりうまくいきそうだと思ったところで長く体調を崩して何もかもを失ったり、仕事もやっと慣れてきたというところでコロナで仕事がなくなったり職場が閉鎖されたり業務内容が変わったり、そんなのの連続で、(そんなのみんなそうだと言われるかもしれないけれど、私にとってはそれが、とてつもなく大変なことなのです。それこそ、皆さんで例えるなら、そうだな…皆さんの感覚がわからないけれど友人たちを見ていての私との感覚の感じで言うと、月1〜2くらいで職場が変わって仕事の内容も上司も変わっていく上に引越ししなければならなくておまけに給与がコロコロかわるみたいな感覚? あ、慣れてきてさあこれからだって思ったら仕事も職場の人間関係も働く時間も給与も何もかもかわる)それでいて生活していくのには全然お金が足りないからとにかく目の前のお金を稼ぐことに必死な感じでそれなのに体調が月に8回くらいコロコロ変わってほとんど体調悪く過ごしている感じです



 こんなんで生きていけない、と何度も思う毎日思う。でも生きていかなくてはならない。 


 こんなんで31を迎える年になってしまった。


 教員になるのはやはり、無理そうだけど、
 果たして次はどう仕事していけるのだろうか。あと1ヶ月で決めなければならない。

語り方がうまかったら、こんなにも困らなかったろうにと思う。


 語り方の研究をしていたはずの私は、語り方が非常に下手だと、学生の時分から気づいていたけれど、少しばかりなにかが言葉になりそうだから、

 思いつくままにとりあえず今回は書いた。

 それにしても本当に安住アナは、なかなかに面白い人だと思う。本当の安住アナがどんな人かは当然知らないし知る必要もないけれど、

 テレビに出ている、アナウンサーとしての安住紳一郎という人は、ほかに代えの効かないものをたくさん持っている人だとつくづく思う。

 そういう人間に、なりたかったんだ本当は。


#走れメロス

#安住紳一郎アナ

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