私らしいをえらんでいく
まず、お手本作品三作品を読んで、
共通して出た感想は、
御三方とも「働く=楽しい」とか
「働く」をプラス面を推して書いているんだなということ。私はそこに違和感を覚えた。
それはもしかしたら彼ら3人が、
プレイヤーというか、
servant(仕える人)ではなく、
employee(雇われ人)とは遠い人なんだと思えたからかもしれない。
わたしは、新卒で就いた
公立学校の教員の仕事を、
学生時代からの疲れのピークがきて
3日目に退職して以降、かれこれ
3年4ヶ月非正規雇用者で、
あくまでずっと“employee”であり、
会社にとってはいてもいなくても
かわらないアルバイトの1人で、今も
最低賃金レベルで雇える都合の良い人間である。
そういう私のような人間でもなければ
会社に属していやいや働くような、
仕方なく働くような人ではない人たちが
「私らしい働き方」(働く=プラス面のみ)について考え、書き、それが文章のお手本になるということは、
働く=楽しい
働くと生きるが一体化するのが良い
働くと遊びが一体化していくのが良い
みたいな価値観が既に私たちのどこかに
埋め込まれているということなのかもしれない。
2〜3年前に、落合陽一氏とホリエモンこと堀江貴文氏が、対談かなにかで
これからの時代の働くについて
「遊びを極めることでお金が稼げる」
「ワークアズライフを体現するものだけが生き残れる」
といい、
これからの時代は、
会社にしがみつくのではなく
自分で人生のデザインをすること、他人との差別化をはかり、「遊ぶ」「働く」「学ぶ」を一体化することだ
と言っていたと思う。
ここに書いてあったから、
書籍でそう語っていたのは間違いない。
あの時、わたしはまだ
働くことを“イコール 素敵なこと、楽しいこと”と捉えていた。
新卒で就いた職を3日目には辞めていても、そう信じ込んでいたし本気でそう思っていた。信じ込んでいたと書いてしまったけど、働くについてなど、人によって感じ方も捉え方も違えば、立場が違うなら全く異なるのだから別に間違ってはいないのだけれど。
でも、少なくともあの時も、
落合氏にしても堀江氏にしても
「雇われる側」じゃないじゃん、
ということは思っていた。
本コンテストの参考作品の方々も含め
いつだって「働くが楽しいこと」と強く強く主張するのは、一定程度”雇う側"にいる人かいや、もっといえば、個人事業主だったり実業家だったりする、気がする。
少なくとも、低賃金で疲弊しながら
1.5時間かけて働きに出て、最低水準に近い労働環境で働いている雇われ人は、目の前の仕事に必死で日々に追われて、働くがなんたらなんて、
嫌で嫌で仕方ないとか、もう生きているのが辛いとか、この仕事このまま続けてて良いのだろうかとか、わたしの人生なんなんだろうとかそんなことを考えるようなタイミングでしか考えられなかったりするのではないだろうか。
そして私は、今
働くと休むをきっちり分け、そのそれぞれを組み合わせたものが生きるだと思う。
ところで、今回は #私らしい働き方 というテーマであるから、
「ゆかまる」という我にとって、
”私らしい働き方"について考えたい。
でも、そのためにはそもそも
“私らしい”が何かを言語化できている必要がある。
私が新卒三日目に仕事を辞めてきたのは
決して、たいそうな夢や目標があったからではない。ただただ、もう休みたかったから。このまま続けたら私は倒れて死ぬんだと思ったから。
わたしは大学院生の時に、
人間関係で自分のやるべきでないことに
がんばりすぎて二度も過労で倒れて救急車送り入院した挙句、退院した翌日から大学へ通うという無理をし続けた。
新卒で公立学校教員に就いたのは、
正直熱望していたからではない。
大学院を修了するまでに内定を取っていなければならないと大学院1年生のときから思っていて、大学院生活、教職課程、フルタイムのアルバイト、課題、論文、人付き合い、諸々を考えていった時に手っ取り早く無理なく無駄なく内定を、合格を得られる方法が、東京都教採を受けて合格する方法だったから選んだだけだった。もちろん、受かった暁にはまじめに教師をするつもりだったけれど。
過労になった理由:
他人のことで自分の命を二度も脅かすほど自己と他人を分離できなくなるくらいのめり込む
過労になった理由:
一度のめり込むと寝食忘れるほど
過集中になる
過労になった理由:
自分がやりたいといってやらせてもらったことはどんなに過酷でも、決めたゴールまではやり通す強い意志があったから。
過労になった理由なんて、
まとめれば、過度なストレスと
あからさまな寝不足(1日30分〜1時間程度、長い日でも3時間程度の睡眠を5ヶ月以上にわたって続けたから)しかないけれど、その要因を分解して原因を突き止めればこういうこと。
今生きている人生を、
自己コントロールできなくなると、
そして過集中状態になってしまうと
過労まっしぐら、頑張りすぎまっしぐらになる。
頑張るという言葉は良くない。
頑張る(困難にめげず我慢してやり抜く)
ことが正義だと思われているこの社会だけれど、よく「頑張り屋」だとか
「頑張って偉いね」と言われて生きてきたけれど、私は「頑張る」という裏に隠れている意味合いにはさらさら賛同する気はない。
頑張るが、自分を鼓舞する時に使う場合以外で用いられる場合、
頑張るの裏には
「頑張ったら結果がついてくる」とか
「頑張れば良いことがある」とか
「ここで頑張ればあとは…」みたいな
感覚を持っている人が多数いる気がするし
わたしはそういう意味で頑張るを使う人に出会うたび、
「頑張ったんだから認めてよ」
みたいなことを言い出す人たちにばかり遭遇してきた。
頑張ったから
必ず結果が出るわけじゃないよ、
といつも思っていたし、
受験生たちが近くにいた塾講師の時も
「頑張れば○○」という塾長や講師に違和感を感じていたし
ましてや「頑張ったらご褒美に」
と他人にいう人たちにはさらなる違和感があった。
頑張ることが正義だとされる社会においては、頑張ればプラスの要素がたくさんついてくることが前提とされているし、
頑張れば報われることが前提とされていると思う。
働くことが楽しいという人たちには、
もちろん頑張ったからと言って結果が必ずついてくるなんて思っていない人たちが多いのはわかっているけれど、それでも
働くことが楽しいという言葉の裏には
どこか、頑張れば報われるというときのニュアンスのようなものを感じる。
働くということは、
楽しい面ばかりではない。
そして、働くは楽しい
である必要もない。
就活生だった大学3年の時、
ある人に
働く、ハタラクとは
ハタ(周りの人)をラクにすること
自分は何をすることで周りをラクにさせられるのか、
と言われて、まだ"いたいけな”21歳のわたしはひどく感心してその言葉を抱えて生きていた。
けれど、27歳の今、それは少し違うと思うようになった。
働くとは、まず前提に
生きるためであり、
この資本主義社会と、日本の社会制度の中では働くとは国民に課せられた義務であり、働かなければご飯を食べられない、文字通り生きられなくなるのだ。
そして、かの資本主義社会のなかでは
働くことで、わたしたちは
その対価を得て、その対価によって、
いや自身の生産物に対してつく価値により
自分がどれほどの生産価値があるかを規定され返される。
つい先月、時給1100円に上がったばかりのわたしの労働における価値は1時間につきどんなに頑張っても1100円分である。
優秀な友人に言われ続けている。
と。
自信がない、私は教壇には立てない、
というと彼は必ずこう返す。
自信なんていらねえよ。
と。
素質がないというとこう返してきた。
教えるのが好きなら素質はあると思う、と。
その友人は、優秀だけれど
学生の時から働きたくないと言っていた。私は、働くことによる責任の重さや働いて自立する大変さを自覚していなかったから「私は働きたくない」なんて学生の時には思っていなかった。むしろ小さい頃からキャリアウーマンになるのが目標だったし憧れだった。
けれど、どうだろう。なんだかんだ彼は立派に働き、今や束ねる側になっていて家族を養い、私は今も雇われて、経営が悪化すれば、社会情勢が悪くなれば、経済動向が悪化すればすぐに“切られるトカゲの尻尾”の非正規雇用で、親の扶養に入っている。
それも、私は自身のこの現状を、甘んじて受け入れてそれで生きていく術すら見つけられていない。
働くとは、稼ぐとは、生きていくとは
こんなにも苦痛で難しいことなのだと、
既卒になってから知った。おまんまを食うために稼ぐことは、私にとって非常に難しいことだった。今だって父の扶養に入っていなければ即座に餓死する。私はただ、父の扶養に入ってぬるま湯で生きているだけなのだということを痛感する。
それを脱するためには、がむしゃらに働かねばならぬことはよくよく分かっているし、既卒になってから散々色々な人に、「死ぬ気で働いてごらん」とか
「仕事選ばずなんでもやるんだよ」とか
それはもうたくさん言われたしきっとそれらの意見は間違えていない。おまんまを食うために働くのならがむしゃらにならなければならない。おまんまを食えるということは、経済的に自立したということで、経済的自立は、精神的自立に先立って重要になる。自分で生きていけなければ、ひとりで生きていく力がなければ、誰かに依存もしくは頼らなければならなくなるから。その誰かはいつまででもいるわけじゃない。
とはいえ、わたしにはもはや
がむしゃらに働くことはできなくなっている。
がむしゃらになろうとするともう
頭も身体も心もついていかない。
がむしゃらになろうとしただけで頭を使わねばただただ身体を酷使するし、
ただがむしゃらになるだけになると、
身体の前に心が疲弊してアラートを出すようになった。このままじゃ倒れると、このままがんばっちゃいけないと。それになにより、がむしゃらになると、
ただ、頑張る、ようになった。頭も使わず、頑張るだけになる。頑張れば結果が出るわけではないのに。
コロナの影響で既卒3年目の夏から今の職にとりあえず就いていて夏過ぎにはやめるつもりなのだが、
やっと既卒4年目のいま、 周りの生き方を前提としないことを少し考えるようになった。
それまでのわたしは、他の人と同じようには生きられないのに、それをわかっていたのに、他の人と同じようには働けないのに、大勢の“社会人”である友人たちのように働くことを目的としていた。それがわたしにとってゴールだと思っていた。一方で、そうならない現状が続くことも見えていて、安全地帯が続いて欲しくて、親の庇護の元にいき、付き合う恋人にどこか経済的依存を、精神的依存をしていた。
もちろん持病である精神疾患である
てんかんは、
医療費が莫大にかかり、
心身ともに蝕まれ、過労が原因でなったそのてんかんの元である過去の経験の疲労は今でも続いている。それは、辛いことではある。けれど、その現状を、自立できない理由に、依存する理由にはできない。できないのに、できないとわかっているのに結果としてそうしていると気づけたのは今年になってからだ。
大学院生の頃に過労で倒れて
てんかんという持病をもち、
肉体的に無理しないことが第一条件になったわたしが新卒すぐに仕事を辞めてきた時、Lくんはわたしに
YouTuberにでもなれば、といった。
その真意がどういうことかは聞いていないが、つまり、多分、
君の身体のことを考えれば、9-17とか毎朝毎夕の通勤とかそういう働き方じゃなくて、もっと自分のペースで自分の好きなことを突き詰め、自分のできることに注力して努力して、雇われない働き方でもすればいい
そういう意味でのYouTuberにでもなれば、という"適当発言"だったと思う。
わたしはその時、YouTuberて、そんなまた突飛な、、なんて思って結局、何にも手を出さなかった。興味があるからと仕事を辞めて少し休息してからリハビリにはじめた勉強はどれも初心者レベルに到達するか否か、自分のものにできない知識程度で終わった。
ウェーバーも、法律も、プログラミングも経済学も。
いやむしろ、もともと英語はできないのだけれど院卒以降本当に触らなくなって専門の英語すらできなくなった。今は英文1文字すら読めないし、ましてや英語の勉強をしていないのだから、洋楽を聞いて全部わかるわけでもない。
院卒後に、英検1級を目指していて出会った友人は、出会ってすぐの英検ですぐに1級を取り、英語を教える仕事につき、そこから英語を使う外資のIT系の仕事に就いて、さらには投資の勉強をして投資で生きていけるくらいきちんとものにした。結婚もした。
しかし私は結局何かひとつに
力を注ぎ込んで磨かずにここまできてしまった。
わたしはこの無職の3年4ヶ月、
何を得たのだろう。
何も得ていないわけじゃない。
それでも、経済的自立も精神的自立も得られていない。
自立がとても大事だと分かった。
私はずっと、周りの友人達と同じように会社に属し、それも大きな会社に属し9時に出社し、夕方に定時を迎え、月曜から金曜で働くといういわゆるサラリーマンのような働き方を、定型とするのはおかしいと思いながらも、そうなれない私を否定するような言動をする親やそれ以外の人に何も言い返せなかったしそれは私自身がどこかでそういう働き方を定型だと思っていたからだろう。そして、自立できていないという後ろめたさがあった。
さて、私らしいはたらき方を考える場合、キャリアという言葉を視野に入れる必要があると思う。
キャリア、 career、轍
英語のcareerは、
もちろん一生の仕事とする職、
専門的職、経歴の意味の他に
経路、通り道
という意味と
全速力、疾走
という意味がある。
今まで通ってきた道を振り返って
その道にできた跡を轍、careerというのだから、そもそも、キャリアデザインという言葉に違和感を覚え始めた。
日本ではキャリアデザインという言葉は浸透していて、大学にキャリアデザイン学部があるくらいだが、
キャリアという言葉が、轍なのだとしたら、生まれてからこれまでにたどってきた道、経験、もちろん進路選択という意味の進路を含めてキャリアで、キャリアをデザインするということは、これから通る道をデザインするという意味で使われているのだろうけれど、デザインすることがそんなに重要なのかと疑問にも思う。
だって、私も、それなりには
デザイン?いや、
それなりに今後何をしたいか、
とか考えてきたけど、
英米文学科に入っても
英語に強くないから仕事にできないし
教員免許も専修免許まで取ったけど
英語教員にもなっていないし
英米文学科に入ったのもそもそも
夢をなくしたわたしが、
とりあえず今勉強で1番得意かつ
好きなものという理由で英語、
いやむしろ英語以外があまりにもできなかったからという理由もあるし、母が英文科卒で高1でオープンキャンパスに行くときにそもそも英語が好きな私に英文科系でおすすめした母の影響もある。
なんにせよ、わたしはとりあえず
もっと勉強したいな、勉強するなら
英語の発音とか歴史とか知りたいし
英語が強いていうなら1番得意だからと英語系学部で様々な大学を受け、たまたま受かった大学の中で、唯一共学で、もとから四大で歴史あるという理由で今の出身大学を選んだ。
そして、今の出身大学(nとしよう)n大でたまたま英語系のサークルの新歓に行って英米文学科の先輩に履修を組んでもらった結果たまたま教職を履修することにして、たまたまとった教職で教育心理学が楽しかったのと、母校の先生もいいなと思ったからたまたま大学2年でも履修し、たまたま1年の冬に始めた塾講師で、教育に生きると決め、たまたま教職を履修したことと塾講に勤しみすぎて、入学当初に考えていた外部大学への編入を諦め、
たまたまその塾の同僚に大学院志望がいたから大学院に関心を持ち、たまたま大学院に関心を持ったらはっきりこういう研究とかいいなと思うようになり、父に相談した結果、たまたま大学院受験のために内定を取る必要があったから自分が内定を取れる道を探して就活を始め、その中で様々な人にたまたま出会いいろんな生き方を知り、たまたま出会ったその方々の繋がりで就活をして無事に内定を取り、内定を取れた上に両親がいいと言ってくれたからたまたま大学院受験が叶い、たまたま真面目にゼミに取り組んでいたから内部進学受験で大学院進学でき、たまたま内部の大学院に進学したから、単位を落として4年で取得できなくなった教員免許を引き継いで大学院の忙しい中で教職課程を履修し続け、
たまたま大学院という環境でもっとやりたいことが見えてきたから研究関連で出会えた方がいて、論文に書きたいことが早いうちにはっきりして、たまたまそれに指導教授がその研究内容に強い関心を持ってくれたから後期博士の話が出て、たまたま人間関係で無理した結果に二度も過労で倒れたから、後期博士を諦め、そんな状況でなるべく無理せずに内定を取る道を探して公立学校教員採用を受けることを選択し、たまたま3月末のギリギリに内定を取ったから公立学校教員になり、すぐにやめる決意をしてやめてしまった。
そしてたまたま、少し元気になったところで興味のあったイエナプランなどの勉強会に行ってみようかなと思ったからさまざまなつながりからティール組織に関心を持ち、たまたま仕事を辞めてこもっていたから友人が声をかけてくれて、今まで生きてこなかったVC企業にアルバイトで働くことになって今まで出会ってこなかった方々と出会い、今まで働いたことのない環境を知り、その中で自分の関心の赴くままにいろんなことを調べた。そしてたまたまそういう時間に恵まれたから、身体を休めながらも今までの自分の研究を俯瞰して見る機会に出会い、さまざまな本を読んだ。
たまたま働き方が私にとって無理がなかったからコロナで契約切りになるまで2年間も仕事が続き、たまたまもう少し働けるようになってお金が欲しかったからVC2年目になる少し前から1年間古巣に戻って塾講をして、たまたま早い時間が良かったから未就学児童等の担当になり、たまたまいつもは断る友人からの誘いに、クラブに行くと知らないで合流したから、友人の知り合いとして夜神くんと出会い、たまたまクラブでお酒を飲み過ぎて泥酔した私を夜神くんがおうちに泊めてくれて、そのあとたまたま夜神くんが心配だからと翌日の帰り際にLINE交換してくれたから話が続き、たまたま夜神くんに告白され、たまたまいいなと思ったから付き合った。そして別れたあとたまたま、切りたい人間関係が見えてきて、たまたま世の中がコロナになってコロナで交友関係を狭めることができた。たまたま職場閉鎖で2ヶ月の無職の間に、ずっと観たいといいながら観てこなかったアニメやドラマをたくさん観ることができ、筋トレに興味を持ち、たまたま散歩で歩き始めたから毎日5/31まで2ヶ月ほど歩き続け、たまたまコロナ後に職を失うと分かってすぐに相談した友人にたまたま今の職を紹介してもらって何とか低時給だけど働いている。なにもかも、たまたま。
そして、プランニングした通りには生きていない。
結局のところ、私は他の人からすると何をしているのかブレているように見えるかもしれないけれど、
イマココに生きる自分のやりたいことをやる、イマココの目の前の自分がやれることをやる、イマココの自分起点で考えるという面で見れば大枠高校生の時から決断の仕方は変わっていない。
私らしい働き方を考える上で、
この、イマココのワタシという観点は
実は非常に大事なのだと気づいた。
進路はもちろん先々も大事だけれど、
イマココに生きる自分が大前提で
それから人間は結局のところ、過去にも未来にも生きられなくてイマココのワタシしか生きられない。
逆にイマココの私を失ったとき、過去の私は人に巻き込まれてきたのだった。
だから、働き方だって
他人がどうだから、
世の中の大勢がこうだから、
“一般的には”こうだから、
過去がこうだったから、と
他人にもたくさん言われるし自分でもたくさん考えてしまうけれど、
結局のところ、イマココのワタシがどう生きたいか、どう生きられるか、どうしたら生きやすいかが大事で、
そうした決断を他人の判断に委ねたところでその他人は、親でも子でもパートナーでも私の人生に責任をとってくれやしない。
そういう意識を持って、
イマココの私が生きやすく、楽しく幸せにそして少し先のことを考えながら選ぶのが良いのだと思う、もちろん道を選べるというのは選択肢が広がっているという自由あってのものだから、前提として、選べる環境にいる幸福は必要になるけれど。
私らしい働き方、
私が生きやすく無理せず生きられる生き方がそれぞれの人にとって私らしい働き方なのであって、
そこには当然、大なり小なり生きるのが辛くならない限り、
楽しいことだけでなく、苦労も嫌なことも辞めたいと思うこともあって当然でありそれで良いのではないかなと、
そしてこうした、私らしい働き方について書く場合、いやむしろ働くについて書く場合、楽しい面だけでなく、嫌なことや辛いことやめたいと思う気持ちもそのまま正直に吐露していくのが、私らしい、人間らしいなのではないかと思った。
そもそも、私らしい働き方、をしたくてもできない人だって大勢いる。その人たちも、必死に生きている。
私は、8時間勤務×週5日のサラリーマンになんてなれないし、目指していないし、かと言って、すぐにでも不労所得だとか株や投資で生きていくと舵を切れるわけでもない。
しばらくは、肉体労働を伴う働き方をしながら、非正規雇用の強みをもっと活用しながら、精神的、経済的自立の道を模索し、いろんなことに挑戦したり試してみたりして、経験して何かを学んでいきたいしイマココに生きるワタシの幸せを優先してもう少し、今みたいにこん詰めて、目の前の生活や休息や幸せを逃さないような日々の生き方を見つけたい。そしてそういう日々を積み重ねていく中で選んだ道のりをいつか振り返ったときに、
こんな経験が今につながっているんだな、この時こんな気持ちで選んだあの選択が今につながるキャリアになったんだなと勝手に後で納得できるようになるから、そう思いながらその時幸せに生きていればいい。
どんな時も目の前の幸せを逃さないように生きれば、そして自分にとっての幸せが何なのかの本質をきちんと見極める力さえ備えれば、きっと私は私らしく働けるし私らしく生きられるから。
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